《こういう事ってどこで誰に言えばいいのかわからないんだけど、
そんな輩が今は団体の代表となり、瞑想をリードし、かれこれ十数年 が経過しようというのだから人生摩訶不思議である。
20年くらい前に狂うか自暴自棄になるか、 人生わけわからなくなった時期にもともと興味があった瞑想に出会った。
あっちこっちのスピリチュアルな集いに通い、ここは違うあっちがいいなんて、どこにも居場所が見つからないジプシーをしながら、O SHOのコミュニティにたどり着き、そこでタントラに出会った。
瞑想しか興味がなくなり、 瞑想だけ出来てたら何もいらないなんて、お花畑で生きていた。
当時24時間携帯持たされて追っかけられるような責任あるサラリーマンをやりながらだったけど、毎日ダイナミック瞑想をして、嘘ついてインド行ったり、してたっけ(そのうち当然それも終わりが来て本当に瞑想中心の生活に移行した)
タントラワークに出会い、チームに加えてもらい、ビギナーにも関わらずスタッフを早くから始めてるうちに、瞑想会をリードしてみたら? と言われるんだけど、しかし、 何をどうしていいかなんて、全くわからなかったけど、 なんとなく出来そうな気がして、 ダンスのパートをリードしたのが始まりで、 その延長線上に今があるわけだけど、 だからか、今もダンスのパートは大事にしている。
ーそうやって先輩や友人たちから背中を押されながら、 今までやり続けてきた。
初めて人前に立ってマイクを持った手が緊張でゴム風船のように膨 らんだかのように感じてマイクを落とすんじゃないかってくらい緊張してたのは 今でも鮮明に覚えている。
タントラライフのワーク自体が自然発生的なノンメソッド( 無手法)で進めていくワークの質で、そもそもアート好きということもあり、ノンメソッド手法は大好物であったから続けてられるのかも。
やはり信頼を得ていくには、場数と経験と知識も必要で、それらはゆっくりだけど年数を重ねながら積み上げてきたつもりでいる。
やり続けて来られた理由はいくつかあるけど、最も大きいのは「 感謝」である。それはいまだに、毎回毎回思う。
こんな風景(タントラワークの現場)を毎回見れるなんて、なんて幸せなんだろうってくらい、 タントラのフィールドは美しく愛しいし、かっこよく言うと 今までタントラを通して受け取ってきたものが自分の手だけでは持 てなくなったからワークをシェアさせてもらっている、かな。
ーそんな右も左もわからない僕が、瞑想ワークをリードし始めるわけだけど・・・
それを一から教えてくれたのは言うまでもないラダ( タントラライフ創始者)なのだが、それこそマイクの持ち方から、 リードの仕方、人へのケアの仕方、 サイコロジカルなことからミスティックなことまで、 今巷にあるリーダー養成講座を受けても教えてくれないであろう内 容で、何年もかけ、口伝で教わってきた。いわばダウンロードしてくれた、というよりクリックしてDLさせてもらってきた。
この世界的リーダーのそばで直伝してくれてきたものは、きっと講座で高いお金を払っても教えてもらえるものではないと 思うと、しみじみラッキーだなと思う・・・のだけれども、 それに改めて気づいたのは、実は数年前で、と言うと、 何か不義理みたいに聞こえるけど、そうじゃ無くて、 ずっとタントラのフィールドに1年を通しているというのが当たり 前の生活をしていたから、1年のうちに何度も遠いイタリアへ通い、 日本では毎月自分でタントラグループを開催し、 イタリアでは付き人のごとくラダとツアーを共にし、 各地各国を回り、グループ運営、 グループの構築の仕方などなどを学ばせてもらってきた(現在でも世界で数人しかタントラライフメソッドをリードすることは認定されていない)
ーそんなバックグラウンドの元、 今僕は日本人のためのタントラグループをリ・デザインしている。
なぜ「リ・デザイン」かというと、日本の土壌、 日本の集合意識を知り感じているからで、日本人が何を思い、 何を感じるかを感じられるからである。
土壌が違う、西洋風に教わったままを、やればできるけど、 それはきっと違う気がするから。
トレーニングというフォーマットはあるにせよ、一回一回のデザインは明日どんな風にビルドアップされ、 どんな形で提供されるか、わからない。そして何より僕自身老いていつ死ぬかわからない。
深いところでは日に日にワークの質も積み上がっていっていると思う。
なのでタントラという世に稀なワーク内容は決してGoogleには上がってこないけど、リアルな場で味わうワークの醍醐味を楽しみにおいでいただけたら嬉しく思います。
LOVEを・・・Kabir