「性」と「生」に正しき道はなし、他と同じ道もなし。
頭ではわかっちゃいるはずなのに・・・・
ここ日本では、お家芸である均一した価値感、人と同じ、を教えられ、押し付けられ、洗脳される。
そうして植え付けられた方を正しき道として実践してしまう人間の浅はかさよ。
性に関することは、思うに、下手をしたら、いや下手をしなくとも、生涯をかけて研究と探究心が求められるのものであろうと思うのであります。
が、しかし、多くの人にとってそれは研究と探求の対象ではなく。
多くの場合、快楽とか、営みとか、なんだかふんわりしたものとして生涯を終わる。たぶん。
だいたい「H」ってなんなんだ。
ごまかして可愛く言おうたって、無理な話だ。
そんな時代は終わってる。
1952年から変態と頭文字のHを取って言われ始めたらしい by wiki
もう60年も言われ続けている言葉だとさ((;゚Д゚)))
じゃなぜ探求対象ではないのか?
恥と繋がるからだろう。
隠さないといけないものと思い込まされてるからだろう。
両者ともしょせんひとの目なんだけど。
だからこそひとの目を気にするこの国は一見柔らかい「H」というスラングを使う。
じゃなぜか隠さないといけないのだろう?
初めは親から、そして学校の先輩や少しませた同級生から、「しちゃだめ」「こーしろ」「あーしろ」と先輩面して意味不明なアドバイスをする。(これは多分日本人(のみなのかは知らんけど)全員の登竜門じゃなかろうか・・・)
自分たちさえ知らないのに・・・
要するに誰も知らないのが現状なのに・・・
そうして無意識に”教わった”ことが正しいと思い始め、水面下深く浸透してゆく。
そのうち快楽に飲まれ快楽だけを追求するようになり、性が局部化し(ローカルなセックスってやつ)それだけに留まり、それだけを追い求め始める。結果どうなるかインスタントになるに決まってる。
簡単便利いつでもどこでも早い安い・・・悲しい。
誰も知らない解明出来ないからこそ秘めたものと化して、ぼやけさす・・・逆じゃないのか?ぼやかすのでなく、明かすのではないのか。
多くの場合解明しようとは思わないだろう、だって、ぼやかしたほうが扱いやすいから。
気持ち良いを解明するのは案外めんどくさかったりする。
で、そのうち「上下関係」という呪縛も加わる・・・上下関係だけはと言っても過言ではないくらい上下を重んじ遵守する我が国では先輩になってしまったらもうおしまいだ。
なぜなら、今度は教える番だから。
後輩に知らないと言えない・・・恥と繋がるから。
そして知らないことを知ったかぶりして教え始めてしまったらもうアウトだ。
学びはそこで終わってしまう。
偉くなってしまうから。
関係ないけど、僕はこのくだらない上下関係が嫌で高校時代に手放した。
先輩に怒らても後輩には怒らないようにした。
年齢は関係ない。
偉いも偉くないもない。
肩書きもない。
そんな世界が好きです。
ここでは知人間での話で、古来の目上を敬う心は持っているべきであろう。
性の見える景色は四季のごとく年齢によって見える色が変わる。
同じ味は味わえない。
悲しいかな四季は巡ってくるが、人間の四季は春が過ぎたら春はもうやってこないのだ・・・実際の年齢と言う意味でね、こう言うと「いやいや老年の青春もあるでしょ」とか言い出す人がいるっぽいけど、そんなくだらんこと言ってるんじゃない。
がしかし、問題は・・・いつでも味わえるからあとで、とか、いつかやってくる、とか、思い込んでいる人が多数いる気がしてならないことなのだ・・・
いや ・・・
ない!
から・・・
いつかはない!
だから・・・
だから・・・人生謳歌せよ!
の意味をもう一度考えるべきだ!
それはどこかへ旅することや、好き勝手やることではない、やるべきことをやることだと思うんです。
それは時に怖い、それは時に戸惑う、それは時に傷つく、そしてめんどくさい!
でもやるしかないと思うんです。
自分がやれることをやるだけ。
長くなりました・・・
これに続く身体の四季について書いたのだけれど、長いから次回へ
そんな身体について、性について、話しができる
僕ことカビールのセッションがあります。
ぜひどうぞ。
プライベート・セッション by Kabir(カビール) – Tantralife Japan