今日は緊急事態宣言が日本全国全面解除されるという。
でも『おめでとう〜』とかじゃないし、
『イエーイ』ってのも違う。
ん?
あ、もう前世代的な『おめでとう〜』はいらないんだ。
うん、いらないのだ。
この危機の中、危機と共に、生きていく。
コロナという目に見えない、自分も他人も家族も誰だろうと安全と言い切れない、中にいようが、外にいようが、安全とは言い切れない世界がやってきた。
放射能のように遠隔地に逃げれば放射線は届かない、というのとも違う。
そんなまるで重箱の隅をつつかれるような、いじめのような、詰め方をしてくるものがこのコロナかなと、まさかこんなものが、この現代に現れるとは思っても見なかった。
だから尚更思い当たる言葉あって・・・
いにしえの時代から言われ続けて来て、でもそれは世の一部の人にしか聞く耳を持たず、その一部の人ですら、それを意識的に実践して、意識的に生きていくには難しい言葉があります。
危険に生きるということは安全である。
という言葉。しびれますね。
これは啓発の比喩の言葉ではなく、事実の言葉です。
コロナはこの言葉をよりリアルに見せてくれていると感じます。
でも、よく考えると、これは至極当たり前な言葉で・・・
一歩先が見えない中生きていかないといけないのであれば必死に生きるわけです。
一歩先がどうなるかわからない状況というのは人をより”生きさせてくれる”わけです。
そんな状況どこにあるんだ?じゃなく、本来人生というのはそういう状況なんだと思うわけです。
現代というのは安心安全で世の中が動いてきてしまった。
そういう危機的状況下にいる時っていうのはきっと自分を意識し、自分を守り、より安全なんだと、それよりも、保険をかけて、身動きせず、じっとしている方が、意識的に危険なんだと思うわけです。
人間である以上当たり前の・・・
死ぬときは死ぬ
という真理からは目を背くことはできても、絶対に逃れられないものを、誰が洗脳したか知らないがタブーにしてしまった。
これはセックスも同様。
コロナ以前はこの辺はまだまだぼやけていた。
でもきっとアフターコロナでそれが至極当たり前に生きる時が来る気がします。
だってどこに死が潜んでいるかわからない状況なんだから。
それは日本だけじゃなく、この地球全部でです。
人生に生命保険会社での保険はかけられるけど、実際の人生には保険はかけれない。
この言葉のメッセージは「だからこそ人生というのは楽しむべき」なんだと思う。
何も断崖絶壁、エッジで生きよとか、そんな極端な話ではなくて、自分の喜びに忠実に、喜びから選択して生きる、そうしたら自ずと、ワイルドに、自由に、生きざるおえないと思うのです。
コロナに自分を生きているか?と問われている気がします。
人生がお金=保険という価値ではなくなったということをコロナでは見せてくれているのかもしれません。
人としての、人間としての”当たり前”に立ち戻る。
自然を生きる。
とならざるおえないだろうな。
野生の復活
野生の証明(懐かしい)だ。
まだまだこの言葉を実践して生きているには程遠いけど、自戒を込めて書きました。
では緊急事態宣言解除ひとまずお疲れ様?でした。
僕は非常に楽しい時間でした。
LOVE