僕は男性という存在が怖かった。
今も表層部分では怖い。
それは父親からの時々くらう”雷”や先輩からの暴力や、受けた暴言や、喧嘩や、単に身体的な大きさへの恐怖や、いろんなことが要因して想起させるのかもしれない。でもそんな”原因”を探りほじくることにはたいして興味はない。
縦社会が大嫌いで通っていた中高校で伝統の縦社会の”先輩後輩イズム”が嫌でたまらなかった。でもそれはどこにでもあって、結局は自分がただその(クソくだらない)習わしみたいなものをダラダラ続けるをやめればいいだけの話だったし、そういったずるずる引きずってしまうものなんて、自分の生活の中にもいくらでもあってそれと同じだ、という”スピリチュアル”な理解が来るのは幾分先だったけど。
そんな大括りの男性として、または、自分と共に生きていくなかで、どうやっても感じる、生きづらさや、くだらない見栄とか、意味のない敬語とか、心底嫌になった頃、男の弱さやしょうもなさ(少年らしさと言っておこうw)を感じれた時、男たちのそういった姿を見れた時に、なんだか心底安心してリラックスした。
それがメンズタントラだった。
それ以降そういう場面に出くわすたびに、自分を信頼して、緊張や恐怖を感じながらも、男性(同性)と対面できるようになった。
みんな一緒だって感覚・・・。
そしたらだんだんと(時間はかかるけど)リラックスしている時間の方が長くなっていって、楽しく、子供たちが年齢関係なく遊ぶように、遊べるようになって来た。
そんな体験がまさか”男”として成長させてくれるなんて思ってもなかったから(男とはもっとマッチョで鍛えて鍛えて男になると思ってたから・・・昭和やw)不思議だった。
メンズワークに参加したことで、タントラというワークの奥深さを知れた。なによりその時にいたメンバーが助けてくれた。
だからそういう場を設けたいと思い、メンズワークをやってます(やります)なんか今の時代、流れが早く、流れに乗らないといけないと言われている風の時代(いまいちこの言葉はピンと来てないけども使ってみる)とか言われて、生きずらい人、そう思わされてる人、もいるのかもしれない、でもむしろ逆かもよ?
過去こんな記事も書きました・・・合わせてどうぞ。
#タントラ #タントラライフジャパン