匂い
僕は匂いフェチまでいきませんが匂いをある程度嗅ぎ分けます。
あくまでも僕の感覚ですが、緊張の匂い、喜びの匂い、焦った匂い、頑張った匂い、かっこつけた匂い、官能の匂い、・・・これら無数にある匂い・・・これらをどうとか、こうとか、言語化できませんけど、僕だけに限らずみんな『感じてる』はずなんです。
匂いには2種類あります・・・『察知すると言う意味での匂い』と、『実際香ってくる匂い』と、どちらも本能的な分野に近いものです。
ここはほんとーーーーに大事にしないといけない!
本当に!
もう一度言います。
本当にです!
最近この大切な分野(本能)が、脅やかされ、壊されそうな危機を感じているので、今回は実際香ってくる匂いの話をば。
世に多く当たり前かのように出回っている洗濯洗剤や柔軟剤、人工臭のきつい食べ物とか、こういったものは昔からあったのだけれども、最近は”酷さ”が増してると思いませんか?
さらにそれらを大企業がバンバンお金をかけて宣伝して拡散しているものだから、世の中に嘘の当たり前が広がってしまっている。
人間の匂い嗅ぎ分ける能力、見る力とか、味わう感性とか、いわゆる五感をなめてはいけない!
これを鈍らせると言うことは人間力を鈍らせることになります。
自然ないい香りだったら実際こんな風に顔を埋づめたくなり、恍惚となるのです。。。w
特に僕はタントラというワークをずっとやってきて、人間の身体を取り扱い、身体の感覚に働きかけるワークをしているので、この五感に敏感ならざるを得ないわけです。だって人間ワークだもの。
感じることに関しては多分一般の人よりは敏感で、ファシリテーターという立場上においても、敏感でなくてはならないと思っています。
なのでこの感覚を一つでも阻害されるなんてことは感覚を鈍らせるし、アンテナを強引に引っ込めざるを得ないようなものなのです。
24時間アンテナビンビンってことはないんだけれど、なるべく避けたい訳です。
昔は確かに僕もシャネルの5番とか個人的にはディオールが好きでした・・・昔の話です。
最近の香水事情は知らないけれど・・・
香水をも凌駕し、特に目に付くというか、鼻につくのが、洗剤(柔軟剤や香るなんとかとかいうやつら)であります。
こやつらが幅を利かせてすぎて香水どころではなくなっている気がするのです。
もし自分の前に香水をつけて、さらに衣類をそう言う柔軟剤臭をした女性がいたとしたら、男性でも、友達にはなれない気がします。ごめんなさい。
で、観察をしていると、まぁ子供たち、特にスポーツ系の子達が臭いこと臭いこと。
多分思春期で汗臭さや衣類の生くささが嫌なのだろう。それもわかる。
そしてそれと一緒に洗っている親の衣類も同時に臭くなる。
さらには恐らくだけど、その衣類と一緒に洗ってしまった衣類は匂いの伝染が起こる、そしてさらにその匂いは消えない。
もうだめじゃん。悪の連鎖。その服捨てる以外ない。
洋服を愛するものとしてたかが洗剤の匂いで洋服を捨てざるを得ないなんて悲しすぎる。
大企業が伝搬する汚れの洗脳や除菌の洗脳はほぼほぼ嘘です。
洗剤を売るためにだからね。
何を洗うのにも石鹸一つでいい。
石鹸すらいらないものもある。
だから余計なものをつけないことだ。身体にも、思考にも、人格にも。
だからとて今まで使ってきた”習慣”を即座に辞めるのは難しかろう。
でも大丈夫と言いたい!
石鹸一つでよくなるととっても楽になる。
買い物も余計なもの買わないでよくなるし、そもそも物が減る。
せっけん化運動である。
少し脱線しました・・・。
瞑想会などしているとこの五感がとても鋭敏になる。
とても繊細になります。
ここでパンチの効いた人工の匂いが来ると”そっち”に意識が行ってしまう。
いわゆる”外”にいってしまう。
だから瞑想会、グループに来る際は注意していただきたい。これは僕が主催するグループだけじゃなく、そういった繊細さが必要となるものに関してすべてである。
要するにすべてである。瞑想していくと、だって全てが瞑想になるんだから。
電車乗るのも、車乗るのも、すべて。
そういう匂いのついた衣類で来ないこと。
これは・・・
大きく言うなれば『社会貢献』である。
特に瞑想という場のエネルギーを守ることにつながります。
是非お願いしたいし、ぜひ、そいうものから意識的に離れるよう試みて欲しい。
そんなお願いブログでした。
良い匂いを嗅ぎたい・・・
良い日を。
ダンスをする理由
タントラのワークショップでダンスをするのはこんな理由からです。
『もし人びとがもう少し踊ることができ、もう少し歌うことができ、もう少しクレージーだったら、エネルギーはもっと流れ、悩みの種は徐々に消えるだろう』
もうこれだけ。。。
自由に、エネルギーが流れるまま踊ります。
でもこれが難しい。
“考えて”しまうから。
型も大事です。でも型がなく自由にエネルギーが流れたときOSHOはこんな事を言っています。
『オルガスムに至るまで踊るがいい。
全エネルギーをダンスにしなさい。
すると突然、自分にはまったく頭がないことにあなたは気づく——頭で滞っていたエネルギーが美しい模様、絵、動きを生み出しながら、まわり中で動いている。
そして、あなたが踊っていると、からだがもはや堅い物ではない瞬間がやって来る。
それはしなやかに、流れるようになる。
あなたが踊っていると、あなたの境界がもはやそれほどはっきりしない瞬間がやって来る。
あなたは宇宙と溶け合い、融合し、境界は混じり合っている。』
何と!素晴らしい!
踊りだけで、というか踊れなければオルガズムなどないし、踊りに全部出る、出てしまいます。人柄も、日頃の動きも、セックスも、全部詰まってる。
だからここでは教えるとか教わるとか一旦脇に置き“踊りましょう”いろんな踊りを、自分の踊りを・・・タントラは“上“にも行けますが、身体を絶対に置いてけぼりにしません、自分の身体と踊ります。
ぜひ。
LOVE
覚えておくこと3つのこと
新年おけましておめでとうございます。
令和新年初ブログとなりました。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
今年はなんだか色んな意味で分かれ目な気がします。
夏には東京ならぬ日本オリンピックでその後どうなるか。
世界に日本のやばいところが見えちゃう大事な時期ですね。
さて・・・
この地球上いろんな紛争、右と左や、嘘や疑心が溢れかえっているけど、紛れもない真実として、どんな宗教も国籍も関係なく、この地球に住まう人類の、何一つ疑いの余地なく共通しているものが、人間はセックスを通して生まれてきたってこと。
でもこのセックスは全人類(とまではいかないけど)共通で諸問題を巻き起こす種となっている。
なぜ?そもそも愛の行為であるのに。
セックスエネルギーは身体の中で一番活発で、強く大きなエネルギーがゆえに「闘って」しまうからなのかもしれない。
他人とも自分とも。
競争したり。
蓋をしたり。
捻じ曲げたり。
お金の種になってたり。
溺れたり。
そんなこんなしながら、それでも僕らは生き続け、様々な身体を通り、重ね重なり、歳も重ね、うんざりするという気づきが来たら、まだ良しで。
これが日常化して(ルーチン化)いわゆる脳を刺激してくしゃみのように一瞬で終わるインスタントな行為になっていって、
なおかつそれに満足してしまったら・・・
眠りこけてしまう睡眠薬や安定剤のようなものになってしまったら・・・
日頃のストレス解消を取り除く行為になってしまったら・・・
性の喜びってなんだろう?
もう探したいけど見えなくて、もう自分には手に入らないものかもしれない・・・となってしまう。
(どっかにいたな性の喜びおじさん・・・w)
タントラではセックスを受け入れなさいって言う。
と簡単に言うけど・・・
ん?
え?
受け入れる?
何を?
ってなる。
我れらマスターOSHOは3つのことを覚えておきなさいって教えてくれた。
1つは・・・セックスを始める前に瞑想をする。
それもやらなくてはいけないと言うほど強調している。
さもなければマインドや思考、ファンタジーに留まるからであろうから。
これはなかなか簡単にできることではないだろう。
みんな脳を刺激して興奮してから始めるのが普通だと思い込んでいるだろうし、
もっというと喧嘩やトラブルをきっかけにセックスをすることも多いではないだろうか?
喧嘩を止めたいがゆえにセックスする・・・ずるさの極みだ。
どちらにしても、訳がわからない状態で終わっていく。
だから始まる前なんて瞑想どころではないし、瞑想なんてしたら興奮が冷めてしまうって思う方が自然で、どうやって興奮するんだろうって?普通は考える。
でもタントラでは逆を行く。
通常セックス自体呼吸が速くなる。喧嘩なんてしたらなおさらである。
でもタントラでは呼吸はゆっくり大きくする。そして動きも早いものからゆっくりした動きになっていく。
まったくの逆である。
緊張から始まるものをリラックスから始める。
たったこれだけで違うものになるのは目に見えている。
2つ目・・・お互いに礼拝をする。
これはインド的とか宗教的とか、思われそうだけれど、そうではなくて、お互いに感謝の意を込めて相手に対し、お辞儀または頭を下げること。
まるでお互いがお互いを祭壇で拝むように。
でもこれはある意味ジェスチャーだけれども、それでも礼拝は手を合わせるだけでも良いし、すると意義深いものとなると思うんです。
3つ目は・・・セックスを「起こる」ようにしなさい。
どういうことかと言うと、我々日本でいう「Hする」でも、西洋でいう「Make Love」でもいいけど、「〜をする」という表現であり、行為である。
ゆえに急いだり、動いたり、何かしてないと落ちつかない。
それを「起こる」に任せてはどうかということ。
またここで、動かない?起こるに任せる?になると思う。
刺激してなんぼが常だから。
静かな僅かな動きから始めて、微細な動きを感じとり、互いに触れて、微細な動きがやがて大きくなり、それが拡がってダイナミックな動きになり、動き自体がオーガスミックになったなら、その先は未知だろうし、初めての体験の連続になるんだと思う。
身体から起こってくる様々な動きを許すこと。
それはうめき声がでるかもしれないし、叫びかもしれないし、動物のような動きかもしれないけれども、身体から動いてくることを受け入れ許すこと。
そうした自然に発生した動きからは自然に終わりもやってくる。
そうして無時間と無思考を体験し経過したならば、睡眠薬も安定剤もいらない眠りがやってくるかもしれないし、その次の動きがやってくるかもしれない。
そうやって任せられたら時たくさん受け取るものがあると思う。
ま、でもね・・・
それが難しいからこそ、もがき苦しむわけです。
だから練習が必要になってきます。
呼吸の練習、身体を感じること、喜び祝うこと、踊ること、そういったことが実は良いセックスを育む。ただし良いセックスを求めないこと。まずは自分の身体を作ること、整えること、だから局部の練習は後になってからじゃないと役に立たないのだよ。
だからタントラでは踊り、呼吸から始める。
タントラのドアは開いております。
いつでも練習にいらしてください。
イベントはこちらかやっております。
それでは今年もどうぞ宜しくお願いいたします。
Kabir
ダンス瞑想の作り方
まさか我が人生においてダンス瞑想をリードするとは思っていなかった・・・
実は若かりしころDJを目指した時期がある。
パンクやハードロックが好きだったけど、いつの頃かボブ・マーリーに泣き、レゲー好きになり、レゲーレコードを集めはじめ、当時録音機材がカセットテープだったのでレコードからカセットに入れて2つのカセットテープで音を繋げてMIXを作っていたっけ。古っ。
音楽は好きだったけどプレーヤーになりたいとはまったく思わなかった。
で、いま瞑想会でダンスの音楽をかけるのだけれど、これは自分のなかでDJとは違う。
なのでたまにDJいいねと言われるが、DJが出来るとも思っていないし、実際やってみたことがあるけど散々であったw
もし自分がDJだとしたら今の瞑想会で使うようなダンスの選曲を出来ていない。
なぜなら僕には悲しいくらいジャンルやアーティストへのこだわりがない。
アーティストの名前などほぼ知らないし、日本のバンドやアーティストもほぼ知らない。
ちなみに映画もほぼ同じ。人よりは多めに映画を観ているけど監督では観ない。
じゃどこで選曲しているか。
身体である。アンテナとも言う。
瞑想会での曲の構成の仕方はいろいろある。
例えば、打楽器は情動に作用させるとか、弦楽器は感情とか、色々と使い分ける。
ハートへ響くか、足を感じれるか、感情を動かせるか、身体を広げられるか、などなど・・・そう言った視線で曲を探しいてる。
なので僕のプレイリストは「ハート」とか「アフリカン」とかであるw
だから曲の質の内容というより、いかに内側へと入れるかが僕の興味ところである。
なので僕にとってベースがいいねだとか、あそこのピアノの入り方はどうのこうのは、興味対象から外れる。
もうかれこれタントラ瞑想をリードするようになり10年以上経つといくつか分かってきたものがある。
ダンスはまず心身を活性化しなければいけない、かといってどんな曲でもいいというわけでないし、人の体はいきなりはあったまらない。
その時の集まってくる人たちのエネルギー、その場のムード、さまざまな状況も関係してくる。
もっというと、当日ダンス瞑想中に予定していた曲を変えるなんてしょっちゅうだし、そういう意味ではDJと似ているが非なるものである。
あと最新の最新は逆に身体に入ってこないので使わない。
少し熟された2年くらい前の曲が瞑想で使うには今までの経験値から最適な気がしている。
たまにミックス作ってと、稀に言われるが、瞑想の場でしか起こらない曲順で選んでいるし、その日しか選ばない曲だったりするので、曲を聞かれても対応に困るのである。
あと瞑想に使う音楽は快適やただ乗れる曲でもだめで、感情をふさぶったり、感情に触れたり、そういった作用が必要不可欠なのである。そういう曲の流れを作る。
曲の力ももちろんあるけど、流れを作ることが大事で、選曲は決まってないけど、流れは決まっている。
でもこれは経験値でなんどもなんどもなんども失敗してきた。
イメージと違うことななんてしょっちゅうだし。
自分はノリノリでも参加者とズレがあるなんてしょっちゅうである。
曲選びにはいつでもどこでも、アンテナを張っている。なので定期的に無駄に都会に出るようにしてリサーチしている。曲もそうだけど、街のムードとか、ファッションとか。
(今はアプリがあるからどこでも曲の情報生えられるから便利である)
なぜなら時流というものもあるし、時代の空気感もとても瞑想グループとて、とても大事なことだから。
でも中にはもう10年も使うような定番の曲もある。
まそんな風に日々曲を選曲している。
どこで買っているか・・・原則iTunesで事足りる。
DJの友人から教えてもらったサイトだけど、なかなかいんだけど新しすぎる・・・w
でもたまにいいのがあるのでここでも購入している。
そんな集めてきたコレクションの中で組み合わせて最近では1時間くらいのストリー立てた瞑想を作れるようになってきた。
そんなコンシャスダンス瞑想を試作しているところ。
来年あたりダンス瞑想会をやります。
では瞑想会で会いましょう&踊りましょう。
瞑想会はこちらから・・・
タントラのワークとは?〈年末行うトレーニングのご紹介〉
年末にタントラライフトレーニングZERO「LOVE and MEDITATION」を栃木県鹿沼市の石裂山(おざくさん)という山の中にある瞑想の為に作られた施設で行います。
タントラライフトレーニングはテクニックの研究探求ではありません。
厳密にいうとテクニックはあるんだけど、このコースはその免状を取得するためのものではありません。
でもね・・・・
今この瞬間の歓喜を体験無くして、この身体にインパクトを残さずこの短い生を閉じてしまうには、如何なものか、というのがタントラの探求の元であるのかもしれません。
なので日々練習(トレーニング)が必要不可欠だと思っています・・・”その”日に備えて・・・ここでいう練習は「気づき」です。
タントラでは思考を使わず、身体を、ダンスや呼吸を使っていきます。
それらには言葉では無い言葉がたくさんあり、多くを、その人を、語ってくれます。
ティーチャーになるとか、レベルを上げるとか、そういった現世的なものはここでは手に入らないかもしれません。
むしろそういったものや、人生目標や人生設計などが、今まで信じてきたものと、違ったものに思えてしまうかもしれません。
それでも、自分という新たな扉がもし開けたなら、それこそどんな免状よりもこの短い生〈ライフ〉においてギフトだと思うのです。
タントラはセックスという言葉や性という言葉を使います。
(今もたったこの短い文を書いただけで集合意識がビービーと警戒音を発しますwでも書きます)嫌悪を感じる人も中にいると思います。
それだけ傷をおって来てしまったのかもしれません、わかりません。
でも僕らはどうあがいても両親のセックスから生まれて来たという「現実」があります。
そしてセックスは入り口で「入り口を逃すならば出口をも逃す」という言葉があるように、単なる入り口なんです。
ですので、性に特化したワークでは性は開発できたとて、超えられないでしょう、なぜなら身体全体でこの身体に働きかけなければ、身体の小さな小さな一部のパーツに働きかけても、何の変化も起きないでしょう、要するに入り口でわーきゃーやってても何も始まらないということです、ドアは開いているのです、中に入らないと。。。
いっときの快楽のために、ここを見逃し、理解を、その先を見逃してしまったという、いにしえのタントラから今の今まで誤解されているのはここの部分ですね。
だから性だけにとどまらず、しかし、性を避けもせず、棚にも上げず、感情も、思考も、あるがまま、ありのまま、受け入れていく、それがタントラのワークしょう。
なのでライフのワークであり、ライフのトレーニングなんです。
ここがタントラのマジカルなところです。
なのでタントラでは「ナチュラルであれ〈自然であれ〉」と言います。
あるがまま、ありのまま。
ぜひおいでください。
https://www.tantralife.jp/20191227_30_loveandmeditation/
LOVE and HUG
2019年イタリアタントラライフトレーニング後記
2019年11月1日から行われた、イタリアはトスカーナで行われたタントラライフトレーニングのスタッフ参加してまいりました。
Photo1:明け方の宿泊棟
Photo2:施設内の彫像
Photo3:トスカーナの空
何度訪れてもトスカーナはビューティフルでした。
今回3年ぶりにここに来たけど、日本だとすぐ街並みとか変わっちゃうけど、イタリアは都心部もほぼ変わらないね。
さてこの美しいビューの中で行うトレーニングは(今のところ)夏と秋に2回、パート1とパート2に分かれていて、各9日間行います。ちなみにどちらかのパートだけ参加ということはできません。
長いプロセスであります。
でもさ一生に一回と思えばなんてことはない・・・ボソ。
今回僕は後半の部分パート2のスタッフ参加してきました。
いつも思うけど、下手したら何年もかかって人生において起こること見ていく出来事を数日の間に体験し、超えていくのだよ、よくやるよねw
でもね、”それ”を体験する価値はあると思う。
そんな熱意ある日本人の参加者の熱い思いに胸打たれながら、もちろん諸外国の参加者たちも、もがいたり、喜んだりしているのを見ながらスタッフ作業をして来た。
文化が違う、言葉もろくすっぽ話せない、僕にとってスタッフとして学べてきたことはかなり貴重な財産となっているなと。同時に時にとてもヘビーに壁が立ちはだかるけど。
それでも体験を超える経験はないのでラッキーである。
だからこそ、いろんな壁があっても、何度か来ようと何年か前、自分に課した。
これもいつも思っていることだけど、グループに参加することは自分へのギフトとして、自分への滋養となるので、いつ何時も参加の機会を伺っていていいと思う。
少なくとも今僕のはタントラのファシリテーターとしてやっているので、参加しているだけの視線とはまったくもって違う。なのでスタッフでの学びは必須であったわけ。
これがなければタントラでなくとも、ファシリ養成講座があったとして、それに出ただけではなにも出来ないと思っている。
場を作りあげることを現場で学べてなければ現場は作れないのである。当たり前だ。
いきなりビルは建てられない。
要するにプロセスを構築していく過程をみていなければ、プロセスの過程を作れない。いや違う、プロセスを作ることは不可能なので、自然発生してくるプロセスに対応するのは不可能である、だな。準備は裏側にあるのであって表には決して出てこないから。
あとは場数。これも一朝一夕には絶対にできないし、これが一番の要かもしれない。
なので安易に今巷で流行の養成講座に行かないでほしいw・・・主催している人が一番わかっているはずなんだけどな・・・だからお金の使い方が違っている・・・笑いごとではないんだけどね、この話はいずれどこかで。
それでもやりたいなら、まずそれに関わろうとすることだ。
だから何個も講座を受けるより、何か1つに関わった方が学びは濃い。
話外れましたが・・・でも大事な話。
そんなわけで、特にどこか観光するわけでもなく、イタリアを行き帰してきた。
グループの内容はもちろんここには書けないが、人生に一度は身を以て体験するといいと、心からオススメする。
だからこそ、ここ日本でもこの瞑想を継続したいと思い、体験を経験にしたいと思い、十何年も瞑想会を継続できているモチベーションなのである。
日々の瞑想会は長くてワンデイや半日が多いのだけれど、それだと本当はプチ楽しいことしか受け取れない、もちろんそれでもいいのだけれど、逆に楽しいことだけじゃダメなのか?なのだけど、やはり楽しいだけでは正直ダメなのである。
ビター&スウィートと言うように、ビターが先に来て初めてスウィートが来るのである。
安楽だけでは安楽で終わってしまう。
ジャングルに彷徨ってしまう。
タントラはその傾向に落ちる傾向が強い、なぜかというと、人を鏡として使うワークでパワフルゆえにいくらでも人のせいにできるから。
でもね、人のせいでは絶対にないのである。
だから禅スティックのような時々コツンとしてくれることが必要なのである。
だから日々の練習が必要なのである。
タントラは楽しい道ではある。保証する。
タントラは喜びよりもっと上の歓喜の道である。
それは苦味も、痛みも、悲しみも、いろんなものが含んでいるから歓喜なのである。
だからぜひタントラを体験してほしい。
ぜひ来てください。
ではでは。
ちゃお。
【アクティブ瞑想】もったいない・・・?
アクティブメディテーター(自称・・・そんな肩書きもない・・・むしろダサい)として思うに。。。
と、その前に・・・
アクティブ瞑想というものがあります。
座禅のように静かに座るというのとは一線を画します。
身体をまず活性化させ静寂へと向かうようにデザインされたもので、現代人特有の思考エネルギー過多を解放する効果もあります。
こればっかりはやってみないとは分からないのだけど、やってみるとすっきりします。自然に静寂いわゆる瞑想状態へと誘ってくれます。
その最たる、代表格のようなものとしてダイナミック瞑想があります。
この瞑想はこの地球上の少なくとも数万人の人生を変えて来た瞑想法だと思います。
されど歴史はそれほどには深く、OSHO というインドの神秘家が開発しました。
OSHOはすでに亡くなっているので、臨在の頃から経っていても5〜60年くらいでしょうから、個人ではなく、人類全体の潜在意識に浸透するには時間がかかると思うので、これからダイナミック瞑想の効果、理解も人類全体へ浸透してくるはずです。
アクティブ瞑想は何度か単発で体験として行うだけでも効果はあります。
ストレス、緊張の発散や日頃動かしていない体の部位の活性化や、普段意識していないところへの意識向け、これを日常に、人生に取り入れると心身の自由度が増すします。そりゃそうだ、身体が広がるんだもの。
なので日常で何かしら体を動かしておくと、この瞑想法たちの効果が上がるので、このブログのタイトルのように日頃身体を動かしていないのは「もったいない」のであります。
要するにその時に備えた準備みたいなものを日頃から備えておくといいということです。
いつ意識の変容(その時)がやってくるかはわからないからです。
なんでもそうですが、続けることにより、慣れが生じ、そこで辞めてしまうこともあります。そうしたら違うメソッド(方法)を試してみましょう。知ってかしらずかOSHOはたくさんの瞑想法を考案してくれました。
OSHOはジョギングや水泳も瞑想にあると言っています。でもこれらは月に1回やってもそれほど効果は期待できません。
例えばジョギングする前や通勤前とか、もう嫌でたまらんのがいざ動いてみると案外いけると言う体験は誰しもあるはずです、なのでそれを打破するには、そもそもを動くという習慣をつけるのがいいと思います。
なのでマラソン、水泳、登山、様々なスポーツと言われるアクティビティですが、それらは気づきの元、または瞑想となりえますし、その種の宝庫なのでそれらを併用するの効果絶大です。
なんであれ瞑想は続けることにより、意識の違う層を開いていきます。
要するに違う人生がやってきます。
なのでなんども言いますがやらないのは「もったいない」のです。
ちなみに・・・
続けないともったいないのだけれど、現代人は忙しくなかなかやる時間もない。
というひとはこのサイトの「忙しい人のための瞑想」というメソッドがありますのでどうぞお試しください。
生を映画としてとらえる | OSHO – Transform Yourself through the Science of Meditation
瞑想の効果は人それぞれの幾万通りがありますが、体が軽くなったり、体に意識が行き渡る、気づきが増えるなど、日々の生活が断然面白くなっていきます。
変な例えですがRPGゲームの「ドラゴンクエスト」のようにレベルが上がってくると、なかなかあのレベルが上がった時の「ティリリルティティティー」という名効果音がしばらく鳴らず、ジレンマで辞めてしまう人が多いのですが、続けていく、必ずやあの「ティリリルティティティー」と奏でてくれる瞬間に立ち会えますね、瞑想もそれと一緒です。
とはいえ、変容が起こったとしても瞑想だけしてても多分人の成長って平行線をたどります。
だからこそOSHOは人と関わりなさいと説きました。
ヒマラヤの洞窟で過ごすのもまたそれであるのだけれど、社会に出て人と折衝し、時に傷つき、騙され、または、温かみに触れ、愛し、愛され、憎み憎まれ、嫉妬して、怒って、泣いて、そんなチャレンジをして、人生の色を体験してなんぼだと。
アクティブ瞑想に限らず、瞑想は初めは”やる”必要がある。
”やる”とは土台を作ること、いうなれば身体をつくること。
土地を耕すようなものですね。
今流行りの筋トレとまぁ原理は同じであります。
すぐには筋肉も育たないし、実用性がなければ筋肉盛ってもすぐに落ちる。
瞑想と筋トレの違いは、筋トレは効果結果目標と定めますが、瞑想はこの”やる”は相反し何もしない、何もない、という無へと向かっていきます。目標がありません。
動くのに無?と矛盾生じます。
いつしかその二元性の壁を感じます。
そしてそれをいつか超えれるように瞑想を続けていきます。
そして何かをしていても”何もしていない”と言う瞬間が垣間見れたらラッキーです。
しかしそれに問われないで日々の生活を進めていきます。
禅ですね。
僕がやっているタントラというメソッドはまさにその二元性を超える。です。
一緒に瞑想しましょう!
以下よりどうぞ。
Tantralife Japan – タントラライフジャパン
ではまた。