先日書いた記事で男性のせいについて書いた。
男性は射精に囚われる。
ポルノの影響は計り知れない。
さて、なんで僕が射精について書くかというと・・・
男の体を持って生まれたので、男性機能のメカニズムがわかるからで、
更に言えば、僕は女性の体のことを書く気はないとうか書けない。
わかりえないから。
ただ瞑想の手助け、または、瞑想のその先へ行く助け舟のいくつかある 、一つとして、「射精」を理解するならば、またはその成り立ちの理解が深まったなら、または今まで当たり前だと思っていた価値観に変化が起きたなら、瞑想へ誘えるツールとして役に立つ。
ゆえに男性にとって射精は避けては通れないと思うから書いている。
決して快楽追求をしたいわけでも、来たわけでもないし、どちらかと言うとそちらの研究は疎い。
なので、僕個人の見解だし、違うと言う人はごまんといることも、話にならんと聞かない人もいることは百も承知で書いているので・・・
読みたくなければスルーして欲しいし、読みたくない人には届かないだろう。
なんども言うけど、射精はオーガズムではない。
連続運動の刺激ゆえか、脳の突発的過剰興奮によるもの、繁殖に属する行為で起こりうる排出行為でありましょう。
なのでオーガズムかと言えば違うと思うのです。
じゃオーガズムって何?ってことだけども。もちろんこれだけでもないだろうが。。。
オーガズムには2つあると言われている。
- 絶頂のオーガズム
- 静かなるオーガズム(谷のオーガズム)
まず絶頂に向かうには、静かなるものだろうと、激しいものだろうと、初めは両方興奮があり、それは手助けしてくれるツールだと思うといいでしょう。
タントラにおいては谷のオーガズムの探求と言われている。
OSHOは「大いに興奮しなさい、もっと強烈 に」と話しをしている。
興奮を否定しているわけでなく、もっともっと強烈に絶頂に達するのに手助けするようにしなければならないと言っているのだよね。トータリティっすね。
だが、こうも言っていて、ここ大事。
タントラにおいては興奮は始まりに過ぎず、なるべく動かないように、そして動くときはほんの少し動き少しの興奮を用いる。
そして止まり、動く、を繰り返す。
そうする事によって持続は何時間も続くとされている。
これは是非実験するに値する。
しかし、実技にはなんでもある程度のプラクティス(訓練)は必須であるし、時間もかかるし、決してインスタントに昨日習ったから今日できるって類では決してないし、実技というものは、一度体感として会得するすれば出来るようになるが、探究心がなければ、向上も進化もしない。
そして、さらには、誤魔化してはいけない。
探求とは名のもとに、単に性解消の手段をオブラートに包み、パートナーを探し、表向きに瞑想やタントラ言う言葉を巧みに使い、身体のみを安易に求めるケースも、輩も、世界中にはいることだろう。
これは無意識の場合と意識的な場合があるけれど。意識的ならたち悪い。
ものすごい釣り餌を持っていたとしても、逆にその釣り餌につられてしまっても、自己責任において自己の行動に責任を持つこと。
だからきちんと自分のなかで「YES」と「NO」の線引きをしっかりとしましょうと、ワーク中では何度も何度も言っている。
でないと余計な起こらなくていい問題までもが起こることは容易にわかる。
タントラワークというのは、そんな上っ面のセックスだけのことではない。
信頼も、繊細さも、必要な類い稀なるワークである。
かと言って、別にこれをやらねばいけないと言うわけでは全くもってないし、これをやるチャンス巡って来たら探求すればいい話だ。
来る人は来る。来ない人は来ない。去る人は去る。
誰しにも合うワークだととも思っていない。
人にはそれぞれ役割も、居場所もある。
じゃどうやって谷に入って行くかは、また書こうと思います。
タントラ入門書としてはこの本はおすすめです。
*ちなみに絶版ですのでもう書店では手に入りません。
タントラ―セックス、愛、そして瞑想への道 (OEJ books)
- 作者: 和尚,スワミ・アナンド・チダカッシュ
- 出版社/メーカー: 和尚コーシャ瞑想センター
- 発売日: 1992/11
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る