タントラおすすめ本「存在の詩」
タントラでおすすめの本はと聞かれたら・・・
間違えなくこの本をおすすめする。
これは亡きOSHOが話した内容をそのまま本になった、いわゆ他のOSHO本と同じ携帯であるが、この翻訳者の星川淳(プラブッダ)氏の訳がとてもいいのである。
他の本と比較しても、どこか品があって、空気が慣れている・・・・気がする。
この本は古代ティロパの詩(マーハムードラーの詩)の経文からその日ごとに自然発生的にはOSHOが話すした内容です。
英語タイトルは「The Supreme Understanding」
至高の理解だよ、すごいよね。
昔の紙質と写真を楽しみたい方はまだ初期版はアマゾンでも中古が残って買えるようです。
こちらも。
無人島に持って行くならこの本ですね。
では良き読書タイムを。
「『性』は『生』って言葉」ってブロクの言い訳
先日このブログを書いたのだけれど。。。
誤解されると良くないので少し細かめに、言い訳wを書き加えました。
僕は何もいいセックスを、素晴らしいセックスを、提唱とか啓発したいわけではなくて・・・もちろんそうであればいいとは思っている。
基本人様のベット事情は人それぞれが楽しみ工夫すりゃいいというスタンスです。
セックスが、性が、当たり前で、ご飯食べるみたいに、シャワー浴びてるみたいに、洋服着替える新鮮さのように、区切られたものじゃなく、核爆弾のようなエネルギー発信地で、生活の延長で・・・なんて風になったらいいなと思っている。
僕がやっているタントラのグループではそういう感覚を大事にしている。
だから、疑問なんです・・・人それぞれにそれぞれの喜びである「オーガズム」を教えられる風なことを言う人が稀にいるけど、どうやって教えるのだろう?と。
オーガズムをセックスだけのものっていうアイデアを捨てることをお勧めします。
ダンスや瞑想でのオーガズムを得れるようになると人生変わりますから。
そもそも人は人に上から押し付けるかのように「喜び」というものを教えられるんだろうか?
その人その人が自分の身体の内側から沸き起こる「喜び」を感じたら(こうして言葉にすると陳腐になるけど)それでいいと思うわけです。
導くということが仮に出来るのであれば、行き先は「喜び」だろうし、だとしたら本質的には他者は必要ない領域だろうし、そもそも「人知」では導けないのではないだろうかと思っている、きっかけは作れるだろうけど。
セックスの話はあーだこーだと、ソコソコの経験値があれば、できるかもしれないけれど、人様にこうして「あーしてこーしてやってください」なんてやってしまったら、エゴのばらまきでしかない。
世にはずる賢いやつもいることを知っている。
自分の欲望を満たすために、人からのテクニックやアイデアを自分のものとし、いっぱしのことを書き上げ、それでは私目が「教えてせんじよう」と。
特に男性で偉そうに女性の体のことを知ったように語ってる輩がいるが、どう頑張って、どう研究して、どう切り開いて解剖しても、絶対に異性の体はわからないし、体感は得られないわけで、これ至極至極当たり前なんだけど・・・なぜだか、男性は教えたがる。
もちろん逆も然りで、女性は男性の体は理解体感はできない。
これは人類の永遠なる真理なるジレンマ。
男である僕もその傾向を持っている。
だからこのエゴトリップにはすごくすごく気をつけたいと思っているし、気をつけていることの一つです。
もちろん僕もセックスのことは多く話すけど、それは入り口だからで、目的地はそこじゃないからで、入り口の話をしないことには目的地の話にも行かないし、できないから。
でも、この意図はきっと伝わらない。
これはしょうがない。
だから誤解も承知の上で「やつはセックスの話ばっかしてる」って思われるのも承知で書いている。
セックスの話って公に向けて話をするのって案外根性がいることで。
そういう意味でも先のたとえそれが自分の欲望を満たすためということが無意識で見えていないとしても、頑張ってらっしゃるなという意味では尊敬はしている。
なぜなら全人類のタブーであり、各人の刷り込みがあり、闇があり、個個の感じ方が違うのにも関わらず、均一した考え方(のようなもの)があって、さも、それがソーシャルスタンダードみたくなっているし、そもそも人とそんなこと話すなんて下品みたいなムードもあったり・・・・なかなか根強い意識が残っている。
根性というのは集合意識からのアタックとか、声なき批判、妬み、嫉妬、見下し、そういうことエナジーアタックから身を守るってこと。
僕の場合はなぜ、そういう状況でもセックスのことを書いたり、ずっとそういった噂が絶えないタントラというワークに関わり続けられているかというと、セックスはセックスだけの小さい世界じゃないということが、タントラによってほぼほぼ確信出来たという経験をしたからで、その先にある、呼び方、感じ方は、人それぞれだと思うけど、それを「瞑想」と言ったり、「静けさ」と言ったり、「宇宙」って呼ぶ人もいるかもしれないけど、そういう「探求」の行為だと確信しているから。
だから何か言われても自己犠牲してでも書けるんだと思われる(知らんけど)
さて、ぼくはタントラをやっています、そして普段日常生活においては・・・いわゆるよくありがちな西洋的タントラのこんな雰囲気で・・・・
*写真は借り物です。
生きているわけでは全くなくて。
こんな風な”タントラ”な雰囲気の日常生活を送っているわけではありません。
と同時に必要性も感じていない。
さらにここ日本では、西洋とは住宅事情も生活事情も大きく異なり、そして畳は素晴らしいのだ(畳で生活してないけども)
このコロナでこの辺もよーーく見えてきている。
各国が自国の素晴らしさを再認識しているだろうこのコロナ時代。
西洋主導の生活様式への憧れや、西洋から入ってくるセラピーだったり、そういう見方を見せられてきた、または、求められてきた、このアジアの片隅に住む者として、冷めてしまっている自分がいる。
しかし西洋からは多くを学んだし、これからも学ぶところは多いのは変わらないだろう。
でも我ら日本人の瞑想性、静けさ、禅の国であるということを忘れてはならない。
とはいえ、こうした西洋式タントリックな雰囲気は大好きだし、求めているし、タントラのグループで生まれてくるエネルギーを愛してやまないのであります。
ただそれは決して雰囲気だけじゃない。
そこに集ってくる人々のエネルギーによってタントラのリアルな、生のエネルギーのうねりが生まれる場を愛している。
そこはちょっとした異空間に変わるわけだけど、それを日常生活と繋げて、持ち帰ったら、どこでもタントリックになりうると思っている。
それが渋谷の街の中だろうと、場末の駅だろうと、畳の部屋だろうと。
要するにその人自身が変われば場所はほぼ関係がない。
でも・・・
グループを終わって日常生活に戻ったとき、グループでは、起きたことが日常生活に戻るとできなくなってしまうって声も聞く。
それはノーマルな現象で、さほど問題ではなかろう、と思ってる。
なぜなら・・・
グループ(ワークショップ)で体験したことを繋げる練習のために、日常生活があるとしたら、それはまたグループ(ワークショップ)から見たら別の異空間であるわけで。
では日常という異空間が存在しなければ、そういう気づきは起きないこととなる。
要するに差異による気づきが起こったのがグループ(ワークショップ)であるならば、日常生活はそれを生かす場であるとうこと。その逆でも同じです。
ちとややこしいけど・・・同じという理解が来るには時間がかかるかもしれないけど、多分そういうことだと思うのです。
それは雰囲気やムードとかじゃまったくなくて、在り方に対する関わり方だと思う。
だから難しいのだ。
だからこそやるのだ。
一見刺激的見えるグループが日常生活になるのであれば、それが日常となるわけで、華やかさや刺激が退屈さへと変わるのはどう見ても明らか・・・ってことは前のブログにも書いた。
だからどこにいても自分は変わらないという意識と練習が大事になってくる。
で、じゃどうやってに戻ると・・・
早くタントラのグループを行えますようにってことなんだけど・・・
最近「家でするタントラ瞑想シリーズ」というのを書きました。
このシリーズはコロナ収束までたまに上げていこうと思っています。
で「家でするシリーズ」実践版を・・・
『 TANTRA in the Room』という形で短い時間でのZOOMでワークやろうと思っております。
近いうちまたここで告知します。
ではまた。
『性』は『生』って言葉
〜これはもしかしたら男性向けのブログになってしまったかもしれません、そして少し長くなりました〜
このコロナ騒動を機に、今まで良かれと思って先代(先祖や伝統、習わしや地域、親や先輩、などなど)から受け継いできてしまったもののなかでも『性』を見直す時が来たように思う(ついに)・・・
と・・・この先を書き進めてるんだけど、先日お笑い芸人の岡村くんが風俗嬢どうので炎上しているというニュースをみて・・・追筆した・・・
*ニュースの詳細はここには載せませんので興味ある方はお調べください(閲覧注意)
この彼の発言は悲しいかな、日本の男性(性)の集合意識の中には誰にでも(いい女とかいう主観とか、差別的発言は別にして)ありうるのだと思う。ただ実際に言葉で言わないだけで。
彼のような人はごまんといて、むしろ一般的で、別の世界があるなんて思ってもいない・・・男性という生き物は愛に関係することには案外視野が狭い。
でも、これだけ、叩かれ、話題に登るってことは、もう多くの人のこの手の『マインド』は沸点を超えてしまっていると思う、ていうか、もう超えているからこそ、こうしてやんや言われるんだろう。
話は違うけど、昔のダウンタウンのごっつええ感じとか、ドリフとか、まだかの時代は男性原理が通用していて、いまYouTubeで見れる過去の作品の多くに、セクハラと暴力はたくさん出てくる・・・あの時代ははちゃめちゃで面白いけどね。
でもいまやそんな時代も過去の産物となった。
ここから書き進め再開・・・
『性』は『生』・・・って言葉がある。
このコロナで現実感が増した世の中では、聞き慣れたひらべったい言葉に成り下がってしまった気がしている。
『性』を『生』へは『実践』があってこそなのだけど、それが、動けなくなったいま、より一層『実践』が重要に見えてきているのだと思う。
*『実践』というのは日常生活にそれらが生かされているかってこと。
なのでより『生』がぐいっと幅を利かせてきた感じがしている。
それは人間の根源とか、本来の、とか、野生的なものたちね。
『実践』なくしたら全くもって、待っているのは「退屈」さでしかない。
『性』は快楽に支配されてしまって、『生』は権力(又は経済)に支配されてしまってきた。
なんと、どうやらこのコロナで崩壊しつつあるようだ。
性というものが生活になったなら「退屈」がやってくると思うのかもしれない。
だからこそ、岡村くんのように「刺激」を求めてしまう。
新しいものを求めること。
これはタントラでは最と言えるほど大事な要素である。
世の「新しさを求める」は刺激を強める特効薬であって、性欲を強めるとか、ドラッグを使ってまでもってこともある。人の欲求はエンドレスでおばけなのだ。
タントラは違っていて・・・
「自分」が新しくいることに努める=「在りつづけること」
具体的には、日々の生活で新しい道を通る、新しい見方をする、新鮮さを持ってものを見る、新鮮さをもって触れる・・・などなどなど。
タントラではそれが浸透したらセックスが「瞑想」となると言われる所以である。
支配されてしまったってことは「そこに留まされる」ってことだからやはり「退屈=古い」で・・・自由を求めていながら窮屈なところに自らいる感じを、今まさに体験している感じだよね。
でも今世の中止まったことでちょっとした自由感を味わっている人は多いんじゃないかなぁ。
でも必ずや人は元に戻ろうとするから、お馴染みのなんとかって(恒常性)原理で、コロナ明けも元に戻ってしまうんだろうけども。
でも、きっともう戻れない人も出てくると思う。
仕事が変わったり、無くなったり・・・
でもこれってよく考えると、瞑想とか自己変革を始めると頻繁に起こることで、むしろ当たり前で、僕の周りはそういう人が多いので、みんな少なくとも1回いや何回も、経験済みだからか、みんなどこか落ち着いてて、むしろ楽しんでいるように見える。
サバイブし、工夫して、自分は快適か?自分の喜びは何か?何を優先的に生きるか?を考え始めるわけだ。
だから、いい加減このチャンスを逃したらまた同じことを繰り返すのだと思う。
3.11の時もきっとそうだったはずだし、いつの危機もそうだったはず。
今まさにが今。
今までの欲望界は男性原理主導で、いかにして「気持ちよくさせる」とか「俺ってすげーだろ?」「俺ってすげーんだぜ」と意識の爆走族の爆走を許してきたし、女性界もそれを受け容れてきた。
でも、そんなマインドを、思考を、テクニックを(ってものがそもそもあるとしてだけど)ひけらかしたところで、その対象である女性や意識の世界は、もうすでにそんなことに聞く耳をもっておらず、むしろドン引きという・・・ガーーン・・・あゝ男性諸氏よ・・・テクニックなど捨て去る時なのだ。
もし、このことを初めて耳にしたならば、周りの女子に聞いてみたらいい。
でもね、同時に男性たちも気づいている。
「俺たちのやっていることは何か違う気がする・・・」
うんざりしてるけど、どうしたらいいかわからないにいるんだと思う。
僕ら人類、特に男性はアダルトサイトで間違った学びを多くを学んでしまった人たちは多くいる。
見に行けばわかるが、何億とあるアダルト映像はどれも同じで、それも何年も、手を変え品を変え、タイトルを変え、新しいように見せているだけで、内容は1ミリも変わっていない。
ただただ同じようなものが、工場の排水のごとく垂れ流されている。
そういったもの、結局地球への負担と同じで、自分の体力や活力、滋養、タンパク質なども、同時に垂れ流しているだけなのだ。
つくづく地球は自分だなって思う。
削減したらいい。CO2削減と同じで、きっと空気は綺麗になる。
このAVの世界も新しいものが欲しいという原理は同じで、刺激を求めてるけど、もう刺激するものがこちら側に無くなった。ただただ退屈な動画なわけです。
やめろとは言わないし、思わないし、たまにはいいと思う。
続く世界では続いていくと思うしね。
ただ見方を変えるにはいい時期なんだと言いたいわけです。
この身体で生きている残りの時間に、身体としての喜びを、小さい小さい射精というオーガズムではない本物のオーガズムを、体験したいって思っている男性は結構多いと思うし、実践している男性も多くいると思う、けど、まだ絶対数が足りてない気がします。
どうしたらいいか?
つづきは有料ブログで〜と言いたいが僕にはこのテクニックがない。。。悲笑
女性に聞いて教えてもらいましょう♪
男性マインドにとってこれがむずいんだけどね・・・w
今のコロナ授業中に、セックスは瞑想で、セックスは探求である。って新しい理解を脳みそに刷り込むにはいい時間だと思います。
上から物言うようだけど、言わせてもらうとw
人類全体の男性性の意識が底上げごとくステップがあがったら人類はきっと大きく変わると思うんだよ。
今絶対的に男性性、男性原理の意識の底上げが必要です!
やること簡単・・・
自分の身体の感度を上げていくこと。
感度を上げるといえど、「感じる」はけっして気持ちがいいことだけじゃないこと。
苦みがあるから甘みを感じれること。
塩味があるから甘みが増すこと。
自分の身体から始めていくこと。。。思考からではなく。
そうしたら不思議なもんで生活に変化が起こってくるもんです。
そうしたら仕事を変えざるおえないような価値に出会ってしまうかもしれないもんです。
そうしたら潔く変わっちゃいましょ。
そしたらきっと新しくも楽しい世界が待っている。
多分この騒動は地球にインパクトを同時に与えたから全人類の意識の地殻が動いていると思うから。
みんなで渡れば怖くないよきっと。
生きましょ。
良きコロナタイムを♪
家でするタントラ瞑想 for COUPLES「何もせずただ在る」
「何もしないで!」「動かないで!」って言うと緊張を生み出すね。
それは裏に動きたいという衝動があるからですね。
それを逆から見て「動かないことはくつろぐことだ」とイメージします。
動かないとて、僕ら人間の内臓はきちんと動いているし、思考の活動も止まりません。
だから動かないってことをもし完璧にやろうとすると、それは「死」なので意味がありません。
だから「動かないレッスン」を緊張を伴わず行う。
これタントラのレッスンの一つでもあるんです。
先日アップしました、家でするタントラメディテーション・シリーズのVOL.1で紹介しました、ストップ・メディテーションというのがあります。その応用編(カップル編)を今日はご紹介します♪
カップルにおいて、特にセックスにおいては、出会った当初はパッション(情熱)があって、とてもロマンティック(たとえそれが超マインド的だとしても)で、エキサイト(与え合って)して・・・でも・・・でも・・・いつの間にやら、同じことの繰り返しで、ただお互いに発散だけをする行為に、ゆっくりゆっくり真綿が締まるように、なって行き、ついには、いつの間にやらただお互いがお互いの身体を借りてるだけとなってしまって、でも、それはそれでいいのだけれども、でも〜〜〜〜という声が僕の耳にもよく届きます。
でもでも病です。
ちなみにでもって後に続くのは思考(マインド)ですからね。
つまり考えていて(または思考停止して)動けていないってことです。
こんな熱い時期があったのに・・・って嘆いたところで戻れませんが、戻る必要もありません。
ただこういう性の問題はオープンに話せる人が僕の耳に届けてくれるだけであり、かなり多くのカップルがここでスタック(行き詰まり)している風に感じます。
これはカップルであれば1度は通る道かもしれません。でも。。。
人間なので恒常性を保つという意味で正常な働きなのでしょうが、タントラおいて見方が少し違います。
タントリックな行為やセックスというのはあるコツを掴むと毎回のセックスに限りませんが、何かをするという行為が同じことは起こりにくくなります、なぜならタントラにおいて『流れ』を感じ、『流れていく』ことに『寛ぐ』からです→この話はまた別の機会に♪
さて、ではどうやるか・・・とってもシンプルです。
【HOW TO】
いつ?:
いつでも
どこで?:
出来たら横になれるところが良いでしょう。
ただ普段寝ているベットでもいいのですが、ベットは通常”寝る床”なので何かリフレッシュさが必要となります。
シーツを整えるは当たり前として、デコレーションをするとか、いつもとは違うシーツにするとか、お香を焚く、キャンドルを灯す、などタントリックなムードを作りましょう。これも一般的に女性がするとされてしまっていますが、そんな常識タントラにはありません。男性もぜひやってみましょう!日を変え交互にしてみたらいいです。
どうやって?:
ただ2人で横になります。お互いを見る姿勢でなく横向きに横になります(以下のイラストのように)
はじめは、
始めは男性が前。
静かに呼吸に意識を向けます。
そして交代して女性が前。
ただし!
なにもしない!ということが重要になります。
この瞑想法は『何もしない』ですから。
顔を見たくなっても振り返らない!腰を動かしたくなる衝動が来ても動かさない!うねりを感じても動かない!
これを3日間〜1週間試してみてください。
時間はそれぞれによって異なりと思いますが、少なくとも30分〜が良いでしょう。
あらかじめ30分の音楽を用意しておくとか、30分後にベルが鳴るようにセットしておくとか(スマホの色気のない目覚まし音はお勧めしません・・・笑)
では良いコロナタイムをお過ごしください。
LOVE and HUG
家でするタントラ for EveryOne Vol .2『あらゆる方向へ広がる』
この瞑想法は少し難しいかもしれません。
でも広がっていく感覚は家だろうと、外だろうと、みんなと一緒だろうと、一人だろうと、誰かに教わらずとも、自然ときっと掴んでいるはずなんです。ただそれをもう少し広げていこうという瞑想法です。
広い公園に行った時呼吸が広がる感覚
愛しいものに触れた時ハートが広がる感覚
海に行った時身体全体が開いてもいいんだって許せる感覚
人それぞれの感覚で
あらゆる方向へ
壁を作らず
広がって行きましょう!
この瞑想法を理解するために、OSHOが話したことをご紹介します。
こんな風に言っています。
タントラやヨガによると、人間の狭さこそが問題だ。あなたは自分自身をあまりに狭くしているから、常に束縛されているように感じる。
その束縛は、他でもない、自分自身のマインドに由来している。
危険を恐れて、境界線を作り、周りに大きな壁をめぐらす。
すると大空は閉じられてしまう。
そしてあなたは苦しむ。
そして「大空はどこだ?」と言う。
また「自由が欲しい、自由に行動したい」と言う。
でもその境界線を作りだしたのは自分だ。
だからまずこの技法を実践する前に、まずはこれを思い出すといい。
さもないと実践は不可能だ。
境界線がそのままだったら実践はできない。
境界線づくりをやめない限り、この技法の感覚つかめないし、実践もできない。
壁がなければ、もう既に、自分が諸方へ広がっていくことが感じられる。
もはやあなたは終点はない、始点は『ハート』であり、終点はどこにもない。
中心はあるが、表面はない。
表面はどんどん広がっていく
全空間がそれによって包まれる。
星々はその中で動く。
いくつもの地球がその中で生まれ、消滅する。
惑星がその中で昇り、沈む、宇宙全体があなたの表面となる。
この広大さの中、どこにあなたのエゴがあるのだろう。
この広大さの中、どこにあなたの苦悩があるのだろう。
誰もそれぞれに、自分のまわりに宮殿を作り上げ、何も入れまいとしている。
そうすれば平安に生きられると思っている。
でもそれでは死んでいる。
平安は、生きているものしか起こらない。
平安は死物ではない。
要はあくまでも生きることだ。
危険に生き、無防備で開放的に生きる。
そうすれば、あらゆるものが、あなたに起こってくる。
その起こるに任せるのだ。
それが起これば起こるほど、あなたは豊かになる。
そうすればこの技法ができるようになる。、そうすればこの技法は実に容易になる。
実践する必要もないくらいだ。
ただ考えるだけで、あなたは全空間に広がる。
【HOW to】
以下のように瞑想法を理解するだけでもいい瞑想となりえます。
この瞑想法用のCDもあります(下でご紹介しています)
ステージ1:
目を閉じて、静かに座ります。自分が作った、自分の周りにある、境界線をイメージし、それを解き放たれるようにイメージします。そして人生は不完全で、常に変化し、予測不可能であり、死は万人に訪れ、実は「不安というのは自由なのだ」と言うことを理解し、その感覚を内側へ持っていきます。
ステージ2:
立ちあがり目を閉じて、拡張感を感じ、腕を柔らかく自由に動かします。
ハートの中心から始まり、あたかも空の下や、風や雨の中、存在の広大さの一部であるかのように、あらゆる方向に広がっていくのをイメージしましょう。
境界が無くなった時の活気を感じてみましょう。
あなたはハートから始まり、どこまでも終わりません。
ステージ3:
どこまでも広がる自分を感じて踊ります。(あらかじめ踊れる曲を用意しておくのもいいでしょう)
終わるポイントがないこと、あなたは単にハートで始まり、どこでも終わりがないこと。
あなたには中心がありますが「周辺」はありません。
「周辺」は拡大し続け、空間全体がそれに囲まれ、星がその中を動き、地球が生まれて溶解し、惑星が生まれてセットされて行きます。 宇宙全体があなたの周辺になっていくことでしょう。
この瞑想法用に作られたアクティブ瞑想CDがあります。
誘導CDではないので、初めは難しいかもしれませんが、近いうちコロナが明けたらご一緒に瞑想しましょう。
では楽しんでください。
家でするタントラ for EveryOne Vol .1 『ストップ メディテーション』
何かをしようという衝動が現れる、まさにその時止まる。
【HOW to】
・いつでも、どこでも。
・突然「ストップ!」を自分に命じ止まります。
この方法はいつでもどこでも出来ます。
お風呂に入っている時、何かを飲もうとしている時、買い物をしている時も良いでしょう。突然自分に「ストップ!」と命じてみてください。
完全に止めます。
自分で「ストップ」を言う時、呼吸も止めます。
呼吸も、
身体の動きも、
そうすることにより、自分の内側に違った現象が起こるのを感じるでしょう。
そして自分の中心に放り込まれるのを感じるでしょう。
突然全てが止まります。
身体が止まる時にはマインドも止まる。
例えば水を飲む時、または水に手をかけたその瞬間止まる。
水を飲みたいという欲求、渇き、そのままにしておく。
コップは外にあり、内側に乾きがあることを感じる。
そしてエネルギーは自分の内なる中心へと向かうことでしょう。
ぜひ、この瞑想法はいつでも、どこでも、電車でも、会社でもきますのでやってみください♪
LOVE@ in HOUSE