JOY of LIFE!

タントラのカビールのブログ タントラライフジャパン代表

人はノイローゼで生まれてくる

「人はノイローゼで生まれてくる」と言ったのはフロイトらしい。

てことはフロイトもノイローゼである。

 

正確にはノイローゼで生まれてくるわけじゃなくってノイローゼが蔓延している社会に我々は産み落とされるらしい。

 

そして子供時代は”感覚”と共に生き、言語もそこそこしか駆使できず、おそらく子供時代は多くの人がハッピーに生き進んでいく。

 

成長するにつれ親や社会にあれはダメ、これはダメと言われ続け”矯正”されていく。

 

いつの間に男女に分けられ、いつの間にか異性という”異星人”が作られ、手も触れれなくなり、顔も見ることも阻まれ、”ナチュラルさ”が抑圧されていく。

 

さぁどうしたもんか。

 

それでも人間は人としての欲求を持ち合わせるために、性欲や食欲といった一見本能と呼ばれるものに吸い寄せられていく。

 

しかし、その時にはすでに遅しで、もう”思考”の食欲で、”思考”の性欲だったりする。

 

それは”他人”から聞いた知恵だったり、先代から受け継いだ一見良きものとされる”知恵”だったりする。

 

いわゆる思考の世界に入り混んでしまい、迷い込んでいく。

 

都会なんぞに住んでいると余計にその回路がAIの如く発達していってしまい、もう自分の考えか、社会の考えか、人の考えか、比べられなくなり”思考”というものと同一していくという現代人の典型的なプロセスへと入っていく。

 

そして感じることを忘れた思考人間の出来上がりである。

 

だからそれを巻き戻すためにタントラでは身体から始めて行く。

 

ゆっくりとでもきちんと身体と向き合って行く。

 

そうすることによってまずは自分と、そして他人と向き合えるようになって行く。

 

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タントラライフジャパンイベントやってます。ぜひ来てください。

 

ではまた〜

HOKUSAI

映画「HOKUSAI」を観た。

 

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お上に屈せず表現活動をしていく北斎やその周りの人々を描いてた。

 

いつの時代も変わらない。

 

だから自●党を攻めてもしょうがないのだ。その前に自分が変わる。

 

北斎は90歳まで生きたそうだ。

 

それまでに名前を変え住む場所を変え画風を変えた。

 

芸術家だからできるんだとか、すごい人だからできるんだとか、思いがちだけど、それはきっと違う、とっても人間らしい人だったんだと思う。

 

もっと生きたい人

生きてる感じがしない人

 

見るべき映画です。

時代の最先端〈メンズワーク〉

・精神世界におけるメンズワークは時代の最先端かもしれない・・・

 

先日男性のみの瞑想ワークショップに参加した。

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*写真とワーク内容は関係ありません。

僕自身主催で男性のみのグループも開催はしていますが、知人がファシリテートする男性のみのワークショップをするという情報を見てすぐに手をあげ手伝いを申し出た。

 

ちなみに参加した会はファミリーコンステレーション(家族の座)というワークです。

 

ファミリーコンステレーションについては以下を本ご興味ある方はどうぞ。

また同じ友人が開催(7月と10月)するとのことですので興味ある方は情報流しますのでご連絡ください。

(ファミリーコンステレーション創始者の著書です)

https://amzn.to/2RcHKb6

 

 ・ワーク内容が、というよりも・・・

 

まず何より男性のみでこういったワークショップを開き、人が集まり、開催に至るという時代がついにやってきたかもしれないとしみじみ感じた。

 

と同時に時代の最先端はおそらくこの男性のみのワークかもしれないwいや真面目な話。

 

今や女性たちの感情解放や女性性開花など様々なワークはもう細分化されるほどに花盛り時期を過ぎ安定期(かは知らんけど)に入ったのではないだろうか?

 

多くの感情に働きかけ、リリースし、多くの潜在意識にアプローチして来ているであろう女性たち・・・多くの女性たちが自立し、自分を生きているのはありありと見て取れる。

 

女性の友人が言った言葉を思い出す・・・

 

「絶望的に男性を求めている」

 

なはは・・・名言ですね。

 

男性のみなさん女性たちは本質的な部分で男性いや男性性を求めてるということ、それも絶望的にということを頭の片隅に入れておきましょう・・・笑

 

でもきっと女性たちは主に男性たちが時々言っちゃう「悟りを得たい」とか「修行または修練したい」とか「いかに知識を積むか」・・・とかにこだわることなく、ただ楽しんでいるんでしょうけれども。

 

僕ら男性もこの感情にまつわる領域にもう少し積極的に働きかけていくべきで、決して今まで働きかけて来ていないわけではないと思うけど、相対的な意味で女性の方がこの分野において(かなりと言っても過言ではないほど)先に行ってしまっていると思う。

 

これは決して競争ではなく、バランスの問題だと思っていて、男性は一般社会の男性優位という世界に長くあぐらをかき過ぎたのかもしれない。

 

だから男性によるモラハラやセクハラといった、しょうもない、今時こんなことするのか?ってことが今だに起こり続けていることが何よりの証です。

 

この女性という集団に対する潜在意識に対する働きかけと、男性とを感じてみると、前からアンバランさを感じていた。

 

そんな言葉になかなかできない何かをずっと感じていたけれど・・・

 

この会が終わって友人がポロっと「男性の精神世界において集合意識への働きかけが足りない」みたなことを言って笑ってたんだけど・・・

 

確かにそうで、もう少し積極的に感情を感じ、働きかけをし、旧世代から流れを自分の世代で終わらせるような男性革命(メンズレボリューション)が必要だなって強く思った日でありました。

 

なのでメンズワークは時代の最先端ではないか!って思ったわけです。

 

 

秋頃にタントラ for Menを1泊2日くらいでやろうかって思っております。

これもよかったらメンズたち参加して欲しいと思っております。

 

では良い1日を♪ 

 

 

 

 

トレーニングのススメ

 

お久しぶりの投稿です。
 
コメント付きでSNSで投稿しようと書いてたら長くなっていったのでブログとして記しておこうと思いまして。
 
8月に富士山の麓の山中湖でタントラトレーニングを行います。
その頃には某ビックイベントも終了し、きっと我々はもっと「生きる」を考えざるおえない時がやって来てるんじゃないかなと、いや、それは大変になるとか、生活出来なくなるとか恐怖じゃなくて、一時的な荒波との対峙をどう、いかに「楽しめる」か試されるかのようだと思うわけです・・・が、冷静に見ますと、今コロナの世界になり、毎日のようにやんややんやと騒いでいることや起こっていることは自己探求の世界では割と普通に起こるというか、目覚ましい変化や一寸先は見えないとかって割とビギナーな時期に体験するA定食みたいなものですし、そう言う意味で”当たり前”な世界になったんじゃないかって思うわけであります。
 
ちなみに「目覚ましい変化」って「目が覚める」って書きますし、変化は目を覚ましてくれるものだなとつくづく思うわけであります。
 
・タントラのワークって?

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さて、タントラはテクニックの修練ワークでなく、体験の科学と言われ、タントラという言葉自体の意味にもあるように(タントラ:タン=広がる、トラ=メソッド)体験し経験し気づきを広げていきます。それは時に人が見せてくれ、時に自から手を突っ込み、いままで当たり前と思っていたことが実は思い込みでしかなかったー(´Д` )なんてのが連発するのも気づきのA定食ですね。
 
タントラにおいてはトレーニングに参加したとてディプロマは発行されませんし、同時に誰も彼も参加した方が良いのかというとそれもまた正直違う気もします(これ言ってしまうと自らの営業に差し支えがあるのかもしれませんけれども・・・)とまぁわかりやすくはないですし、(資格や知識などの)お持ち帰りできるものがあるようなないようなですし、でも、そんなワークを僕は「類い稀れ」と呼び、愛しきワークなのでありますけれども。
 
 
・ベースのワーク
 
時代は変われど、いつの時代も、自分の生き方や世の中や、今ままで教わってきた正しいと思っていた事や、当たり前だと思って来た事に対して、疑問を感じたら(多くの場合そうした発露から)自分の内側、自分の探求が始まっていきます(しまいますw)
 
言い換えるとそういうことでもないと”自分”は頑なに”自分”を変えようとしないので、疑念が2個も3個も来始めたら、それはチャンスと見逃す手はありません。
 
見逃すとあとあともっとヘビーな状況が待ち受けると言う法則も、これもまた定食のひとつです。
 
そんな時に(変化の時に)タントラを1度でも通っておくとのはいいと思います。
 
なぜならベース〈根本、根源〉から始まるワークだからです。
 
ちなみにタントラは性のことも扱いますが、それは身体を扱うのに性は欠かせないからです。
お父さんお母さんから生まれた我々はいつの間にか社会で性を口に出来なくなります。
 
僕がやっているワークでは実際のワークで性に特化したエクササイズは残念ながらやりません(性だけをお求めの場合は今の時代山とあるでしょうからそちらへどうぞ)シェアリングなどでは性にまつわる話はむしろ活発に語られたりはしますけど。
 
 
タントラワークのメインたる特徴の一つが性エネルギーからハートへの変容です。だから性エネルギーは欠かせないのです。
 
 
・仮面を外し鎧を脱ぐ
 
 
初めはしんどく感じるかもしれません(だからタントラはユニークさ(遊び心)のあるエクササイズがたくさんあります。が、実際はこの世にシリアス(深刻)なものなど何一つないそうです)
 
抑圧や頑なさや代々伝わる思い込み、刷り込みなどの、仮面と鎧を外すのは大変な作業に思えます。
 
でも実際大変なのは鎧を脱いでからでしょうから、脱ぐことは心身を少なくとも1レイヤーくらいは軽くしてくれます、だからご心配は無用かと思います。
 
 
・そして泳ぐ術を学ぶ

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川または海で泳ぎたいのなら泳ぐしかないように、泳ぎが出来ないなら泳ぎを学ばないといけないように、自分の生を泳ぐ術を、人生という学校の中で一つは授業を受けるべきです。
 
タントラは”義務”教育(かも知れないけどw)ではないけれど、泳ぐ術を学ばねばという活力を沸かせてくれる授業かもしれません。
 
・鏡と捉える
 
タントラは他者を鏡と捉え働きかけていきます。それは外側が自分を映し出し、今の自分を教えてくれるからです。
 
内側に足りない、欲している何か(同性、異性、親、友人、お金、欲望・・・)だからそれらに気づかせてくれる他者(外側のもの)は必要です。
 
川を一緒に泳いだり、遊んだり、することで気づきをくれますから、だからと言って仲良しごっこよろしくでずっと一緒にいる必要もありません。
 
だからこそ一瞬一瞬を大事に感謝し気づきに変えていきます。
 
 
・止まったら死ぬ?
 
瞑想は良く川に例えられます。
川の流れは変わり、止まったら淀みます。
気づきと共に動き続けいつもフレッシュで、変化に富み、喜び、楽しむことだと思います。
 
我々人間はそれはきっと次なる真実を見てみたいと言う渇望から動いていけるんだと思います。
 
 
色々と書き長くなりましたのでこの辺にしておきます。
 
ぜひこの記事にピンと来てくれたら今日本各地でやっております。
ぜひ時際にお会いしましょう!
 
以下よりイベント情報ご覧ください。
  
 
 
ご拝読ありがとうございました。
 

メンズの集い

 

僕は男性という存在が怖かった。
今も表層部分では怖い。

 

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それは父親からの時々くらう”雷”や先輩からの暴力や、受けた暴言や、喧嘩や、単に身体的な大きさへの恐怖や、いろんなことが要因して想起させるのかもしれない。でもそんな”原因”を探りほじくることにはたいして興味はない。

 

縦社会が大嫌いで通っていた中高校で伝統の縦社会の”先輩後輩イズム”が嫌でたまらなかった。でもそれはどこにでもあって、結局は自分がただその(クソくだらない)習わしみたいなものをダラダラ続けるをやめればいいだけの話だったし、そういったずるずる引きずってしまうものなんて、自分の生活の中にもいくらでもあってそれと同じだ、という”スピリチュアル”な理解が来るのは幾分先だったけど。

 

そんな大括りの男性として、または、自分と共に生きていくなかで、どうやっても感じる、生きづらさや、くだらない見栄とか、意味のない敬語とか、心底嫌になった頃、男の弱さやしょうもなさ(少年らしさと言っておこうw)を感じれた時、男たちのそういった姿を見れた時に、なんだか心底安心してリラックスした。

 

それがメンズタントラだった。

 

それ以降そういう場面に出くわすたびに、自分を信頼して、緊張や恐怖を感じながらも、男性(同性)と対面できるようになった。

 

みんな一緒だって感覚・・・。

 

そしたらだんだんと(時間はかかるけど)リラックスしている時間の方が長くなっていって、楽しく、子供たちが年齢関係なく遊ぶように、遊べるようになって来た。

 

そんな体験がまさか”男”として成長させてくれるなんて思ってもなかったから(男とはもっとマッチョで鍛えて鍛えて男になると思ってたから・・・昭和やw)不思議だった。

 

メンズワークに参加したことで、タントラというワークの奥深さを知れた。なによりその時にいたメンバーが助けてくれた。

 

だからそういう場を設けたいと思い、メンズワークをやってます(やります)なんか今の時代、流れが早く、流れに乗らないといけないと言われている風の時代(いまいちこの言葉はピンと来てないけども使ってみる)とか言われて、生きずらい人、そう思わされてる人、もいるのかもしれない、でもむしろ逆かもよ?

 

過去こんな記事も書きました・・・合わせてどうぞ。

 

kabr1218jp.hatenablog.jp

 

#タントラ #タントラライフジャパン

何かの理由にするとき

人は弱い。

 

自分も弱い。

他人も弱い。

 

人間は弱い。

 

この季節暖房ないと死んでしまうし、夏はクーラーなければイライラする。

 

すぐ何かのせいにしてしまうし今ならコロナのせいにする。

 

でも、多分みんな、制限されても、マスクさせられても、ワクチンがどーだっていわれても、ごまかしでしかないってみんなどこかで気付いてると思う(と願う)

 

でも「社会」と生きてると合わせないといけない時もある。

 

自分を中心に置き社会に合わせるのと、社会に合わせた自分ではもう宇宙とゴミほどの差がある。

 

なにかに合わせなきゃいけないっつってこれを妥協だなんて反抗するのも違うし、政権が変われば批判し、新しい政権にまた変わればまた新しい政権を批判し、と続けるようであればまた何かが違う。

 

だからタントラの言葉にある「状況状況で動くのだ」という言葉はとても響く。

 

自分がコロナにかからないなんて言わない。

 

それで死んで何が悪いのだろう?

 

ちょっと早くてちょっと遅くなっての、微々たる差じゃないかって思ってるけど、この個人的に真っ当だと思うこの意見は意外と社会では通用しない。ていうか、ほぼほぼ逆に抵抗を受ける。

 

コロナになって何度も何度もいろんな場所でこの言葉を呟くと「まぁね、そうね」と軽くあしらわれる感覚を受ける。

 

みんな死なないって思ってるし、思いたいんだ。

 

自分もそうだろう、きっと死が近くにやってきたらきっと怖いのかもしれない。

 

でも恐怖のからくりを学んだ今、恐怖は必ずや「未来」にある、というからくりを信じてしまった今、恐怖は「現在」にはない。

 

それを体験できたのはスカイダイビングの体験も大きいけど、瞑想の体験も大きい。

昔書いたブログです。

 

kabr1218jp.hatenablog.jp

 

 

 なんであれ人生はというか、自分の責任は自分でとらざるおえない。

 

死んだ時後悔することがたくさん出てくることをなるべくひとつでも少なくしたい。

 

コロナのせいにするな。

 

自分で証明すればいい。

 

それで死んだなら仕方ない。

 

どこにいても、それが飲み屋だろうと、病院だろうと、外国だろうと、どこにだってリスクはあるんだから。

 

だからこそ動くことだよ。

 

いつも通り。

 

なにも特別何かをする必要すらない。

 

いつも通り、怠けずに。

 

今日も動いて参りましょう!

 

 

 

タントラでできることはとってもシンプルなこと

新年早々色々と世の中騒がしく動いております。
 
なんだかなと思うことも多いですけど、なんであれ僕は呼吸をして、踊り、動き、食べ、愛し、生きてます。それ以上何があるのだと言うのだー。
 
この広い世界で全人類が共通の何か一つのことを体験しているという超スーパーレアな時代を貴重と思うか、早く過ぎ去って欲しいともうか、もうそんなことすらもどっちでもよくなって、どんなことすらも自由でしかないと思うわけです。
 
世の中という生き物は、思い込みがほとんどで、それに沿ってそれに従って生きてる、というより、生かされてるんだなと。
 
コロナに関してて言えば(コロナに限らないんだけれでも)ここだけ理解があればとても楽に生きられる3つのことがあります。
 
・自らの健康(命)は自らでしかわからない。
・恐怖は必ず未来にあり今にない。
・そして全ての物事、それが喜びであれ、悲しみであれ、全て過ぎ去っていく。
 
たったこの3つを(もっとあるけど)理解できたなら幸せに生きれると思うのです。
 
 
世の中が、コロナが、どうであれ、自分がするべきこと、それが仕事なり、遊びなり、なんでも、やろうという意思とやってみるという行動は大事で、トライしてみて、ダメだったらそれはそれ・・・違う道に行けばいい・・・世の中動いていない風だけど、決してそんなことはなく、そういう生き方がより浮き彫りになってきていると思います。
 
タントラの好きな言葉で「状況状況で動きなさい」という言葉がありますが、まさにそんな時代がやって来たのだなと思っております。
 
だからこそ僕はタントラのワークをやり続けていきたいわけです。
 
タントラで何ができるのか?
 
呼吸やダンスや人との関わり、リアルでの笑いや怖さや喜び・・・
 
それを深刻に捉えずに、それを体験することの大事さをコロナ以前からからやって来ていますが、このコロナになってからそんな体験たちが良いのか悪いのか「貴重」なこととなっています。
 
こんな時代だから・・・
 
 
 
マスクして踊ったっていいし、しなくたっていいし、来れる人が、来たい人が来ればいいし・・・でも自分の生の責任において踊れる人、笑える人、喜べる人は自ずと健康になっていくと思うんです・・・そんな人たちに集まって欲しいし、そんな人たちが集まって来ています。
 
呼吸しない、ダンスしない、身体を喜ばせないことこそ「罪」であると思います。
 
文句を言われようともそう思うんだからしょうがない。
 
ぜひ、エネルギーを少しでも動かしにきてください。
 
今年もイベント日本各所で行います。
 
以下WEBサイトでチェックしてください。*まだ日程調整等があり、アップしていませんが、これから上げていきます。