まーよく嫉妬をしたもんだし、嫉妬もさせてしまっただろうし、これかも嫉妬することだろう。
嫉妬を見るにはコツがいる。
少し、いや、かなり、やっかいな感情だし、出来ることならそっとして過ごしたい。
しかし、世の中で動いているのであれば、そうはいかない。
やっかいだけど、嫉妬は大小、意識的、無意識的、頻繁に割と日常的感情だと思う。
昔、年長の友人と話していた時に「嫉妬は体力があるから出来るものだ」と、その時は、
何を年寄りめいたこと言ってんだとか思っていたが、今はそうだとわかる(//∇//)
たしかに年を重ねると追っかけなくはなる、
しかし
嫉妬がなくならないかと言えば違う。
若年と比べ他者の自由を尊重出来るようにはなる。
しかし
嫉妬しているのに、やせ我慢して「あなたの自由を尊重しているんだ」という強がりもまた違う。
嫉妬はちゃんと見るべき時に見ておいた方がいい代物で、嫉妬は、大暴れしてる時は、まるで魔物のように感じるけど、魔物とて、人生経験として見る価値はある・・・・・・と思いますけど、おススメはしません。
その瞬間を捉えたら、早ければ早いほど嫉妬の熱量が多いほど見がいというか、味がある。
嫉妬は嫉妬が起きる”瞬間”というものがある。
振り返って見るとわかると思う。
嫉妬はちらっと見えたその瞬間に熱量がぐーーーっと上がる。
嫉妬は生鮮食品。
それも早めの賞味期限設定。
決してスーパーでは売ってないが、食品は買った瞬間、賞味期限の責任はこちらになる。
食べるか、腐らせて捨てるかだ。
嫉妬は苦いけど、食べる価値はある。
そうそう納豆のようにどこでも出回っていないかもしれないが、苦味あるレアな生鮮食品ではなかろうか。
食べたい人(真実を知りたいと願う人、すなわち探求者)が食せばいいと思う。
その場で発生し、その場で観察でき、感じ、その場で解消出来るものだと思う。
それには少し「観る」という訓練と覚悟がいる。(見るではなく観るです)
でも逃げずに観ることをしておいた方がいい。しんどいけど・・・
たぶん人生にスパイスが加わる。
スパイスは味に深みが増してくれる。
観察すると、仮想な膨大な嫉妬はそれほどでもないとわかる。
それは、嫉妬というマインドの中にいて、嫉妬というフィルターを通して見た仮想の物語を見えているから。
日常の小さな嫉妬も、言い訳をせず、何かに置き換えず、きちんとみる癖をつけておくといいと思う。
じゃ実際どうしたらいいか?
- まず落ち着くw
- まず嫉妬が見えたら「嫉妬してる」と3回呟く。
- 人に向かわない。人のせいにしない。
- その感情を苦くても、辛くても、その場で感じてみる。
それでなんとかなる。
そして恋人なり、友人なりに、言いたかったら上記を自分でまず行なってから、怒りや悲しみからではなく、言葉にしてシェアすればいい。
「他の女見ないでー」VS「他の男と話すなやー」
という不条理ではなく、
「今、こうこうこういう理由で嫉妬した」と自分のことだけを伝える。
どうして欲しいも言わない。
ただ「嫉妬」したと伝える。
ただそれだけ。
世の中ってただそれだけのこと多いよね。
気をつけて。
Love