決して品がないわけではないであろう?おじさまたちのセクハラ、買春に続き、決して3流ではなかったアイドルが・・・世の噂の世界を賑わせておりますが。
この一連の事件というか、このハプニングは、本当に、本当に、そんな重大な大事件のように報道する必要がある事なのか?
某グループはメンバー全員で黒い服着て神妙な顔をして何を?誰に?謝罪しているんだろう?
本人もさんざ謝罪したんではないのか?
これでまた被害者も、または同じような経験を持った人たちも、なんども思い返されてしまうではないのか?
何か違和感を感じた。
男と女の問題、多かれ少なかれ何かある。
ここはおおらかに笑っておきたいところだ。
もうごめんなさいとしか言えないことなんてたくさんある。
でもそれが男女じゃないのか。
この国はこの現代においてなお男女問わずの恋ごとはいつまでもタブーなのか?
もういっそのこと性行為禁止条例でも発令すれば良い。。。そしたらお金と権力を使い、裏で堂々と出来るでないか。。。知らんけど。。。笑
さておき・・・ けっして男のせいだけではないにして、
性の問題はなくなるか?
と問うたなら、まぁ、恐らく、なくならないんじゃないかな。
性というものは、圧してもだめ、溺れてもダメな質を持っているから。
さまざまな要因はあるとて・・・ひとつの要因として・・・
多くの男性たちの射精への捉え方にあると思う訳です。
男性のセックスにおいては即座に=射精であろうし、男性のオーガズムやエクスタシーと言ったものは=射精とされている。
これが男女問わずのマジョリティだろう。
まず、射精はオーガズムではないと理解するってのはどうだろう?
何もセックスだけではないのに・・・オーガズムというのは。
セックスにおいては快楽が伴うところが難しいとされるゆえんだが、それは句読点のようなものと考えてみる。
例えば「。」が射精だとすると、その前に「、」が続いてひとつの物語を創り上っていくとする。
「、」は小休止だったり、物語がそこから展開していったり、ドラマチックになったり、想像し得ないことが起きたり、しかし、だからと言って長ければ素晴らしい作品とう訳でもなく、また明日〜になるかもだし、全く読む気もうせるかもしれないし、読みながら寝ちゃう日もあるだろう。
誰しも射精は求める。
至極当たり前だし、何も、全く悪くないと思う。
女性側とて、さまざまな意味において欲するだろう。
欲されれば与えたかろう、という健康的な構図もある。
しかし
男性主体で「出す出さない」「終わる終わらない」が決まってしまうケースが大半なんだろう。
「射精で終わり」という、そこの意識改革が(もちろん他にもたくさんある)もし、なされたならば、先にあるものは男性というエゴの崩壊かもしれないし、プライドが折られるかもだし、肉体で行う行為であるからして、肉体改造も必要になってくるかもしれない。
昨今流行りの見た目重視の筋トレはするけど、こと性に関してはおざなりでは悲しすぎる。
筋肉を鍛えるのが筋トレであるならば、比べるには少し違うが、
性に関しては瞑想が助けになる、必ず。
「出ちゃう」では人任せすぎる。
それをさらに「他者」のせいにするのなんてもっと人任せすぎる。
少し意識的にしてみましょうってこと。
他者を良くするとか、してあげる以前に、自分に意識を向けて、
自分がもっともっと感じれるようになればいい。
ここでいう自分を感じるは性的な「気持ちいい」を感じるではなく、
感情や、皮膚感覚や、匂いや、いろんな五感を、フル稼働して、つま先から頭頂まで、なおかつそれらを繊細に感じれるようになりましょうってこと。
強さも
弱さも、
美しさも、
醜さも、
泣いて、
笑って、
いろんなものを
感じる力をつけましょうってことが、いろんなものを紐解いてくれる気がする。
LOVE