JOY of LIFE!

タントラのカビールのブログ タントラライフジャパン代表

タントラ スピリッツ

性に関する記述があります。不快と思われる方はこの先は読まないでいいのですよ

 

性の話ではありません、タントラの話です。

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でも性のことを話さないと進まないので最初だけ性の話。

 

これは何度も書いているけど、そして何度も書かないといけないんだけど、タントラはどうしてもセックスという言葉を使うし、ずっといにしえの過去から使われて来て、それゆえか、以来ずっと世の中から叩かれ、批判されてきた。と同時にみんな、大げさに言って人類みんな少なからず関心と興味はあって、影からこっそり見ている状態が続いている。

 

 見てるだけじゃ死んじゃうよ。

 

どこでも、どの世界でも、モラルを口にする輩はたくさんいる、モラルばかり口にするそれこそがアンモラルであるというのは皮肉な事実であろう。

 

例えば、ここ日本では、春画展だなんてやると何十万という人がそれも真昼間っから(昼間でいいんだけども)行列をなすわけです。

ちなみにこの展覧会に行ったけど、行った日だけがそうだったとは思えないほど人が凄くて、しかも、ほとんどが中年以降の人たちでした。なんなんだ18歳未満入場禁止っていうライン引きは・・・ったく、せめて中学生くらいからは見せるべきだ。

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この国はすこーしだけリアルに欠けると、なんとなく公然的にOKになってしまうのである。

 

リアリティを選びますか?←ぜひお読みください♪

 

だからというか必然的というか、アニメというバーチャルファンタジーが普及したのもこういった国民性ありきなのだろうなんて思うわけです。

 

そしてこの国には風俗産業というものがある。

これも同様で、「風俗」という言葉は、諸外国からしたら、なんの言葉かわからないという巧み技を使い、れっきとしたセックスサービス産業がありとあらゆる街にある。

多分こんなにもあらゆる街にある国はそうそうないのではないか、恐らく世界一盛んな国であろう。

かといって性活力が世界一かと言うとそうでもないらしい・・・このアンバランスさよ・・・

 

いや、そんなはずはない。。。

 

調査機関が真の統計を取れないのか、国民が真を言わないのか、だ。

 

風俗と言えば何かを濁された感があるが、れっきとしたセックス産業である。しかも男目線である。

法律上ではあるひとつのポイントを超えて金銭授受があるなしで犯罪になるという、ヘンテコなガイドラインもヘンテコであるが、素人がやるとダメで国に届けるとOKというヘンテコも、事実そこに日に何千何万と言う人々が通い、それと同等にそこで”素人”が働くという、なんだかヘンテコなリアリティである。

 

しかし、個人的にはこの産業がなければこの国はもっと危うくなっているだろうと思うので、性産業自体には僕は賛同派です。

 

ということは日本の男性、というより男性社会に問題があるとも言えてしまうのだよな・・・・とほほ。

 

何が言いたいかと言うと、この国の人は性に多大なる関心を持っているにもかかわらず、知らぬ存ぜんで興味なさげに生きてしまっている。

 

タブーという檻のの中だからこそ楽しめるというヘンテコな性を営んでいる風に見えるのです。

 

 いいのです。良い悪いなく、個人の自由ですから。

 

じゃ内容はどうかというと大方クイックにインスタントことを済ましているようです。

 

多分ここに多くの何かが詰まっている気がするわけです。

 

じゃ長けりゃいいのかってことじゃない!

 

タントラをやっていると、質問が来ます。

「何時間もセックスするのですか?」

「毎日がタントリックなのですか?」

 

人はマインドで理解したいから聞くけれど、同時にマインドを理解していないから聞くのです。

 

答えはこうです。

「そういう日もあるでしょ?」

「毎日365日そうしていたいのですか?」

 

実践するが答えなんだけどね、そんなシンプルな答えはマインドは許さない。

 

だから必ず次には「じゃどうすれば?」が続きます。

 

それを実践していくことこそが答えに繋がる自己探求の入り口です。

 

大概は自分のものにしようとはしません。

初めは苦いからです。

 

そして違う性が、別物が、他にもっとすごいものが、あるんじゃないかって焦がれ、別を探す無限ループに入ります。

 

なのでそこは入り口でそこから自己探求へ行くか、ジャングルを彷徨うか、という別れ道になります。

 

 で、タントラの話へといきます。

 

タントラは性に特化したワークではありません。

 

なので、そういう性のことだけを求めている人はワークショップには来なくていいのです。

瞑想を建前に性のことをしたい人は、性のことは今の時代本当にたーくさんありますのでググって自分で調べてそちらで探求してください。

 

タントラは瞑想の探求、気づきの探求です。

 

瞑想というにオブラートをかぶらせて瞑想しに来ても性に溺れたらそこまで止まります。

 

気持ちいいな、こんな別の気持ち良さがあったのかで終わり、今度は次は何があるんだろう?という無限ループにハマります。

 

だからそういう人は必ずタントラは出会いの場だとか、タントラで気持ち悪い人しかいなかったとか、そんな文句ばっか言うんです。

 

タントラのせいでとか人のせいにしているうちは何も変わらないです。

  

だからもうみんなに来てくださいなんて言いません。

 

だから・・・

 

タントラっていう瞑想法に興味があって、むしろ性にうんざりした人は僕のワークに来てください。

 

 セックスは強力です。快楽という豪華景品付であります。

だから簡単にお金で買えるし、お金で釣れます。

 

でも、性とはそれだけじゃないわけです。

 

性は生だし、性は聖なんだと。

 

でもこういうこと言う方がまだ気持ち悪がられるでしょう。

でも近いうちにこっちが当たり前になるでしょう。

 

タントラは口伝です。残り火を次へと渡していきたいわけです。

だからワークをしないといけないのです。

 

と、書いている僕とて、何かを超えたとか、何かを獲得したわけじゃありません。

むしろ知らないことの方が多いです。

 

でもタントラという性を生にする、性をハートから見る、性を超えていけるワークだと思うからこうしてブログを書いているわけです。

 

 

現代のタントラを語る上でOSHOは欠かせません、絶対に。

 

その昔インドでセックスって言葉自体がタブーだった時代に世の中にセックスという言葉を使いタントラということがどういうことか説いた人だし、タントラに関してかなり多くのことを語ってくれている。

その代表が存在の詩という本であります。

  

OSHOはこう言っています。

 

「セックスをしているとき、コントロールしてはいけない。コントロールするのをやめて、カオスのなかに入りなさい。それは怖いかもしれない、恐ろしいかもしれない。なぜなら、それはある種の死だから。そして心(マインド)は言うだろう、『コントロールしなさい!』そして心は言う、『飛び込んでいってコントロールしなさい、さもないと底なし沼に飲み込まれるぞ』心に耳を貸してはいけない、のめり込みなさい。自分を完全に投げ出して、どんなテクニックも使わなかったら、あなたは時間を超えた経験に行き当たるだろう。」

 

これは結局わかると思うけど、セックスの話じゃない。

マインドで自分を制御するなって話だ。

でもセックスって言葉を使うとセックスの話になってしまう。

 

これはこう言った質問から答えている。

『タントラ・セックスとはなんですか……特定の技法に基づく瞑想的なセックスでしょうか?』

 

要するにみんなテクニックを求め始める。

テクニックを求め始めたらもう終わりも見えている。

 

テクニックだから。それ以上行くにはテクニックではないから。

 

長くなりましたのでこのへんで。

 

また。

 

らぶ