JOY of LIFE!

タントラのカビールのブログ タントラライフジャパン代表

MenZOOMという形

メンズだけで会うというのは若い頃ならいざ知らず、大人になってだいぶ経つ人々と会うことって、ある「目的」がないとなかなかない・・・

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若いジェネレーションは根本的に違うのもしれないし、僕はそもそも集まらないのでw実際はわからない。

 

このコロナで「MenZOOM」というのを思いつき、それもいわゆるZOOM飲み会という形でなく(飲んでてもセーフにはしている)逆にメンズグループ的な”スピリチュアル”的な集まりでもなく、その中間くらいなものを催したかった。

 

参加条件はただ一つ・・・同居している恋人や友人がいたとしても、自分”一人のスペース”での参加をお願いしている。

 

男性というのは”他”の目に比較的弱い。

弱いという言い方は正しくないが、”社会”が入ってくると違った顔になりがちである。役割に忠実とでも言おうか。

 

女性ほどフラットではない。

 

そして男性同士(もちろんこれは人にもよるが)集まり、ある種のその集まったメンバーでその時間を共有するという認識ができると原則男たちは少年という男になる。

 

Become boy Be boy.

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これが始まるとまー面白いのである。↑の写真はちとだらしないけどねw・・・でもこのおっさんたちの空気は少年そのものである。

 

しかし、そこに、たった一人でも女性がいるだけでそこにいる男性はほぼほぼ”凡夫”になる・・・・笑

 

女性が男を凡夫にするという意味ではない。

 

しかし優秀にしてくれるのも同時に女性である。ちとややこしいシステムです。

 

 

それは好みのタイプだとかも関係がない。

 

Become adult....途端に面白くなくなるのだ。

 

オンラインだとそれぞれの家でするのでこの効力は薄いけど、リアルな場で男だけの集いというのは即座にこの男性特有の比較や競争のない少年時代のような空気になる。

 

これが好きで僕はメンズグループ推しするのである。

 

が・・・

 

この面白さがあるのにも関わらず、実際コロナ以前は男性タントラグループをやるって言ってもなかなか人は集まらない。アフターコロナはどうろうか。。。

 

このエネルギー、空気感というのを、体験するといい(ただこれは僕の感覚なので、全員が体験すると限らないんだけど

 

 

 

 

なんでいいか?というと・・・

 

 

 

 

 

 

『くつろぎ』

 

 

 

 

 

 

なんです。

 

 

ビフォーコロナでは競争競争出世出世金金とやってきた。

 

それが今止まった。そして今後ないかもしれない。そして今寛いでる人は少なくないはずである。

 

僕たち男は今コロナのという言い訳のもと男根を握られている。

実際に握られても死か快楽かで、身動きできないのである。

 

そこからいかに自由でいるか。

これはタントラの課題でもあるのだ。

 

 

どうしたらよいのだろう?

 

 

その握られた手からするっと抜けるには「創造性(クリエーティビティ)」と「遊び心」すなわち少年時代の冒険心に満ちた「まなざし」であると思うわけです。

 

だからこそ、今こそ、集おうではないか!なんて仲良しごっこの青春をやるつもりは一ミリもない。

 

自分という生き方にコミットして・・・

 

少年時代に考えて遊んでいなかったように、

 

楽しいことをピュアに楽しみ、

 

思考から身体へ、

 

生きている身体を感じ切り、

 

色んな”感じる”を体験し続け、

 

分かち合う。

 

少年の頃に戻るのは、誰にとっても弊害はなく、多分誰にとってもいいことだと思う。

 

ただし、少年というのはちとうるさくて自己中で鬱陶しいものだ。

 

またMenZOOMやります。

 

次回6月3日(水)予定

 

20:00〜

 

いままでメンバーは自然に決まっているので、自然に決まるはず。

 

どうぞメンズクラブへ送り込んでください♪w

 

 

 

オンラインという可能性『Tantra in the Room』改め・・・

オンラインという苦手意識がへばりつく・・・泣

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昨日オンラインタントラ『Tantra in the Room』を開催しました。

参加していただいた皆様、もしこれを読んでいてくれていましたら改めてありがとうございました♪とてもいい時間でした

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オンラインで会を行うのと実際の場で会って行うのとでは、受け取れるものは、やる側は出力100%とて、おそらく半分?良くて3分の2?くらいなんじゃないのかなと感じていますが、どうなんでしょう?

 

もちろんやることの種類にもよると思いますが。

 

僕のワークは身体を動かしたりしたいので、音を使わないと出来ない。

ダンスレッスンと似た感覚があります。

ただダンスレッスンのようにリズムやスピードを合わせる必要がないので、音のズレなどはさほど気にならないけど、基本同じような感覚です。

 

そこでZOOMの環境を勉強するためにダンスレッスンの先生たちがあげているYouTubeをいくつか見てました。コロナでダンス教室はもちろん閉鎖対象で、先生たちは悲鳴をあげながら動画をアップしていました。なかなか飲食とともに切実な問題です。

 

幸いにも僕はサロンやレンタルルームを借りていないのでどうにかなっていますが、教室用に部屋を借りている人たちはなかなかの死活問題でしょう。

 

それでも先生たちはオンラインでやろうと頑張っている姿は理解できるんだけど、やはり、声なき声の「実際手取り足取り現場で踊りたいし教えたい」って言葉が聞こえてきてしまいます。そりゃそうだ、当たり前だ。

 

でも「今はしょうがないからオンラインで」とやっているような感じを受けます。

ん?「しょうがないから?」と引っかりますが・・・

 

そんな中、いくらオンライン苦手とて、コロナ以前のオンラインでは気づかなかったことがいくつかあります。

 

一番大きいのはオンラインだと、例えば誰と話しても、ほぼ緊張はないということ。

 

今までのオンラインはいわゆるミーティングという気心しれた人としかしていませんでした(それ以外する必要もなかった)

 

コロナになり、さほど知らない人または全く知らない人と、オンライン上で話す又は見る機会が増えました。

自分のことを何も知らない人同士部屋と部屋で話し、お互いの部屋が見えるという一種奇妙な現象にも関わらず、緊張がない(全くないと言うわけではない)という奇妙な印象を受けました。

 

これはいい面とマイナスな面に分かれます。

 

例えばタントラなどは「人を介在して自分を掘り下げる」「人とワークすることにより自分を観る」要するに他者を鏡と捉えワークを進めて行くという特徴があったりします。

同じような自分を探るワークなどは、実存している人の、生の、リアルな生体エネルギーを発している物体と、ライブで相対することが必要だと思うわけです。

 

なぜなら、そうすることにより、その人を通してやってくるまたはその人を通して見せてくれる、自分の恐怖や、緊張、弱さ、強さ、比較、浮かれ、喜びや楽しさ、いろんなもろもろな自分と対峙出来るからです。

 

オンラインだとそこの部分はかなーーり薄まります。

 

これはなぜ実践が必要かという意義にもつながってくるんだけど、そうした緊張や恐怖などと、共にいながら相対することも、成長への鍵だったりするからです。

 

なので、僕個人的にこの辺がオンラインをあまり信用していないポイントなのかもしれません。

 

しかし、これはオンラインで自分でワークをしようとしなかったら見えてこなかったのと、ここが見えてしまった今、実際の現場でのアプローチも変わってきそうだなって同時に今感じているのは良いポイントでもあります。

 

オンラインというと、今まではカウンセリングやコーチングなど、いわゆる対話で完結するようなタイプのワークの独壇場だったのかもしれません。

 

しかしコロナの現在そうじゃない分野の人たちががごそっと、どころじゃないね、まるっと参入してきて、いろんなやり方を見出し、いろんな可能性を試し、いろんなことに気づいているのが今、そしてアフターコロナだと思います。

 

なので、今までのオンラインでのやり方も、変わらざるおえないのだろうし、同時に世の中が動き始めたら現場での意識も変わってくると思うので、どのみち世の中は、このコロナで変わったということでしょう。

 

あえてもう一つ言うと、オンライン苦手な点はさっきもちらっと書きましたが「オンラインだからね、しょうがないね」「こんな時期だからね、しょうがないね」という若干のあきらめが入る点です。

 

て言う自分がついつい言っちゃってるんだけどね・・・泣笑

 

「しょうがないね」ってなんやねん。。。。

 

諦めていいのか?(笑)

 

でもこれは常識が変わるってサインなのだと思います。

こんな時期だからねとは、過去があってこその言葉、過去と比べての物ですし。

 

タントラの言葉で好きな言葉があります。

 

「状況状況で動くのだ、留まるなかれ、川の流れに身を任せるかのごとく動いて進むのだ、むしろ動くことすらもいらないただ漂うのだ、その先は間違いなく大海であるということを信頼するのだ」

 

まさに今です。漂いましょう。

 

 

まだまだ色々あるコロナナウですが・・・

 

タントラの話に戻りますと。

 

Tantra in the Room』改め・・・

 

TANTRA OF THE ROOM』としてタントラワークオンラインコースとして、ワークショップのラインナップとして加えることとしました。(なんだかんだ言いましたがw)

 

第1回目:6月21日(日)19:00〜21:00

 

当面は以下のようなスタイルで行います。

世の中が動き始めたら当然全ての動きも変わると思うのでとりあえずです。

 

エントランスフィーとして一人1000円(同じ環境でお2人の場合でもそれぞれお支払い)ドネーション・・・ワークを受けてみて受け取ったものを「お金」という価値でも、「物」(野菜や、地方特産品などなど)という価値で、お支払いしていただくことにより循環を共有します。

 

物々交換も可能にしたり、フレキシブルにしたいと思います。

 

 

6月21日(日)は新月です。

僕は原則新月満月狙いませんが、面白くなるといいなと思います。

 

6/21(日)『TANTRA OF THE ROOM』〜ハートへの滋養〜

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日時:6月21日(日)

19:00〜21:00

 

費用:エントランスFeeお一人1000円+ドネーション(受け取った分)

*この価格設定も変化して行くと思いますが、今回はこれで。

 

参加要件:

・どなたでも、どこからでも
・お申し込みの方へ ZOOMのIDを送付いたします。
・お支払いは原則Paypalクレジットカード払いとさせていただき、他のお支払いが良い場合は個別対応させていただきます。
・ZOOMで行う予定ですがビデオ動画にて参加でき、かつ顔を出せれる方
ヨガマット1枚ほどのスペースで構いませんので軽く動ける場所を確保できる方(車内不可)
カップルの方などはひとつアカウントでお二人での参加は可能ですが、なるべくそれぞれのアカウントでお入りください。
・開催時間内、家庭内用事やトイレやスマホチェックなどせず、時間内は会にコミットしていただける方
・アルコール飲酒しながらの参加は禁止
 
参加申し込みは以下フォームより・・・
 
 
では
 
LOVE and HUGS
 

家でするタントラ for EveryOne Vol .3『踊りの中へ消え去る』

タントラを理解したいならナタラジ瞑想をやれ!

 

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と言いたいほどナタラジ瞑想を愛している。

 

ま、でも瞑想というのは相性というものがありましてね、ひとそれぞれ合うものをやればいいです。

 

なぜこのナタラジ瞑想かというと・・・

 

この瞑想にはタントラの要素が多く入っちゃってるんだよね。。。決していわゆるタントラの瞑想ではないんだけど。

 

OSHOはこの瞑想法についてこう言っています。

「エゴの中心である踊り手を忘れ、踊りそのものになりなさい。それがこの瞑想だ。自分が踊っているのを忘れ、自分が踊りそのものだと感じはじめるほど、深く踊りなさい。分裂は消えなければならない。そしたらそれは瞑想になる。
 もし踊りと踊り手のあいだに区別があったら、それは一種の体操だ。健康的で良いものだが、霊的で精神的だとは言えない。それは単なる踊りだ。踊り自体は 良いものだし、それはそれですばらしい。踊った後、あなたは新鮮に若々しく感じるだろう。でも、それはまだ瞑想ではない。踊り手は消えなければならない。 踊りしか残らなくなるまで――。脇に立って、傍観者でいてはならない。没入しなさい!
 そして、遊び心を持ちなさい。<遊び心>という言葉を、いつも覚えておきなさい。私にとって、それはまさに基本的なことだ」   Osho

この説明文もタントラっぽい訳です。

遊び心、エゴを忘れ、新鮮に、若々しく、、、。

 

 

この瞑想法は超シンプル『ダンス』のみ。踊るパートが40分、そのどこにタントラ?と思うかもしれません。

 

 しかし、この瞑想のガイド文は上記のようにとても美しいガイドの言葉があります・・・が・・・そう簡単にいくかいな・・・ではあります、が、とても美しい瞑想法であります。

 

 ではこの瞑想法をなぜ推すかというと・・・

 

まずタントラにおいてダンスは必須であります。

 

なぜダンスが必須であるかというと・・・

 

ダンスは、もちろんストレスリリースなど一般的な効果もあります。

 

踊り始めると、または、踊らないまでも、音楽に身を任せ身体を揺らしたりしているだけでも、自然に呼吸と、無思考に、身体への気づきへと、繋げてくれるからです。

 

なので普通に身体を踊らせるという行為だけでも喜び楽しみに繋がります。

 

なのでまずこの自分を喜ばすということがタントラでは重要になります。しかし、この喜ばすって簡単には書けますが、なかなかの難関な第1段階でもありますね。ま、この話はまた別て。

 

テクニックはその次。

 

余談ですが、踊る姿というのは実はその人が如実に現れてしまうのものでありまして。

 

いくら仮面をかぶろうと、遠目で踊ろう、人影に隠れようと、その人自身があぶり出されます。

 

よく踊ること自体を恥ずかしがる人がいますが、もうそこにいるだけでバレバレなので、いち早くカッコつけるのはあきらめましょうw

 

「あーこの人はこうやって異性と接するのか」とか「こういう態度なのか」とか、「案外人生に疲れてるんだな」とか、はたまた「ほーこういうセックスをするんだろうな」とか、とか、丸見えなのであります。

 

表面的なことじゃなく本質的にその人がわかる簡単なツールです。

 

もう一つは・・・

 

タントラの大事な要素である『頂きと谷』が自然に体験できる。

 

ただし、一回やったくらいで、『頂きと谷』や、はたまたエクスタシーに似た感覚を得ようなどと思ってはいけませんが、その練習になるのは間違いないでしょう。

一度は21日間連続でやってみるなど、やってみてください♪

その後日々の生活でたまにするということをしてみてください。

 

そしたらある日突然・・・なんてことが起こる・・・かもしれません。

 

でもそれが目的ではありませんので、注意してください。

 

あるとき爆発が起こるでしょう。僕がそうでした。

その爆発を一度体験すると、もちろん毎回は起こらないものの、いろんな気づきへと繋がっていきます。

 

ご飯食べる時も、セックスも、ただ座っている時も、ダンスも、「あーー瞑想って同じなんだ」って理解がやってくるかもしれませんし、一生来ないかもしれませんけど。

 

 

先日SpotifyでOSHO瞑想がフリーで聞けるようになったようです。

期間限定なのか知らないけど、この時期にはいいことだと思います。

 

OSHO瞑想は基本アクティブ瞑想と言われ身体を動かす、身体にフォーカスさせた瞑想方法が多く、黙ってじっとしている瞑想法はほぼありません。

 

その代わりガイド音楽が入り、簡単に誰でも瞑想できるようにデザインされていますので、時間と場所さえ用意すれば誰でもどこでもできます。

これらの瞑想法はOSHO在命時に彼と弟子やミュージシャンたちと共に作られたOSHOの息吹が入った瞑想法であります。

 

初めての人は始めの何回かは経験者とすることをお勧めします。

 

今12個くらいかな・・・CD化されていますね。

 

Spotifyには13個の瞑想がFreeで聞けるようにあっているようです。

 

https://open.spotify.com/album/4HjGYRk0We3KWlN4IgUGZA

 

ぜひお試しを〜〜〜

 

良い1日を〜〜〜〜

 

 

小さな緊張と小さなホコリ落とし

TANTRA in the ROOM」Vol.0を開催します♪
*満席となりました。ありがとうございました!
 
初のオンライン開催♪

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 それに向け過去比較的読まれている投稿を載せておきます。。。
 
タントラとは?

kabr1218jp.hatenablog.jp

 

触れるとは?

kabr1218jp.hatenablog.jp

 

他はカテゴリー「タントラ」からタントラ関連の記事まとめています。

  
さて、いろいろな人とオンラインで話している中で、チリが積もるような緊張(ストレス)があるという感覚を受けるようになりました(なってきました)それが今まで通り働いている人だろうと、職を失った人だろうと、変化がない人だろうと。
 
多分これってしばらく積もり続けて、新雪のように一見軽くふわっとしてるけど歩きづらいっていう状況なんだろう。
 
僕自身はというと、それほど大きく生活スタイルに変化はないし、変ってないと思っていたし(そう思うようにしてたかもだけど)でも変わってしまっていることに気づいたり。
 
自分にも小さな埃がたまり、今までと、ほぼ変わらない頻度で、一人でする瞑想やジョギングや体を動かすことは変わらないにせよ、その回数が増えているのは、果たして良いことなのか?良いことなのに、考えちゃたりして。
 
この状態がいち早く収束することが一番なんだけど、でも、この世の中の流れはしばらく、タールのような、粘着物のごとく、へばりつくのだろう。
 
突然来月収束するかもしれないし、1年後になるかはわからないけど・・・コツコツと小さいストレスが積まれていく感じがします。
 
基本的にぼくはコロナ以前からオンラインでの会話はおまり好きでなく(そう思い込んでた)もっというと、オンラインで話すことは避けてるくらいでした。でもそれは話すことを避けていたってことにつながるのはいい気づきでした。
 
このコロナになってから、そうした「状況(コロナでオンラインでしか話せないようなこと)」がやってきたので、それをあえてやってみることにしました。(なんとかを克服してみましょうとかっていうよくあるやつw)
 
そうしたら案外いけるじゃないか俺ってなり、日々いろいろととやっている最中です。
 
ですが、基本オンラインでなくていいじゃん派であることは変わりませんけど。
 
そんななかで、実際の現場でタントラのグループを開催できたら一番ベストなんで、様子を見つつ過ごしていたんだけど、なかなか、じんわり先延ばしにされ、予定していたグループも一個一個キャンセルされ、結局は今は予定はすべてなくなりましたが、それでも夏に予定だけはしています。
 
じゃオンラインで?
 
と、簡単に出来ればいいんだけど、なかなかオンラインでなくていいじゃん派の僕にとって、腰が重かったわけです。
 
ま、でもこのコロナも近い将来無くなってしまって「今」の生活がまた変わるのかとおもったら、少なくとも1回くらいはオンラインのタントラのコースなるものをやってもいいだろうというところに着地しました。
 
なので開催します♪
とはいえ、先日メールでご連絡させていただいた方々からすでに申し込みがあり、そろそろ満席となっていますが、もしご興味がありましたらどうぞ。
 
 
家でできるタントラ、短い時間でできるタントラ、省スペースでできるタントラを、開催します。
 
少し身体を使い、少し呼吸して、少しタントラのエネルギーと共にいる、少しが大きい時間になったら良いなと思います。
 
 
*いくつかの会に参加させていただき、オンラインコースでは条件を付けさせて頂いた方が良いなと感じましたので参加要件を加えさせていただきました。ご承諾いただける方ご参加お待ちしております。
 
TANTRA in the ROOM」Vol.0
 
【日時】5月16日(土)19:30〜21:00頃
 
【費用】無料
 
投げ銭のお願いあり)
今後の活動にご協力いただけたら幸いです。
以下paypal.meからお願いいたします。
 
 
【募集人数】お陰様をもちまして満席となりました、ありがとうございました。
またやります♪
 
参加要件:
・どなたでも、どこからでも
・ZOOMで行う予定ですがビデオ動画にて参加でき、かつ顔を出せれる方
ヨガマット1枚ほどのスペースで構いませんので軽く動ける場所を確保できる方(車内不可)
・開催時間内、家庭内用事やトイレやスマホチェックなどせず、時間内は会にコミットしていただける方
 
お申し込みお待ちしております。
 
【お申し込み】
 
以下よりお申し込みお願い致します。
 
 
愛を込めて
 
 Kabir

タントラおすすめ本「存在の詩」

タントラでおすすめの本はと聞かれたら・・・

 

間違えなくこの本をおすすめする。

これは亡きOSHOが話した内容をそのまま本になった、いわゆ他のOSHO本と同じ携帯であるが、この翻訳者の星川淳(プラブッダ)氏の訳がとてもいいのである。

 

他の本と比較しても、どこか品があって、空気が慣れている・・・・気がする。

 

この本は古代ティロパの詩(マーハムードラーの詩)の経文からその日ごとに自然発生的にはOSHOが話すした内容です。

 

英語タイトルは「The Supreme Understanding」

至高の理解だよ、すごいよね。

存在の詩

存在の詩

  • 作者:OSHO
  • 発売日: 2020/07/03
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 昔の紙質と写真を楽しみたい方はまだ初期版はアマゾンでも中古が残って買えるようです。

こちらも。

 

 無人島に持って行くならこの本ですね。

 

では良き読書タイムを。

「『性』は『生』って言葉」ってブロクの言い訳

先日このブログを書いたのだけれど。。。

 

kabr1218jp.hatenablog.jp

 

誤解されると良くないので少し細かめに、言い訳wを書き加えました。

 

 

僕は何もいいセックスを、素晴らしいセックスを、提唱とか啓発したいわけではなくて・・・もちろんそうであればいいとは思っている。

基本人様のベット事情は人それぞれが楽しみ工夫すりゃいいというスタンスです。

 

セックスが、性が、当たり前で、ご飯食べるみたいに、シャワー浴びてるみたいに、洋服着替える新鮮さのように、区切られたものじゃなく、核爆弾のようなエネルギー発信地で、生活の延長で・・・なんて風になったらいいなと思っている。

 

僕がやっているタントラのグループではそういう感覚を大事にしている。

 

だから、疑問なんです・・・人それぞれにそれぞれの喜びである「オーガズム」を教えられる風なことを言う人が稀にいるけど、どうやって教えるのだろう?と。

 

オーガズムをセックスだけのものっていうアイデアを捨てることをお勧めします。

ダンスや瞑想でのオーガズムを得れるようになると人生変わりますから。

  

そもそも人は人に上から押し付けるかのように「喜び」というものを教えられるんだろうか?

 

 その人その人が自分の身体の内側から沸き起こる「喜び」を感じたら(こうして言葉にすると陳腐になるけど)それでいいと思うわけです。

 

導くということが仮に出来るのであれば、行き先は「喜び」だろうし、だとしたら本質的には他者は必要ない領域だろうし、そもそも「人知」では導けないのではないだろうかと思っている、きっかけは作れるだろうけど。

 

セックスの話はあーだこーだと、ソコソコの経験値があれば、できるかもしれないけれど、人様にこうして「あーしてこーしてやってください」なんてやってしまったら、エゴのばらまきでしかない。

 

世にはずる賢いやつもいることを知っている。

自分の欲望を満たすために、人からのテクニックやアイデアを自分のものとし、いっぱしのことを書き上げ、それでは私目が「教えてせんじよう」と。

 

特に男性で偉そうに女性の体のことを知ったように語ってる輩がいるが、どう頑張って、どう研究して、どう切り開いて解剖しても、絶対に異性の体はわからないし、体感は得られないわけで、これ至極至極当たり前なんだけど・・・なぜだか、男性は教えたがる。

もちろん逆も然りで、女性は男性の体は理解体感はできない。

 

これは人類の永遠なる真理なるジレンマ。

 

 

男である僕もその傾向を持っている。

だからこのエゴトリップにはすごくすごく気をつけたいと思っているし、気をつけていることの一つです。

 

 

もちろん僕もセックスのことは多く話すけど、それは入り口だからで、目的地はそこじゃないからで、入り口の話をしないことには目的地の話にも行かないし、できないから。

 

でも、この意図はきっと伝わらない。

これはしょうがない。

だから誤解も承知の上で「やつはセックスの話ばっかしてる」って思われるのも承知で書いている。

 

セックスの話って公に向けて話をするのって案外根性がいることで。

そういう意味でも先のたとえそれが自分の欲望を満たすためということが無意識で見えていないとしても、頑張ってらっしゃるなという意味では尊敬はしている。

 

なぜなら全人類のタブーであり、各人の刷り込みがあり、闇があり、個個の感じ方が違うのにも関わらず、均一した考え方(のようなもの)があって、さも、それがソーシャルスタンダードみたくなっているし、そもそも人とそんなこと話すなんて下品みたいなムードもあったり・・・・なかなか根強い意識が残っている。

 

根性というのは集合意識からのアタックとか、声なき批判、妬み、嫉妬、見下し、そういうことエナジーアタックから身を守るってこと。

 

僕の場合はなぜ、そういう状況でもセックスのことを書いたり、ずっとそういった噂が絶えないタントラというワークに関わり続けられているかというと、セックスはセックスだけの小さい世界じゃないということが、タントラによってほぼほぼ確信出来たという経験をしたからで、その先にある、呼び方、感じ方は、人それぞれだと思うけど、それを「瞑想」と言ったり、「静けさ」と言ったり、「宇宙」って呼ぶ人もいるかもしれないけど、そういう「探求」の行為だと確信しているから。

 

だから何か言われても自己犠牲してでも書けるんだと思われる(知らんけど)

 

 

 

さて、ぼくはタントラをやっています、そして普段日常生活においては・・・いわゆるよくありがちな西洋的タントラのこんな雰囲気で・・・・

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*写真は借り物です。 

 

生きているわけでは全くなくて。

 

こんな風な”タントラ”な雰囲気の日常生活を送っているわけではありません。

 

と同時に必要性も感じていない。

 

さらにここ日本では、西洋とは住宅事情も生活事情も大きく異なり、そして畳は素晴らしいのだ(畳で生活してないけども)

 

このコロナでこの辺もよーーく見えてきている。

 

各国が自国の素晴らしさを再認識しているだろうこのコロナ時代。

 

西洋主導の生活様式への憧れや、西洋から入ってくるセラピーだったり、そういう見方を見せられてきた、または、求められてきた、このアジアの片隅に住む者として、冷めてしまっている自分がいる。

 

しかし西洋からは多くを学んだし、これからも学ぶところは多いのは変わらないだろう。

 

でも我ら日本人の瞑想性、静けさ、禅の国であるということを忘れてはならない。

 

とはいえ、こうした西洋式タントリックな雰囲気は大好きだし、求めているし、タントラのグループで生まれてくるエネルギーを愛してやまないのであります。

 

ただそれは決して雰囲気だけじゃない。

 

そこに集ってくる人々のエネルギーによってタントラのリアルな、生のエネルギーのうねりが生まれる場を愛している。

 

こはちょっとした異空間に変わるわけだけど、それを日常生活と繋げて、持ち帰ったら、どこでもタントリックになりうると思っている。

 

それが渋谷の街の中だろうと、場末の駅だろうと、畳の部屋だろうと。

 

要するにその人自身が変われば場所はほぼ関係がない。

 

でも・・・

 

グループを終わって日常生活に戻ったとき、グループでは、起きたことが日常生活に戻るとできなくなってしまうって声も聞く。

 

それはノーマルな現象で、さほど問題ではなかろう、と思ってる。

 

なぜなら・・・

 

グループ(ワークショップ)で体験したことを繋げる練習のために、日常生活があるとしたら、それはまたグループ(ワークショップ)から見たら別の異空間であるわけで

 

では日常という異空間が存在しなければ、そういう気づきは起きないこととなる。

 

要するに差異による気づきが起こったのがグループ(ワークショップ)であるならば、日常生活はそれを生かす場であるとうこと。その逆でも同じです。

 

 

ちとややこしいけど・・・同じという理解が来るには時間がかかるかもしれないけど、多分そういうことだと思うのです。

 

それは雰囲気やムードとかじゃまったくなくて、在り方に対する関わり方だと思う。

 

だから難しいのだ。

だからこそやるのだ。

 

一見刺激的見えるグループが日常生活になるのであれば、それが日常となるわけで、華やかさや刺激が退屈さへと変わるのはどう見ても明らか・・・ってことは前のブログにも書いた。

 

だからどこにいても自分は変わらないという意識と練習が大事になってくる。

 

で、じゃどうやってに戻ると・・・

 

早くタントラのグループを行えますようにってことなんだけど・・・

 

最近「家でするタントラ瞑想シリーズ」というのを書きました。

家でするタントラfor EveryOne Vol.1

家でするタントラfor EveryOne Vol.2

家でするタントラfor COUPLES

 

このシリーズはコロナ収束までたまに上げていこうと思っています。

 

で「家でするシリーズ」実践版を・・・

TANTRA in the Room』という形で短い時間でのZOOMでワークやろうと思っております。

近いうちまたここで告知します。

 

ではまた。

 

 

 

 

 

『性』は『生』って言葉

〜これはもしかしたら男性向けのブログになってしまったかもしれません、そして少し長くなりました〜

 

このコロナ騒動を機に、今まで良かれと思って先代(先祖や伝統、習わしや地域、親や先輩、などなど)から受け継いできてしまったもののなかでも『性』を見直す時が来たように思う(ついに)・・・

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と・・・この先を書き進めてるんだけど、先日お笑い芸人の岡村くんが風俗嬢どうので炎上しているというニュースをみて・・・追筆した・・・

 

*ニュースの詳細はここには載せませんので興味ある方はお調べください(閲覧注意)

 

この彼の発言は悲しいかな、日本の男性(性)の集合意識の中には誰にでも(いい女とかいう主観とか、差別的発言は別にして)ありうるのだと思う。ただ実際に言葉で言わないだけで。

 

彼のような人はごまんといて、むしろ一般的で、別の世界があるなんて思ってもいない・・・男性という生き物は愛に関係することには案外視野が狭い。

 

でも、これだけ、叩かれ、話題に登るってことは、もう多くの人のこの手の『マインド』は沸点を超えてしまっていると思う、ていうか、もう超えているからこそ、こうしてやんや言われるんだろう。

 

話は違うけど、昔のダウンタウンのごっつええ感じとか、ドリフとか、まだかの時代は男性原理が通用していて、いまYouTubeで見れる過去の作品の多くに、セクハラと暴力はたくさん出てくる・・・あの時代ははちゃめちゃで面白いけどね。

 

でもいまやそんな時代も過去の産物となった。

 

ここから書き進め再開・・・

 

『性』は『生』・・・って言葉がある。

 

このコロナで現実感が増した世の中では、聞き慣れたひらべったい言葉に成り下がってしまった気がしている。

 

『性』を『生』へは『実践』があってこそなのだけど、それが、動けなくなったいま、より一層『実践』が重要に見えてきているのだと思う。

*『実践』というのは日常生活にそれらが生かされているかってこと。

 

なのでより『生』がぐいっと幅を利かせてきた感じがしている。

それは人間の根源とか、本来の、とか、野生的なものたちね。

 

『実践』なくしたら全くもって、待っているのは「退屈」さでしかない。

 

『性』は快楽に支配されてしまって、『生』は権力(又は経済)に支配されてしまってきた。

 

なんと、どうやらこのコロナで崩壊しつつあるようだ。

 

性というものが生活になったなら「退屈」がやってくると思うのかもしれない。

だからこそ、岡村くんのように「刺激」を求めてしまう。

 

新しいものを求めること。

 

これはタントラでは最と言えるほど大事な要素である。

 

世の「新しさを求める」は刺激を強める特効薬であって、性欲を強めるとか、ドラッグを使ってまでもってこともある。人の欲求はエンドレスでおばけなのだ。

 

タントラは違っていて・・・

 

「自分」が新しくいることに努める=「在りつづけること」

 

具体的には、日々の生活で新しい道を通る、新しい見方をする、新鮮さを持ってものを見る、新鮮さをもって触れる・・・などなどなど。

 

タントラではそれが浸透したらセックスが「瞑想」となると言われる所以である。

 

支配されてしまったってことは「そこに留まされる」ってことだからやはり「退屈=古い」で・・・自由を求めていながら窮屈なところに自らいる感じを、今まさに体験している感じだよね。

 

でも今世の中止まったことでちょっとした自由感を味わっている人は多いんじゃないかなぁ。

 

でも必ずや人は元に戻ろうとするから、お馴染みのなんとかって(恒常性)原理で、コロナ明けも元に戻ってしまうんだろうけども。

 

でも、きっともう戻れない人も出てくると思う。

 

仕事が変わったり、無くなったり・・・

 

でもこれってよく考えると、瞑想とか自己変革を始めると頻繁に起こることで、むしろ当たり前で、僕の周りはそういう人が多いので、みんな少なくとも1回いや何回も、経験済みだからか、みんなどこか落ち着いてて、むしろ楽しんでいるように見える。

 

サバイブし、工夫して、自分は快適か?自分の喜びは何か?何を優先的に生きるか?を考え始めるわけだ。

 

だから、いい加減このチャンスを逃したらまた同じことを繰り返すのだと思う。

3.11の時もきっとそうだったはずだし、いつの危機もそうだったはず。

 

今まさにが今。

 

今までの欲望界は男性原理主導で、いかにして「気持ちよくさせる」とか「俺ってすげーだろ?」「俺ってすげーんだぜ」と意識の爆走族の爆走を許してきたし、女性界もそれを受け容れてきた。

 

でも、そんなマインドを、思考を、テクニックを(ってものがそもそもあるとしてだけど)ひけらかしたところで、その対象である女性や意識の世界は、もうすでにそんなことに聞く耳をもっておらず、むしろドン引きという・・・ガーーン・・・あゝ男性諸氏よ・・・テクニックなど捨て去る時なのだ。

 

もし、このことを初めて耳にしたならば、周りの女子に聞いてみたらいい。

 

 

でもね、同時に男性たちも気づいている。

 

 

俺たちのやっていることは何か違う気がする・・・

 

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うんざりしてるけど、どうしたらいいかわからないにいるんだと思う。

 

僕ら人類、特に男性はアダルトサイトで間違った学びを多くを学んでしまった人たちは多くいる。

見に行けばわかるが、何億とあるアダルト映像はどれも同じで、それも何年も、手を変え品を変え、タイトルを変え、新しいように見せているだけで、内容は1ミリも変わっていない。

 

ただただ同じようなものが、工場の排水のごとく垂れ流されている。

 

 そういったもの、結局地球への負担と同じで、自分の体力や活力、滋養、タンパク質なども、同時に垂れ流しているだけなのだ。

 

つくづく地球は自分だなって思う。

 

削減したらいい。CO2削減と同じで、きっと空気は綺麗になる。

 

 

このAVの世界も新しいものが欲しいという原理は同じで、刺激を求めてるけど、もう刺激するものがこちら側に無くなった。ただただ退屈な動画なわけです。

 

 

やめろとは言わないし、思わないし、たまにはいいと思う。

続く世界では続いていくと思うしね。

 

ただ見方を変えるにはいい時期なんだと言いたいわけです。

 

この身体で生きている残りの時間に、身体としての喜びを、小さい小さい射精というオーガズムではない本物のオーガズムを、体験したいって思っている男性は結構多いと思うし、実践している男性も多くいると思う、けど、まだ絶対数が足りてない気がします。

 

 

どうしたらいいか?

 

 

 

つづきは有料ブログで〜と言いたいが僕にはこのテクニックがない。。。悲笑

 

 

 

 

 

 

 

女性に聞いて教えてもらいましょう♪

 

 

 

男性マインドにとってこれがむずいんだけどね・・・w

 

 

 

今のコロナ授業中に、セックスは瞑想で、セックスは探求である。って新しい理解を脳みそに刷り込むにはいい時間だと思います。

 

上から物言うようだけど、言わせてもらうとw

 

人類全体の男性性の意識が底上げごとくステップがあがったら人類はきっと大きく変わると思うんだよ。

 

今絶対的に男性性、男性原理の意識の底上げが必要です!

 

 

やること簡単・・・

 

 

自分の身体の感度を上げていくこと。

 

感度を上げるといえど、「感じる」はけっして気持ちがいいことだけじゃないこと。

苦みがあるから甘みを感じれること。

塩味があるから甘みが増すこと。

  

自分の身体から始めていくこと。。。思考からではなく。

 

そうしたら不思議なもんで生活に変化が起こってくるもんです。

そうしたら仕事を変えざるおえないような価値に出会ってしまうかもしれないもんです。

 

そうしたら潔く変わっちゃいましょ。

 

そしたらきっと新しくも楽しい世界が待っている。

 

多分この騒動は地球にインパクトを同時に与えたから全人類の意識の地殻が動いていると思うから。

 

みんなで渡れば怖くないよきっと。

 

生きましょ。

 

良きコロナタイムを♪