野生〈ワイルド〉になる瞑想法
最近綺麗な人がすごく多い。
小汚いやつなんぞ見当たらないんではないかというくらい外見はほんとに綺麗である。
この夏海で目についたのは若い男の子たちがこぞって鍛え上げた筋肉を見せつけるかのように裸で歩いている姿だった。
無駄に盛り上がった筋肉を、見せる為に作ったと言わんばかりに・・・
時代が筋肉を求めているのかと思わざるおえないほどマッチョくんたちが多い。
女性たちは目の保養になるのか。。。知らんけど
でもね、使われていない筋肉は正直あまり美しくない。
さて、OSHOへの質問にこんなのがあった。
「最近、悲しいのです……これといって理由は分からないのですが」
これは時々襲って来る。。。突然と現れ、突然と消えることが多いけど。
意味もなく悲しい、意味もなく寂しい・・・
そしていつもOSHOは厳しいんだけど・・・
こんな風にまず答えた・・・
あなたは抑えている。
それが問題のすべてかもしれない。
あなたは生を信頼していない。
どこか深いところに生への不信がある。
自分がコントロールしなかったら物ごとはうまく運ばず、自分がコントロールして初めて物ごとはうまくいくのだから、自分はいつも物ごとを慎重にコントロールしていなければならないとでもいうかのようだ。
それにはおそらく子どもの頃の条件付けが一役買っているのだろう。
それが大きな害を及ぼしてきた。
あらゆることをコントロールし始めると
その人の生は最小限にしか生きられないからだ
ふむふむ
そしてさらに
生はひじょうに広大な現象であり、コントロールすることはできない。
そして、ほんとうにコントロールしたければ、それを最小限にまで切り詰めなければならない。
そうすればコントロールできる。
さもなければ、生はワイルドなのだから。
動物や自然はワイルドだと誰しも認めるけど、こと人間となると、結構アドベンチャー系をやってる人がワイルド系となっちゃってここでいうワイルドとは違った意味合いになる。さらに一般の僕らみたいな人は自分がワイルドであるなんて到底考えないのである。
そしてこう続く・・・
悲しみというのは、喜びになることができたのと同じエネルギー以外のなにものでもない。
要するに悲しみと言う名の下、惨めとともに生きているとも言える。
惨めさ、ひがみというのはこういうこと・・・
自分の喜びが花開いていないことが分かると、あなたは悲しくなる。
誰か幸せそうな人を見ると、決まってあなたは悲しくなる。
なぜあなたには起こっていないのか?
あなたにも起こりうるのだ!
そこにはどんな問題もない。
あなたは自分の過去を条件付けから解放すればいいだけだ。
それが起こるためには、あなたは少し回り道しなければならない。
だから、自分を開く努力を少ししてごらん。
そうなんだよね。
努力しないで、人を羨み、さらにはひがむというね。
まず「自分がやれよ」って話ですね。
さてそんなワイルドさを取り戻す瞑想をご紹介します。
まず、好きな動物を選びます。
自分が全く人間でないと感じ、犬でも、猫でも、虎でも、チータでも、メスでもオスでも、選び、そして、なりきる。四つん這いになり、その動物になりきります。
15分間行う。
その動物になったら、吠え、飛び跳ね、コントロールをせずにそれを楽しむ。
動物はコントロールしない自由な存在であるから。
人は洗練され過ぎ、教養も得て、コントロールし過ぎてしまったようです。
それが時に自分がダメなんだと思ってしまう要因になっているかもしれない。
自分をコントロールしない、動物エネルギーが必要である。
だから少しでも動物が瞬間起こるがまま動いているように、人間もコントロールする自分の制限、教養を外して動物であることを思い出しましょう。
ぜひ楽しんでみてください。
今こそ野生へ