JOY of LIFE!

タントラのカビールのブログ タントラライフジャパン代表

いくるもの、しぬるもの

夏になると、なんとなく「生と死」というテーマが
近くに感じられることがあります。

お盆の影響もあるのかもしれません。

もうこの地球上にいない誰かを思い出したり。

 

ーでも「死」って、そんなに遠いものなんだろうか。

 

たとえば呼吸。

息を吐ききるとき、一度終わります(死)そしてまた、自然に吸う(生きる)

身体はずっと、小さな「終わり(死)」と「始まり(生)」を
繰り返しています。

 

これ、頭で理解するというより、実際に感じてみると全然違います。

 

ただ、正直なところ、このテーマって一人で考えていると
だんだん思考の中にハマっていきやすい。

 

タントラでは、答えを出すことよりも、
「いま何が起きているか」を感じることを大事にします。

 

だから、場でやるんです。

呼吸したり、少し動いたり、
静かに座ったりしながら、
身体を通して触れていく。

 

そうすると、「生きてる」という感覚がシンプルに戻ってきたりします。

 

毎年この時期にやっている「生と死」の瞑想会も、そんな時間です。

もしこのテーマに、
少しでも気になる感じがあったら、
それは身体のサインかもしれません。

タイミングが合えば、
場で会いましょう。

 

8月15日生と死のの瞑想会

 

www.tantralife.jp

一滴の水滴が大海になる

大海も、もとは一滴の水滴。
水滴は大海ではなく、分たれた小さなものだと思いがちだけれど、
ひとつひとつの水滴の積み重ねが、大海になる。
「水滴も、いつか大海になりうる」という分たれているのではなく、
もうすでに大海なのだ、ということ。
それは、なんというか、壮大で、
自分もまたこの地球という有機体の一部なのだという
自覚と責任を持たねばなと思い出させてくれる。
そんなリマインドとして、
時々、自分に言い聞かせたくなる言葉だなーと
ふと思う朝でした。
今日も、良い一日を。

地球が美しくなる

そうなんだよ、この間の瞑想会で思った。
みんなの踊ってる姿を見て、二酸化炭素削減とか、原発とか、メガソーラーをなくせーとかじゃなく、一人一人が踊ったらいいんだって改めて思ったんだった。
 みんな頭良くなりすぎだ。
花を見て花の名前よりも前に美しいと思いたい。
「バカには勝てん」とジコ坊に言われるやついっぱいいればいいのに。
恐怖と欲望
自由と危険
刹那と愛
この紙一重の美しい世界の狭間を謳歌できますように。
「私は、自由、個性、創造性、
そして、この地球が美しくなることの味方だ。
楽園を待つのではなく、この瞬間を生きること
地獄への恐怖もなく、楽園への欲望もないこと
ただ単純に、静かに、ここに在りなさい。
生を謳歌しなさい。 OSHO」

ダンスが起こる

ダンスは内側からむくむく、むずむずと動く何かがやってきて、
気づいたら動いている行為のこと。

そう感じられるようになるまでに、
足の裏が剥けたり、
つったり、
身体がエネルギーについていけなかったり、
ただ量をこなす時間もあった。

それまできっとダンスをしてた。

「ダンスって何?」と聞かれたら、こう答えるし、激しく踊ることだけがダンスじゃないって今なら言える。

あと、SEXはダンスだし、ダンスはSEXだと思う。

上手くなりたいと思った時期もあったし、
上手い人に憧れたこともある。
リードしたいと思ったこともあるけれど、
長くは続かなかったな。

OSHOのメソッドは、よく「踊りの中へ入りなさい」と言う。

「入りなさい」と言われても、よくわからなかった。
それでも踊り続けているうちに、
ある日、
身体が先に動いている感覚を掴めた。

その感覚は歓びという言葉が近い。

踊りが起こると、
踊りの中にいる。

そこには、
時間も、
経験も、
年齢も、
かっこよく見せようとする自分も、
照れている自分も、
いない。

言葉で表現するのは、難しいんだけど。

昨日の主催した瞑想会で、
久しぶりにその感覚がやってきて踊り跳ねた。

激しく踊っても、静かに踊っても、
身体の奥で何かが跳ねてた。

禅でいう

Ah This....Ah This....

だな。

踊りはいいね。

また、
踊ろう。

 

コンフォートゾーン

コンフォートには色々ある。
 
それをすると思うとおののくこと
それを言うと考えると言えない
 
などなどなど
 
これにはキリというものもないし、レベルもないから無限にあると言えばあるからやっかいだ。
 
先日友人と話す中で「朝起きること」というのが出た。
 
確かに、朝起きて何かをしなくてはいけないとか思うとむずむずする。
 
でも知っている。
 
ー朝焼けの素晴らしさ。
ー朝の運動後のタイムレス感
ー特に冬の朝の最高な神な時間
 
先日のアイスバス以降アドレナリンがかすかに発動しているのを感じている。
 
だから逆引き辞書ならぬ逆引きで今朝暗い中朝ランに出てみた。
 
先に上の気持ち良さげが待っているとご褒美をあげると割と動きやすい、そして帰ってからも水シャワーを浴びた。
 
変態遊びは続いている。
 
こんなことしてたら健康になっちゃって寿命伸びちゃう気がする。
いつ死ねるのかなおいら。
 
こんな湘南の美しい時間帯は朝だけであるし、冬はいい、まだ6時台でこの景色を眺められる。夏なんて4時起きしなければならない。
 

 
早起きしましょうなんて優等生みたいなことは言わないし言えない。
 
ときどき「違う景色を見に行こう!」
 
今日も1日お元気で。
 

ほうそうか

ある未婚の町娘が妊娠した。
腹の子の父親は誰かと、娘の父親は厳しく問い詰めた。
 相手は恋仲となった若者であったが、結婚を許してもらえないと思った娘は、苦し紛れに嘘をついた。
禅師の子である、と。
怒った父親は、禅師の寺に乗り込み、生臭坊主と罵った。
禅師は、一言、「ほう、そうか」と言ったのみであった。
娘が赤子を産むと、父親は禅師のもとへ行き、お前の子なのだからお前が面倒を見ろ、と言って、赤子を押しつけた。
禅師は、一言、「ほう、そうか」と言ったのみであった。
禅師が町娘を孕ませた――噂は広がり、高僧としての禅師の評判は失墜した。法話を聞きに寺に通っていた人々も去ってしまった。
禅師は、一言、「ほう、そうか」と言ったのみであった。
閑古鳥の鳴く寺で、禅師は、愛情をこめて赤子の世話をした。
一年後、良心の呵責に耐えられなくなった町娘は、真実を話した。
娘の父親は、禅師に謝罪し、娘の子だから赤子を返してほしいと申し入れた。
禅師は、一言、「ほう、そうか」と言って、赤子を返した。
噂は広がり、さすがは高僧だと人々は誉めそやした。法話を聞きに、再び聴衆が戻ってきた。
禅師は、一言、「ほう、そうか」と言ったのみであった。