年末にタントラライフトレーニングZERO「LOVE and MEDITATION」を栃木県鹿沼市の石裂山(おざくさん)という山の中にある瞑想の為に作られた施設で行います。
タントラライフトレーニングはテクニックの研究探求ではありません。
厳密にいうとテクニックはあるんだけど、このコースはその免状を取得するためのものではありません。
でもね・・・・
今この瞬間の歓喜を体験無くして、この身体にインパクトを残さずこの短い生を閉じてしまうには、如何なものか、というのがタントラの探求の元であるのかもしれません。
なので日々練習(トレーニング)が必要不可欠だと思っています・・・”その”日に備えて・・・ここでいう練習は「気づき」です。
タントラでは思考を使わず、身体を、ダンスや呼吸を使っていきます。
それらには言葉では無い言葉がたくさんあり、多くを、その人を、語ってくれます。
ティーチャーになるとか、レベルを上げるとか、そういった現世的なものはここでは手に入らないかもしれません。
むしろそういったものや、人生目標や人生設計などが、今まで信じてきたものと、違ったものに思えてしまうかもしれません。
それでも、自分という新たな扉がもし開けたなら、それこそどんな免状よりもこの短い生〈ライフ〉においてギフトだと思うのです。
タントラはセックスという言葉や性という言葉を使います。
(今もたったこの短い文を書いただけで集合意識がビービーと警戒音を発しますwでも書きます)嫌悪を感じる人も中にいると思います。
それだけ傷をおって来てしまったのかもしれません、わかりません。
でも僕らはどうあがいても両親のセックスから生まれて来たという「現実」があります。
そしてセックスは入り口で「入り口を逃すならば出口をも逃す」という言葉があるように、単なる入り口なんです。
ですので、性に特化したワークでは性は開発できたとて、超えられないでしょう、なぜなら身体全体でこの身体に働きかけなければ、身体の小さな小さな一部のパーツに働きかけても、何の変化も起きないでしょう、要するに入り口でわーきゃーやってても何も始まらないということです、ドアは開いているのです、中に入らないと。。。
いっときの快楽のために、ここを見逃し、理解を、その先を見逃してしまったという、いにしえのタントラから今の今まで誤解されているのはここの部分ですね。
だから性だけにとどまらず、しかし、性を避けもせず、棚にも上げず、感情も、思考も、あるがまま、ありのまま、受け入れていく、それがタントラのワークしょう。
なのでライフのワークであり、ライフのトレーニングなんです。
ここがタントラのマジカルなところです。
なのでタントラでは「ナチュラルであれ〈自然であれ〉」と言います。
あるがまま、ありのまま。
ぜひおいでください。
https://www.tantralife.jp/20191227_30_loveandmeditation/
LOVE and HUG