人は弱い。
自分も弱い。
他人も弱い。
人間は弱い。
この季節暖房ないと死んでしまうし、夏はクーラーなければイライラする。
すぐ何かのせいにしてしまうし今ならコロナのせいにする。
でも、多分みんな、制限されても、マスクさせられても、ワクチンがどーだっていわれても、ごまかしでしかないってみんなどこかで気付いてると思う(と願う)
でも「社会」と生きてると合わせないといけない時もある。
自分を中心に置き社会に合わせるのと、社会に合わせた自分ではもう宇宙とゴミほどの差がある。
なにかに合わせなきゃいけないっつってこれを妥協だなんて反抗するのも違うし、政権が変われば批判し、新しい政権にまた変わればまた新しい政権を批判し、と続けるようであればまた何かが違う。
だからタントラの言葉にある「状況状況で動くのだ」という言葉はとても響く。
自分がコロナにかからないなんて言わない。
それで死んで何が悪いのだろう?
ちょっと早くてちょっと遅くなっての、微々たる差じゃないかって思ってるけど、この個人的に真っ当だと思うこの意見は意外と社会では通用しない。ていうか、ほぼほぼ逆に抵抗を受ける。
コロナになって何度も何度もいろんな場所でこの言葉を呟くと「まぁね、そうね」と軽くあしらわれる感覚を受ける。
みんな死なないって思ってるし、思いたいんだ。
自分もそうだろう、きっと死が近くにやってきたらきっと怖いのかもしれない。
でも恐怖のからくりを学んだ今、恐怖は必ずや「未来」にある、というからくりを信じてしまった今、恐怖は「現在」にはない。
それを体験できたのはスカイダイビングの体験も大きいけど、瞑想の体験も大きい。
昔書いたブログです。
なんであれ人生はというか、自分の責任は自分でとらざるおえない。
死んだ時後悔することがたくさん出てくることをなるべくひとつでも少なくしたい。
コロナのせいにするな。
自分で証明すればいい。
それで死んだなら仕方ない。
どこにいても、それが飲み屋だろうと、病院だろうと、外国だろうと、どこにだってリスクはあるんだから。
だからこそ動くことだよ。
いつも通り。
なにも特別何かをする必要すらない。
いつも通り、怠けずに。
今日も動いて参りましょう!