タントラ的ヒトリゴト
タントラという言葉はな〜んて魅惑的なんだろう。そう言う話しをよく耳にする。
なぜ?
なぜだ?
なんでなんだろう?
ま、一見だけど、シンプルに性が絡むからだと思うんだけどね。
でも、タントラのワークは性=生と捉え、特に性を特別視もしないのだよね。
いわゆる性改善的なワークはもちろんないし(あ、これは僕がやっているタントラのことで、タントラという名で性改善や関係性改善を主としているところもあるでしょうからそちらに興味ある方はグーグル先生へどうぞ)
もちろん性は扱うのだけど、身体を使い、生とか、愛とかにアプローチするからどうしたって性は抜きには語れないってだけの話。
だから人参ぶらせげて、じゃないけど、手前にあるように見える”性”のことは後からなんだよね。
それより前に生とか愛ってのは本来ワイルドで野性味満ちているってことを身体でもって体験していくと、おのずと性っていう問題も、性に対する意識も変わってくる。
んーーー言葉で言うのは相変わらず難しいな。
タントラについて濃縮に濃厚にこの本の第7章でOSHOが語ってくれているのでぜひ読んでもらいたい。
それを瞑想として、気づきを得れるワークはやっぱり面白いと思うわけ(もちろん”面白い”に至るまではどの世界でも同じように少し大変であるし、各人が面白そうと思えばの話しだけど)
性自体はシンプルに愛し、愛し合い、交流するだけだからね。
こんがらがらせるのは社会秩序だったり、条件付けだったりするわけです。結婚とか、関係性とかさ。
しかしながらシンプルなものってのが一番難しいってのは言わずもがだ。
(白い服はファッション業界では着こなすのが一番難しい色と言われるように)
もうそれこそセックスなんていうものは、または言葉すらも、みんな大好きなのに表立って大好き!って言えないんだもの。
そりゃヘンテコリンになるよね。
最近でこそ勇気ある女性たちは立ち上がり性の平等化を広げてきてくれているも、まだなお粘っこく”男の子”(男ではない!男の子だ!)の性が一般的主流であろう。
そして多くの人が多かれ少なかれ一度は悩む、そりゃそうだ、人に話せない事が多いし(と思い込んでいる)ある種タブーだから(と思い込んでいる)
でも悩まずに話せたり、探求や実験ができる場、または、出来る可能性があるってのは本当に楽になるし、助けになる。
この本のラダって人はそういった実験をたくさんやってきた人だ。僕はこの人からいろんな事を学び、学ばさせてもらっている。でもタントラというより、自由を学んだしでいる気がする。
面白い本なんで一晩で読めちゃいます。
勇気あるイタリア人女性の自由への探求とタントラの探求の本です。
ぜひ読んでみてください。
ではまた。