いくるもの、しぬるもの
夏になると、なんとなく「生と死」というテーマが
近くに感じられることがあります。
お盆の影響もあるのかもしれません。
もうこの地球上にいない誰かを思い出したり。
ーでも「死」って、そんなに遠いものなんだろうか。
たとえば呼吸。
息を吐ききるとき、一度終わります(死)そしてまた、自然に吸う(生きる)
身体はずっと、小さな「終わり(死)」と「始まり(生)」を
繰り返しています。
これ、頭で理解するというより、実際に感じてみると全然違います。
ただ、正直なところ、このテーマって一人で考えていると
だんだん思考の中にハマっていきやすい。
タントラでは、答えを出すことよりも、
「いま何が起きているか」を感じることを大事にします。
だから、場でやるんです。
呼吸したり、少し動いたり、
静かに座ったりしながら、
身体を通して触れていく。
そうすると、「生きてる」という感覚がシンプルに戻ってきたりします。
毎年この時期にやっている「生と死」の瞑想会も、そんな時間です。
もしこのテーマに、
少しでも気になる感じがあったら、
それは身体のサインかもしれません。
タイミングが合えば、
場で会いましょう。
8月15日生と死のの瞑想会
一滴の水滴が大海になる
ダンスが起こる
ダンスは内側からむくむく、むずむずと動く何かがやってきて、
気づいたら動いている行為のこと。
そう感じられるようになるまでに、
足の裏が剥けたり、
つったり、
身体がエネルギーについていけなかったり、
ただ量をこなす時間もあった。
それまできっとダンスをしてた。
「ダンスって何?」と聞かれたら、こう答えるし、激しく踊ることだけがダンスじゃないって今なら言える。
あと、SEXはダンスだし、ダンスはSEXだと思う。
上手くなりたいと思った時期もあったし、
上手い人に憧れたこともある。
リードしたいと思ったこともあるけれど、
長くは続かなかったな。
OSHOのメソッドは、よく「踊りの中へ入りなさい」と言う。
「入りなさい」と言われても、よくわからなかった。
それでも踊り続けているうちに、
ある日、
身体が先に動いている感覚を掴めた。
その感覚は歓びという言葉が近い。
踊りが起こると、
踊りの中にいる。
そこには、
時間も、
経験も、
年齢も、
かっこよく見せようとする自分も、
照れている自分も、
いない。
言葉で表現するのは、難しいんだけど。
昨日の主催した瞑想会で、
久しぶりにその感覚がやってきて踊り跳ねた。
激しく踊っても、静かに踊っても、
身体の奥で何かが跳ねてた。
禅でいう
Ah This....Ah This....
だな。
踊りはいいね。
また、
踊ろう。
コンフォートゾーン
