今日ニュースで南海キャンディーズの山ちゃんが、なんと蒼井優とご結婚とな・・・おめでとう!
2人とも好きなキャラでなんだか微笑ましい。
多分山ちゃんは彼女のことをすごーーく好きだったんだろうな。
結婚するしないはどーーでもいいけど、彼にとって彼女と付き合えたことは冥利に尽きるんだろうな。
蒼井優は大好きで出演作品ほぼ見ている。
作品がどうこうでなく、彼女を見たくて出演映画を見るってやつ。
好みの仕草や笑顔を見たくて観てる。
だから彼女の汚ない姿だろうと、綺麗だろうと、僕の目を映るものは美なわけです。
彼女に限らず汚たなかろうと綺麗だろうと美は光る時が光る時。
そのまんまの時に美は光ると思うわけであります。
コントロールなんて出来るはずがない。
自己信頼
それでも美ってなんだろう?ってこの過剰な美意識時代に思うわけ。
メイクとかファッションの話じゃない。
コネコネした美も好きだけど、それはまた別の話。
なんであれ、みんな美を求めてる。
でも美は自分の写し絵だから百万の美がある。
鏡の側に写る美ではなく、こちら側の美が美なのに、みんな鏡ばかり賞賛する。
自己保身(エゴ)のためとか(モテたいとか)、着飾る(自己盛り)時は大抵歪んでいると言って間違いない。
だから芸術家がもがき苦しむのは、ありのまま出さないと美じゃないってわかってるから。
もののけ姫でアシタカが「曇りなき眼で見定める」と言ってエボシが笑う。
最後さらにジコ坊が「バカには勝てん」と言ってバカが勝つ。
バカが美しいの基本だなって思うのよね。
でも美は量じゃないし、量り売りや切り売りも出来ない。
だから美しい時は何をしてても、何を着てても、ノーメークだろうが美しい。
美で在る時は圧倒的にただただ美なのである。
時に人を傷つけてしまうかもしれないし、嫉妬させたり、怒らせる。
なぜかは簡単で、自分は持ってないと思い込んでいるから、人に嫉妬したり怒ったりして自分を守ろうとする・・・自分には出来ないと思い込んでいるから。
そんな自分の小さな小さな価値観メガネで見てる時だけ起こる現象に振りされてしまうのが人間らしい行動と言えるかは知らんけど。
そこを観察すれば嫉妬や怒りに苦しまない鍵があると思うんです。
ぼくもそうじゃないと思うから多分瞑想を始めたんだと思うし、鍵がある気がして。
タントラというワークに出会ってから、自分をさらけ出して、丸裸になって、恥かいて、嬉しく飛び上がって、喜んで泣いて、なんて人間らしい姿をたくさん見てきた。
その人がありのままあわらにされちゃうワークタントラはちと怖い、でも人間が人間らしくあれた時、本当の美しさと強さが立ち上がってくるように思います。
美しい瞬間だけじゃない、醜い瞬間も、ずるい瞬間も、嫉妬も、怒りも、たくさん見てきたけれど、それでも人はそのままでいれた時は美しいです。
だから上っ面の醜いとか美しいとかわからなくなる。
そうじゃない「何か」が美しいのだろう。
そんな姿をタントラを通してたくさん見て来てしまった、からにはシェアするしかないし、もっと見たい、という思いが僕の活動の原点になっているのかもしれない。
「セクシアリティはアートだ!」って言葉が来た。
まさにそうで、このセクシャリティほどアートはないと思う。
クリエイティビティ、トータリティ、バイタリティ、プレイフル、芸術活動に必要なものがてんこ盛りである。
そんなことを体験できるタントラというワークに関われて嬉しく思っている。
6月8日(土)タントラの瞑想会やります。
7月に京都で行われるトレーニングの前座コースです。
ぜひおいでください。まずは第1歩。