JOY of LIFE!

タントラのカビールのブログ タントラライフジャパン代表

仏陀のセックス観

仏陀やキリストなど悟ったと言われる人たちはセックスなんてしないと思ってた。

 

キラーーーン

f:id:kabr1218jp:20190616153144j:plain

手塚治「ブッタ」より拝借

 

しかし、世界を揺るがす男たちである。

 

人が寄ってこないはずがない。

異性にモテないはずがない。

そもそもしないはずがない。

人間だもの。

 

しかし、悟ったのちは「」のみならず「」の質が変わるんだそうな。

 

だから「愛する」ってことが変わるんだそうな。

 

でも外見は変わらないから仏陀は悟り後、批判を受けるわけです。

 

小学生が声変わりするように・・・

もう前の声はないし、昔の声は出せないし、どんな声かも思い出せないように。

 

完全に変わってしまった。

 

こと「悟り」というか「宗教」の世界では性を禁じる。

溺れる奴と利用する奴が多いと言う理由からでしょう。

 

 

悟りと無縁の僕でありますが、若かりし頃、いわゆる「性欲が強いんです」って言う日本人男子にあるオーソドックスな悩みある若者だった。

有り余るエネルギーをどう昇華できるのか?ずっと考えてた。

一見崇高ですが、典型的な、単なる欲求不満な若者だった。

 

どこに向けていいかわからない。

だから簡単に蓋を閉めれた。

 

スピリチュアル的に言うところの「抑圧』ですね。

 

それでも若い頃やっていた仕事がクリエイティブ系(今もそうだけど)で楽しかったし、華のある世界だし、エゴを満たせる、仕事だった。

だからか、それなりにエネルギーは回っていたので、日々の不満の爆発はそれほどでもなかった。

何年も彼女がいないなんて期間の方が多かったにも関わらず。

 

 

今の若者のことを草食系だのとやんや言うが、最近草食系は普通な状態なんじゃないか、むしろ正常な人間像に戻ったのではないかと思うようになった。

 

我々昭和の人間からすると少し薄味な気がして、草食系などと名付けたのだと思うけど、人として正常な現象ではないかと思う。

 

今は昭和と比べても娯楽にしろ、自分一人で楽しめることが、男女問わず爆発的に増えたので、もうめんどうな関係性は必要ないと言う発想になるのはわかる。

 

逆に無理に関係性を結ぶとへんな事件や変な病気になるという現代の闇でもあるかのような社会である。

 

それでも伝統継承的に結婚や子供を作るということは永遠と続くだろうけど。

 

だから問題は消えない。

  

悲しく聞こえるかもだけど、欲望としてのセックスはそんなものじゃなかろうか・・・なければないでどうにかなっちゃうもの。

 

気づいていたらだけど。

 

愛のセックスは・・・本来しないではいられなくなるものなんじゃないかな。

 

話が逸れた・・・

 

仏陀に戻すと・・・

 

これはOSHOの語った言葉の引用で、本当に仏陀がそうだったかはまた別の話だけど

多分こんな感じだったんだろうなと思う。

 

 

彼(仏陀)の父親が王国の美しい女性たちを大勢彼のまわりに

はべらせていた。

美しい少女たちが、彼の宮殿には勢ぞろいしていた。

彼はただただうんざりしてしまった。

そうなって当然だ。

そんな暮らしをしていれば、誰だってうんざりする。

彼はセックスにひどく辟易していたので、

このエネルギーが変換されうるとは思いもしなかった。

彼はそれを一度も試さなかった。

誰かが性エネルギーは

聖なるエネルギーに変わりうると言っても、彼は耳を貸さなかっただろう。

性体験の豊富な彼にとって、セックスには何ひとつ神聖なものがなかった。

それは肉欲にすぎなかった

 

 

う〜む。

 

・性エネルギーは聖エネルギーになりうる・・・ 

・肉欲に過ぎない・・・

 

ってことを宮殿にいて何不自由なく暮らしていた仏陀はわからなかったそうである。

そう言うことはむしろ逆で胡散臭く思っていたそうである。

 

なのでうんざり地獄。

何してもうんざり、どうやってもうんざり。

 

現代と一緒だね。

でも、うんざりするまでやらないと変化の兆しはやって来なかったりする。

 

そして仏陀は宮殿を捨て探求の道を歩み始めた(あくまでも伝記上であるけれど)

 

 

習慣にはまってしまうとなかなか抜け出さない。

 「終わる」という選択しか無くなって(と言う思考に捕まって)

でも変化は怖いから、何をするかと言うと、

「妥協」をし始める(と言う選択肢しか見えなくなって)

 

そしてさらに「諦める」

 

「諦める」ってことを成し遂げたのに!

 

今度は「惨め」がやって来て

 

「惨め」も通り過ぎると、

 

あとは「死」を待つしかない・・・がーーーん。

 

「惨めさ」は受け容れ難いので、

みんな「何か」を過去へ置きざりにして生き始める。

 

だかららおっさん(僕w)は「昔はよーーー」ってやり始める。

これを言い始めたら要注意であーるww

 

だから老化と怠惰がやって来てこりゃやばいってなる。

 

そうすると何かし始める・・・

 

毎日ゴミを出しの日を気にして、それが生きがいになったり、

 

ご飯の用意のことばかり考え、決まらないとイライラしたり、

 

掃除を過剰にし、捨てることばっかり考えてたり、

 

一見は常識人でむしろめっちゃいい人だ。

 

だからそれを演じ始める。

 

でも自分はいない。

 

だから老け込む。

 

ケンシローに突かれるが如く「おまえはもう死んでいる」宣告されてるのにいい人ぶる。

 

と、おおげさに書いたけど、もちろんこれは僕も当てはまる(痛い)

 

だからこそ、みんなが「今」を意識して、みんなが「今」を生き、みんなが「今」をないがしろにしなくなれば、みんなが小学生の声変わりのようなことが、変化が、訪れる。

 

そんな先駆者である、仏陀やキリストがやったことは何かというと・・・

 

・・・

 

瞑想だったわけです。

 

 

内側にしか、若さも、力も、光もない。

 

だから生きづらくなったら瞑想しかない。

 

ようだ。

 

少なくとも同じ人間がそうやって内側に輝きを見出したわけだから。

 

超越ってやつ少年期の延長が青年期ではないのと一緒なんだそうだ。

爆発的に起こるんだそうだ。

ある日内的爆発が起こる。

 

 

だから瞑想してる人は若い。

 

瞑想へのジャンプが変化の可能性を秘めている。

 

だからまずジャンプしないといけない。

 

この時代だからこそ。

 

飛びやすいのです。

 

 

ナマステブッタ。

ご拝読ありがとうございました。

 

タントラはそんな性のことや、生きること、いろんなことにオープンなワークです。

 

大そうな人生を変えたいとかでなくとも、身体を感じることから始めませんか?

 

 

そのトレーニング=練習が7月に京都であります。

その名も「SEX and BODY」

どうぞいらしてください。

 

7/13~15 タントラライフ トレーンングZERO ~SEX and BODY~ in 京都 – Tantralife Japan