JOY of LIFE!

タントラのカビールのブログ TantralifeJapan代表

愛と憎しみのゲーム

悟った方はこうも簡単におっしゃるものだ。

ここにはまっているのを人類と呼ぶのだろう。

 

人ってそうは思っていないかもしれけれど。 

人は喧嘩をする。

人はかまって欲しい。

人は寂しく孤独じゃないと思っている。

どちらか片方にいがち。

 

そうしていた方が安心だから。

だから対立が起こる。

 

文化経済も発展していく以外はない。

どちらの「もっと」を求めるから。

 

これをやめることは怖いこと。

ただあるってところにいないといけないから。

 

でも愛はただあるはず。

 

ゲームをやめよう。

 

そんな朝。

 

良い1日を!

 

OSHO「存在の詩」から抜粋・・・

 

存在の詩 和尚 OSHO

存在の詩 和尚 OSHO

 

 

 

暴力と非暴力はふたつのの別々のものじゃない

怒りと慈悲はふたつのの別々のものじゃない

愛と憎しみはふたつのの別々のものじゃない

 

だからこそ・・・

 

あなたはちゃんとそれを知ってるし

それを観察しているのに

ただその事実を認めないほど無意識なのだ

 

あなたの愛は一瞬の間に憎しみに変わってしまう

 

もしそれがふたつのものだとしたら

どうしてそんな事があり得る?

 

1秒もいらない

 

この瞬間愛していると思えば

次の瞬間あなたはその同じ人間を憎んでいる

 

朝、愛していたその同じ人間を

昼までには憎み

夜にならないうちにまた愛す

 

この愛と憎しみのゲームにはとめどがない

 

実際のところ

愛と憎しみというのは正しい言葉じゃない

 

愛ー憎

怒ー慈悲

 

それはひとつの現象なのだ

ふたつの別々のものじゃない

 

愛が憎しみとなり

憎しみがあいとなり

怒りが慈悲となり

慈悲が怒りとなり得るのはその為だ

 

タントラは

区別というものはあなたの心によって持ち込まれ

そうしておいてあなたは戦いを始めるのだと言う

 

あなたが最初に区別をつくり出すのだ

あなたは一方の側面を非難し

もう一方を褒めやかす

あなたが最初に区別をつくり出し

それから今度は戦いをつくり出して

結局自分で難儀をする

 

OSHO