JOY of LIFE!

タントラのカビールのブログ タントラライフジャパン代表

タントラ スピリッツ

性に関する記述があります。不快と思われる方はこの先は読まないでいいのですよ

 

性の話ではありません、タントラの話です。

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でも性のことを話さないと進まないので最初だけ性の話。

 

これは何度も書いているけど、そして何度も書かないといけないんだけど、タントラはどうしてもセックスという言葉を使うし、ずっといにしえの過去から使われて来て、それゆえか、以来ずっと世の中から叩かれ、批判されてきた。と同時にみんな、大げさに言って人類みんな少なからず関心と興味はあって、影からこっそり見ている状態が続いている。

 

 見てるだけじゃ死んじゃうよ。

 

どこでも、どの世界でも、モラルを口にする輩はたくさんいる、モラルばかり口にするそれこそがアンモラルであるというのは皮肉な事実であろう。

 

例えば、ここ日本では、春画展だなんてやると何十万という人がそれも真昼間っから(昼間でいいんだけども)行列をなすわけです。

ちなみにこの展覧会に行ったけど、行った日だけがそうだったとは思えないほど人が凄くて、しかも、ほとんどが中年以降の人たちでした。なんなんだ18歳未満入場禁止っていうライン引きは・・・ったく、せめて中学生くらいからは見せるべきだ。

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この国はすこーしだけリアルに欠けると、なんとなく公然的にOKになってしまうのである。

 

リアリティを選びますか?←ぜひお読みください♪

 

だからというか必然的というか、アニメというバーチャルファンタジーが普及したのもこういった国民性ありきなのだろうなんて思うわけです。

 

そしてこの国には風俗産業というものがある。

これも同様で、「風俗」という言葉は、諸外国からしたら、なんの言葉かわからないという巧み技を使い、れっきとしたセックスサービス産業がありとあらゆる街にある。

多分こんなにもあらゆる街にある国はそうそうないのではないか、恐らく世界一盛んな国であろう。

かといって性活力が世界一かと言うとそうでもないらしい・・・このアンバランスさよ・・・

 

いや、そんなはずはない。。。

 

調査機関が真の統計を取れないのか、国民が真を言わないのか、だ。

 

風俗と言えば何かを濁された感があるが、れっきとしたセックス産業である。しかも男目線である。

法律上ではあるひとつのポイントを超えて金銭授受があるなしで犯罪になるという、ヘンテコなガイドラインもヘンテコであるが、素人がやるとダメで国に届けるとOKというヘンテコも、事実そこに日に何千何万と言う人々が通い、それと同等にそこで”素人”が働くという、なんだかヘンテコなリアリティである。

 

しかし、個人的にはこの産業がなければこの国はもっと危うくなっているだろうと思うので、性産業自体には僕は賛同派です。

 

ということは日本の男性、というより男性社会に問題があるとも言えてしまうのだよな・・・・とほほ。

 

何が言いたいかと言うと、この国の人は性に多大なる関心を持っているにもかかわらず、知らぬ存ぜんで興味なさげに生きてしまっている。

 

タブーという檻のの中だからこそ楽しめるというヘンテコな性を営んでいる風に見えるのです。

 

 いいのです。良い悪いなく、個人の自由ですから。

 

じゃ内容はどうかというと大方クイックにインスタントことを済ましているようです。

 

多分ここに多くの何かが詰まっている気がするわけです。

 

じゃ長けりゃいいのかってことじゃない!

 

タントラをやっていると、質問が来ます。

「何時間もセックスするのですか?」

「毎日がタントリックなのですか?」

 

人はマインドで理解したいから聞くけれど、同時にマインドを理解していないから聞くのです。

 

答えはこうです。

「そういう日もあるでしょ?」

「毎日365日そうしていたいのですか?」

 

実践するが答えなんだけどね、そんなシンプルな答えはマインドは許さない。

 

だから必ず次には「じゃどうすれば?」が続きます。

 

それを実践していくことこそが答えに繋がる自己探求の入り口です。

 

大概は自分のものにしようとはしません。

初めは苦いからです。

 

そして違う性が、別物が、他にもっとすごいものが、あるんじゃないかって焦がれ、別を探す無限ループに入ります。

 

なのでそこは入り口でそこから自己探求へ行くか、ジャングルを彷徨うか、という別れ道になります。

 

 で、タントラの話へといきます。

 

タントラは性に特化したワークではありません。

 

なので、そういう性のことだけを求めている人はワークショップには来なくていいのです。

瞑想を建前に性のことをしたい人は、性のことは今の時代本当にたーくさんありますのでググって自分で調べてそちらで探求してください。

 

タントラは瞑想の探求、気づきの探求です。

 

瞑想というにオブラートをかぶらせて瞑想しに来ても性に溺れたらそこまで止まります。

 

気持ちいいな、こんな別の気持ち良さがあったのかで終わり、今度は次は何があるんだろう?という無限ループにハマります。

 

だからそういう人は必ずタントラは出会いの場だとか、タントラで気持ち悪い人しかいなかったとか、そんな文句ばっか言うんです。

 

タントラのせいでとか人のせいにしているうちは何も変わらないです。

  

だからもうみんなに来てくださいなんて言いません。

 

だから・・・

 

タントラっていう瞑想法に興味があって、むしろ性にうんざりした人は僕のワークに来てください。

 

 セックスは強力です。快楽という豪華景品付であります。

だから簡単にお金で買えるし、お金で釣れます。

 

でも、性とはそれだけじゃないわけです。

 

性は生だし、性は聖なんだと。

 

でもこういうこと言う方がまだ気持ち悪がられるでしょう。

でも近いうちにこっちが当たり前になるでしょう。

 

タントラは口伝です。残り火を次へと渡していきたいわけです。

だからワークをしないといけないのです。

 

と、書いている僕とて、何かを超えたとか、何かを獲得したわけじゃありません。

むしろ知らないことの方が多いです。

 

でもタントラという性を生にする、性をハートから見る、性を超えていけるワークだと思うからこうしてブログを書いているわけです。

 

 

現代のタントラを語る上でOSHOは欠かせません、絶対に。

 

その昔インドでセックスって言葉自体がタブーだった時代に世の中にセックスという言葉を使いタントラということがどういうことか説いた人だし、タントラに関してかなり多くのことを語ってくれている。

その代表が存在の詩という本であります。

  

OSHOはこう言っています。

 

「セックスをしているとき、コントロールしてはいけない。コントロールするのをやめて、カオスのなかに入りなさい。それは怖いかもしれない、恐ろしいかもしれない。なぜなら、それはある種の死だから。そして心(マインド)は言うだろう、『コントロールしなさい!』そして心は言う、『飛び込んでいってコントロールしなさい、さもないと底なし沼に飲み込まれるぞ』心に耳を貸してはいけない、のめり込みなさい。自分を完全に投げ出して、どんなテクニックも使わなかったら、あなたは時間を超えた経験に行き当たるだろう。」

 

これは結局わかると思うけど、セックスの話じゃない。

マインドで自分を制御するなって話だ。

でもセックスって言葉を使うとセックスの話になってしまう。

 

これはこう言った質問から答えている。

『タントラ・セックスとはなんですか……特定の技法に基づく瞑想的なセックスでしょうか?』

 

要するにみんなテクニックを求め始める。

テクニックを求め始めたらもう終わりも見えている。

 

テクニックだから。それ以上行くにはテクニックではないから。

 

長くなりましたのでこのへんで。

 

また。

 

らぶ

 

 

小さい

どんなにうまく語れたとて・・・

どんなに理論めいたとて・・・

所詮小さな頭の中のことなのだ・・・

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だから・・・これにかなうものなんてないってほんとに思うようになってしまった。

 

完全なる負けである。

 

だからこそ前よりもっと楽しめるようになった。

 

同時に前よりもっと死ぬのが怖くなった。

 

だからうまくなろうと練習する。

 

だからある意味うまく死ねるように練習する。

 

多分それが人生。

 

人から教わるんじゃない。

人からは教わりきれない。

 

自分で探すのだ。

 

そんな朝。

 

匂い

僕は匂いフェチまでいきませんが匂いをある程度嗅ぎ分けます。

 

あくまでも僕の感覚ですが、緊張の匂い、喜びの匂い、焦った匂い、頑張った匂い、かっこつけた匂い、官能の匂い、・・・これら無数にある匂い・・・これらをどうとか、こうとか、言語化できませんけど、僕だけに限らずみんな『感じてる』はずなんです。

 

匂いには2種類あります・・・『察知すると言う意味での匂い』と、『実際香ってくる匂い』と、どちらも本能的な分野に近いものです。

 

ここはほんとーーーーに大事にしないといけない!

 

本当に!

 

もう一度言います。

 

本当にです!

 

 

最近この大切な分野(本能)が、脅やかされ、壊されそうな危機を感じているので、今回は実際香ってくる匂いの話をば。

 

世に多く当たり前かのように出回っている洗濯洗剤や柔軟剤、人工臭のきつい食べ物とか、こういったものは昔からあったのだけれども、最近は”酷さ”が増してると思いませんか?

 

さらにそれらを大企業がバンバンお金をかけて宣伝して拡散しているものだから、世の中に嘘の当たり前が広がってしまっている。

人間の匂い嗅ぎ分ける能力、見る力とか、味わう感性とか、いわゆるなめてはいけない!

 

これを鈍らせると言うことは人間力を鈍らせることになります。

 

自然ないい香りだったら実際こんな風に顔を埋づめたくなり、恍惚となるのです。。。w

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特に僕はタントラというワークをずっとやってきて、人間の身体を取り扱い、身体の感覚に働きかけるワークをしているので、この五感に敏感ならざるを得ないわけです。だって人間ワークだもの。

 

感じることに関しては多分一般の人よりは敏感で、ファシリテーターという立場上においても、敏感でなくてはならないと思っています。

 

なのでこの感覚を一つでも阻害されるなんてことは感覚を鈍らせるし、アンテナを強引に引っ込めざるを得ないようなものなのです。

 

24時間アンテナビンビンってことはないんだけれど、なるべく避けたい訳です。

 

 

昔は確かに僕もシャネルの5番とか個人的にはディオールが好きでした・・・昔の話です。

 

最近の香水事情は知らないけれど・・・

 

香水をも凌駕し、特に目に付くというか、鼻につくのが、洗剤(柔軟剤や香るなんとかとかいうやつら)であります。

 

こやつらが幅を利かせてすぎて香水どころではなくなっている気がするのです。

 

もし自分の前に香水をつけて、さらに衣類をそう言う柔軟剤臭をした女性がいたとしたら、男性でも、友達にはなれない気がします。ごめんなさい。

 

で、観察をしていると、まぁ子供たち、特にスポーツ系の子達が臭いこと臭いこと。

 

多分思春期で汗臭さや衣類の生くささが嫌なのだろう。それもわかる。

 

そしてそれと一緒に洗っている親の衣類も同時に臭くなる。

 

さらには恐らくだけど、その衣類と一緒に洗ってしまった衣類は匂いの伝染が起こる、そしてさらにその匂いは消えない。

 

もうだめじゃん。悪の連鎖。その服捨てる以外ない。

 

洋服を愛するものとしてたかが洗剤の匂いで洋服を捨てざるを得ないなんて悲しすぎる。

 

大企業が伝搬する汚れの洗脳や除菌の洗脳はほぼほぼ嘘です。

洗剤を売るためにだからね。

 

何を洗うのにも石鹸一つでいい。

 

石鹸すらいらないものもある。

 

だから余計なものをつけないことだ。身体にも、思考にも、人格にも。

 

だからとて今まで使ってきた”習慣”を即座に辞めるのは難しかろう。

 

でも大丈夫と言いたい!

 

石鹸一つでよくなるととっても楽になる。

 

買い物も余計なもの買わないでよくなるし、そもそも物が減る。

 

せっけん化運動である。

 

少し脱線しました・・・。

 

 

瞑想会などしているとこの五感がとても鋭敏になる。

とても繊細になります。

 

ここでパンチの効いた人工の匂いが来ると”そっち”に意識が行ってしまう。

 

いわゆる”外”にいってしまう。

 

だから瞑想会、グループに来る際は注意していただきたい。これは僕が主催するグループだけじゃなく、そういった繊細さが必要となるものに関してすべてである。

 

要するにすべてである。瞑想していくと、だって全てが瞑想になるんだから。

 

電車乗るのも、車乗るのも、すべて。

 

そういう匂いのついた衣類で来ないこと。

 

これは・・・

大きく言うなれば『社会貢献』である。

 

 

特に瞑想という場のエネルギーを守ることにつながります。

 

 

是非お願いしたいし、ぜひ、そいうものから意識的に離れるよう試みて欲しい。

 

そんなお願いブログでした。

 

良い匂いを嗅ぎたい・・・

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良い日を。

 

 

 

 

 

 

ダンスをする理由

タントラのワークショップでダンスをするのはこんな理由からです。

 

『もし人びとがもう少し踊ることができ、もう少し歌うことができ、もう少しクレージーだったら、エネルギーはもっと流れ、悩みの種は徐々に消えるだろう』

 

もうこれだけ。。。

自由に、エネルギーが流れるまま踊ります。

でもこれが難しい。
“考えて”しまうから。

型も大事です。でも型がなく自由にエネルギーが流れたときOSHOはこんな事を言っています。

 

『オルガスムに至るまで踊るがいい。
全エネルギーをダンスにしなさい。
すると突然、自分にはまったく頭がないことにあなたは気づく——頭で滞っていたエネルギーが美しい模様、絵、動きを生み出しながら、まわり中で動いている。
そして、あなたが踊っていると、からだがもはや堅い物ではない瞬間がやって来る。
それはしなやかに、流れるようになる。
あなたが踊っていると、あなたの境界がもはやそれほどはっきりしない瞬間がやって来る。
あなたは宇宙と溶け合い、融合し、境界は混じり合っている。』

何と!素晴らしい!

踊りだけで、というか踊れなければオルガズムなどないし、踊りに全部出る、出てしまいます。人柄も、日頃の動きも、セックスも、全部詰まってる。

だからここでは教えるとか教わるとか一旦脇に置き“踊りましょう”いろんな踊りを、自分の踊りを・・・タントラは“上“にも行けますが、身体を絶対に置いてけぼりにしません、自分の身体と踊ります。

 

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ぜひ。

LOVE

 

覚えておくこと3つのこと

新年おけましておめでとうございます。

令和新年初ブログとなりました。

今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

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今年はなんだか色んな意味で分かれ目な気がします。

夏には東京ならぬ日本オリンピックでその後どうなるか。

世界に日本のやばいところが見えちゃう大事な時期ですね。

 

さて・・・

 

この地球上いろんな紛争、右と左や、嘘や疑心が溢れかえっているけど、紛れもない真実として、どんな宗教も国籍も関係なく、この地球に住まう人類の、何一つ疑いの余地なく共通しているものが、人間はセックスを通して生まれてきたってこと。

 

でもこのセックスは全人類(とまではいかないけど)共通で諸問題を巻き起こす種となっている。

 

なぜ?そもそも愛の行為であるのに。

 

セックスエネルギーは身体の中で一番活発で、強く大きなエネルギーがゆえに「闘って」しまうからなのかもしれない。

 

他人とも自分とも。 

競争したり。

蓋をしたり。

捻じ曲げたり。

お金の種になってたり。

溺れたり。

 

そんなこんなしながら、それでも僕らは生き続け、様々な身体を通り、重ね重なり、歳も重ね、うんざりするという気づきが来たら、まだ良しで。

これが日常化して(ルーチン化)いわゆる脳を刺激してくしゃみのように一瞬で終わるインスタントな行為になっていって、

なおかつそれに満足してしまったら・・・

眠りこけてしまう睡眠薬や安定剤のようなものになってしまったら・・・

日頃のストレス解消を取り除く行為になってしまったら・・・

 

性の喜びってなんだろう?

もう探したいけど見えなくて、もう自分には手に入らないものかもしれない・・・となってしまう。

(どっかにいたな性の喜びおじさん・・・w)  

 

タントラではセックスを受け入れなさいって言う。

 

と簡単に言うけど・・・

 

ん?

え?

 

受け入れる?

 

何を?

 

ってなる。

 

我れらマスターOSHOは3つのことを覚えておきなさいって教えてくれた。

 

1つは・・・セックスを始める前に瞑想をする。

 

それもやらなくてはいけないと言うほど強調している。

さもなければマインドや思考、ファンタジーに留まるからであろうから。

 

これはなかなか簡単にできることではないだろう。

 

みんな脳を刺激して興奮してから始めるのが普通だと思い込んでいるだろうし、

もっというと喧嘩やトラブルをきっかけにセックスをすることも多いではないだろうか?

喧嘩を止めたいがゆえにセックスする・・・ずるさの極みだ。

どちらにしても、訳がわからない状態で終わっていく。

 

だから始まる前なんて瞑想どころではないし、瞑想なんてしたら興奮が冷めてしまうって思う方が自然で、どうやって興奮するんだろうって?普通は考える。

 

でもタントラでは逆を行く

 

通常セックス自体呼吸が速くなる。喧嘩なんてしたらなおさらである。

 

でもタントラでは呼吸はゆっくり大きくする。そして動きも早いものからゆっくりした動きになっていく

 

まったくの逆である。

 

緊張から始まるものをリラックスから始める。

 

たったこれだけで違うものになるのは目に見えている。

 

2つ目・・・お互いに礼拝をする。

 

これはインド的とか宗教的とか、思われそうだけれど、そうではなくて、お互いに感謝の意を込めて相手に対し、お辞儀または頭を下げること。

 

まるでお互いがお互いを祭壇で拝むように。

でもこれはある意味ジェスチャーだけれども、それでも礼拝は手を合わせるだけでも良いし、すると意義深いものとなると思うんです。

 

3つ目は・・・セックスを「起こる」ようにしなさい。

 

どういうことかと言うと、我々日本でいう「Hする」でも、西洋でいう「Make Love」でもいいけど、「〜をする」という表現であり、行為である。

ゆえに急いだり、動いたり、何かしてないと落ちつかない。

 

それを「起こる」に任せてはどうかということ。

 

またここで、動かない?起こるに任せる?になると思う。

 

刺激してなんぼが常だから。

 

静かな僅かな動きから始めて、微細な動きを感じとり、互いに触れて、微細な動きがやがて大きくなり、それが拡がってダイナミックな動きになり、動き自体がオーガスミックになったなら、その先は未知だろうし、初めての体験の連続になるんだと思う。

 

身体から起こってくる様々な動きを許すこと。

それはうめき声がでるかもしれないし、叫びかもしれないし、動物のような動きかもしれないけれども、身体から動いてくることを受け入れ許すこと。

 

そうした自然に発生した動きからは自然に終わりもやってくる。

そうして無時間と無思考を体験し経過したならば、睡眠薬も安定剤もいらない眠りがやってくるかもしれないし、その次の動きがやってくるかもしれない。

 

そうやって任せられたら時たくさん受け取るものがあると思う。

 

 

ま、でもね・・・

 

それが難しいからこそ、もがき苦しむわけです。

 

だから練習が必要になってきます。

 

呼吸の練習、身体を感じること、喜び祝うこと、踊ること、そういったことが実は良いセックスを育む。ただし良いセックスを求めないこと。まずは自分の身体を作ること、整えること、だから局部の練習は後になってからじゃないと役に立たないのだよ。

 

だからタントラでは踊り、呼吸から始める。

 

タントラのドアは開いております。

 

いつでも練習にいらしてください。

 

イベントはこちらかやっております。

https://www.tantralife.jp/

 

それでは今年もどうぞ宜しくお願いいたします。

 

Kabir

 

ダンス瞑想の作り方

まさか我が人生においてダンス瞑想をリードするとは思っていなかった・・・

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実は若かりしころDJを目指した時期がある。

パンクやハードロックが好きだったけど、いつの頃かボブ・マーリーに泣き、レゲー好きになり、レゲーレコードを集めはじめ、当時録音機材がカセットテープだったのでレコードからカセットに入れて2つのカセットテープで音を繋げてMIXを作っていたっけ。古っ。

 

音楽は好きだったけどプレーヤーになりたいとはまったく思わなかった。

 

で、いま瞑想会でダンスの音楽をかけるのだけれど、これは自分のなかでDJとは違う。

 

なのでたまにDJいいねと言われるが、DJが出来るとも思っていないし、実際やってみたことがあるけど散々であったw

 

もし自分がDJだとしたら今の瞑想会で使うようなダンスの選曲を出来ていない。

 

なぜなら僕には悲しいくらいジャンルやアーティストへのこだわりがない。

 

アーティストの名前などほぼ知らないし、日本のバンドやアーティストもほぼ知らない。

 

ちなみに映画もほぼ同じ。人よりは多めに映画を観ているけど監督では観ない。

 

じゃどこで選曲しているか。

 

身体である。アンテナとも言う。

 

瞑想会での曲の構成の仕方はいろいろある。

 

例えば、打楽器は情動に作用させるとか、弦楽器は感情とか、色々と使い分ける。

 

ハートへ響くか、足を感じれるか、感情を動かせるか、身体を広げられるか、などなど・・・そう言った視線で曲を探しいてる。

 

なので僕のプレイリストは「ハート」とか「アフリカン」とかであるw

 

だから曲の質の内容というより、いかに内側へと入れるかが僕の興味ところである。

なので僕にとってベースがいいねだとか、あそこのピアノの入り方はどうのこうのは、興味対象から外れる。

 

 

もうかれこれタントラ瞑想をリードするようになり10年以上経つといくつか分かってきたものがある。

 

ダンスはまず心身を活性化しなければいけない、かといってどんな曲でもいいというわけでないし、人の体はいきなりはあったまらない。

その時の集まってくる人たちのエネルギー、その場のムード、さまざまな状況も関係してくる。

もっというと、当日ダンス瞑想中に予定していた曲を変えるなんてしょっちゅうだし、そういう意味ではDJと似ているが非なるものである。

 

あと最新の最新は逆に身体に入ってこないので使わない。

少し熟された2年くらい前の曲が瞑想で使うには今までの経験値から最適な気がしている。

 

たまにミックス作ってと、稀に言われるが、瞑想の場でしか起こらない曲順で選んでいるし、その日しか選ばない曲だったりするので、曲を聞かれても対応に困るのである。

 

あと瞑想に使う音楽は快適やただ乗れる曲でもだめで、感情をふさぶったり、感情に触れたり、そういった作用が必要不可欠なのである。そういう曲の流れを作る。

 

 曲の力ももちろんあるけど、流れを作ることが大事で、選曲は決まってないけど、流れは決まっている。

 

でもこれは経験値でなんどもなんどもなんども失敗してきた。

 

イメージと違うことななんてしょっちゅうだし。

自分はノリノリでも参加者とズレがあるなんてしょっちゅうである。

 

曲選びにはいつでもどこでも、アンテナを張っている。なので定期的に無駄に都会に出るようにしてリサーチしている。曲もそうだけど、街のムードとか、ファッションとか。

(今はアプリがあるからどこでも曲の情報生えられるから便利である)

なぜなら時流というものもあるし、時代の空気感もとても瞑想グループとて、とても大事なことだから。

 

でも中にはもう10年も使うような定番の曲もある。

 

まそんな風に日々曲を選曲している。

 

どこで買っているか・・・原則iTunesで事足りる。

 

DJの友人から教えてもらったサイトだけど、なかなかいんだけど新しすぎる・・・w

でもたまにいいのがあるのでここでも購入している。

https://www.beatport.com/

 

そんな集めてきたコレクションの中で組み合わせて最近では1時間くらいのストリー立てた瞑想を作れるようになってきた。

 

そんなコンシャスダンス瞑想を試作しているところ。

 

来年あたりダンス瞑想会をやります。

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では瞑想会で会いましょう&踊りましょう。

 

 瞑想会はこちらから・・・

 

www.tantralife.jp

 

タントラのワークとは?〈年末行うトレーニングのご紹介〉

年末にタントラライフトレーニングZERO「LOVE and MEDITATION」を栃木県鹿沼市の石裂山(おざくさん)という山の中にある瞑想の為に作られた施設で行います。

 

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タントラライフトレーニングはテクニックの研究探求ではありません。

 

 


厳密にいうとテクニックはあるんだけど、このコースはその免状を取得するためのものではありません。

 

 

でもね・・・・

 

 

今この瞬間の歓喜を体験無くして、この身体にインパクトを残さずこの短い生を閉じてしまうには、如何なものか、というのがタントラの探求の元であるのかもしれません。

 

なので日々練習(トレーニング)が必要不可欠だと思っています・・・”その”日に備えて・・・ここでいう練習は「気づき」です。

 

 

タントラでは思考を使わず、身体を、ダンスや呼吸を使っていきます。


それらには言葉では無い言葉がたくさんあり、多くを、その人を、語ってくれます。

 

ティーチャーになるとか、レベルを上げるとか、そういった現世的なものはここでは手に入らないかもしれません。

 

むしろそういったものや、人生目標や人生設計などが、今まで信じてきたものと、違ったものに思えてしまうかもしれません。

 

それでも、自分という新たな扉がもし開けたなら、それこそどんな免状よりもこの短い生〈ライフ〉においてギフトだと思うのです。

 

タントラはセックスという言葉や性という言葉を使います。


(今もたったこの短い文を書いただけで集合意識がビービーと警戒音を発しますwでも書きます)嫌悪を感じる人も中にいると思います。

 

それだけ傷をおって来てしまったのかもしれません、わかりません。


でも僕らはどうあがいても両親のセックスから生まれて来たという「現実」があります。

 

そしてセックスは入り口で「入り口を逃すならば出口をも逃す」という言葉があるように、単なる入り口なんです。

 

ですので、性に特化したワークでは性は開発できたとて、超えられないでしょう、なぜなら身体全体でこの身体に働きかけなければ、身体の小さな小さな一部のパーツに働きかけても、何の変化も起きないでしょう、要するに入り口でわーきゃーやってても何も始まらないということです、ドアは開いているのです、中に入らないと。。。

 

いっときの快楽のために、ここを見逃し、理解を、その先を見逃してしまったという、いにしえのタントラから今の今まで誤解されているのはここの部分ですね。

 

だから性だけにとどまらず、しかし、性を避けもせず、棚にも上げず、感情も、思考も、あるがまま、ありのまま、受け入れていく、それがタントラのワークしょう。

 

なのでライフのワークであり、ライフのトレーニングなんです。

 

ここがタントラのマジカルなところです。

 

なのでタントラでは「ナチュラルであれ〈自然であれ〉」と言います。

 

あるがまま、ありのまま。

 

ぜひおいでください。

 

https://www.tantralife.jp/20191227_30_loveandmeditation/

 

 

 

LOVE and HUG