久しぶりのブログになりました。
文章を書くという事に、世の中の動画という流れに押されたのか、キーボードを叩くことから遠ざかっておりました。
ここに来て1周したのか、キーボードを叩いております。
動画というのは物によってはとても有益なんだけど(数少ないけど)本当に必要な情報にたどりつくのも難しく、文章を読んだ方が早いことの方が多く、結局YouTubeのおすすめをズルズルと見せられるという時間泥棒的であるなと、特にコロナ以降芸能人が進出してテレビ化してきてから特にそう感じる。
とか言っちゃってる僕も時流に乗り動画配信を・・・とか思うんだけど、なかなか。
オンラインイベント一つ、いや、ミーティング一やるにも気が引けてしまうタチなので、動画発信などは遥か岸向こう・・・オンラインやるのは嫌いではないんだけど。
だからブログをつづれづれなるままに書いていこうと思ったけど、つれづれってのもなんか違くなってきたな。それはツイッターでいいのかなとかとか、ぷかぷかと彷徨っていました。
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タントラ言語化への道
僕のやっているタントラというワークがそもそも言葉での説明が難しい。
タントラと言う瞑想ワークは1をやると1がわかり、それに1を足すと2になるという方程式のような物がない。
何かの実験のようでやってみないとわからないし、ある程度は予測可能になるのだけれど、実験しない事には始まらない。
時に−1になるし、時に+3になるし、飛躍的跳躍もありえるし、半年後にふと理解がやっくる時もあるし、はたまた、ダメージを受けることもある。
生きてりゃいろいろある。
タントラのせいではない。
”それら=自分”を見る良いきっかけになり得るんだけどな。
真っ向見るのはほんの少し勇気がいると思う、だから避けられがちだけど、遅かれ早かれ観るときはやって来るから然るべき時が来たら早いとこ観ちゃいましょってこと。
ちょっとでも早いほうがいいぞとぼそっと呟いておきます。
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日常という非日常・・・日常を非日常へ・・・!?
タントラは“日常”と繋がらざるおえないワークです。
日常は変化しないことが日常と思ってる人が多いと思うけど、そもそも人生というもの自体、流転の産物で不安定であるのが原則であって、安定を生き、求めるのは逆に不安定である。という一見妙なロジックに聞こえるけど、まさに真理だと思うのです。
ー1も、+3も、大きな川からしたらそう大差はない。
時に急流も暖流もある。
そんな体験的ロジックを体感的に学ぶワークであると思っています。
例えばワークショップを開くとする。
その開催した日に参加してくれた方により受け取り方は−1だったり−3だったり、+2だったり+5だったりする。
片方はもういいや、かもしれないし、もう片方は充分となるかもしれない。
それはその回だからであって、先の安定ではないけど、次の回も同じ事になることはありえない。
ということは2〜3回参加しない事にはわからない。物事は大体3回でなんとなく見えてくると言う法則を信じている。
インスタントな時代で、すぐさま結果をもとめられる時代なのかもしれないけど、すぐさま結果が出るものってすぐさま消えていく法則も同様に信じている。
とは言え誰にでもわかりやすく万人受けするように±0風に平々凡々にワークをするのも違うし、分割に分割を重ねレベル訳けするのも違う。
むずいけどインスタントはほどほどでいい。
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旧式の車みたいなようなもの?
旧車ってどこかしこで売ってるものでもなく、でも誰しもどこかでみたことがあるような懐かしさがあり、タイムレス感があり、味があり、匂いがあり、見つけた時の喜びがあり、メンテナンスや部品が少なくて面倒だけど、でも一度手に入れたらもう電気自動車には戻れないみたいな。
最新ハイブリットも便利でスタイリッシュでかっこいいし、楽だろうし、それに引き換え旧車はギアはマニュアルだし、遅いし、シート硬いし、とか、そりゃ最新になればなるほど未来感に圧倒されるけど、何かが足りないのは、やはり人間味だろう。
何かが足りない・・・今の時代ほんの少し「何かが足りない」という欠乏症的な人やものが多い。だからこぞって新しいものを求め、次から次へと更新され続けていくことがうけている。でもその「何か」は永遠と補填されないと思うのだな。外に求めている限りは。
コロナで世の中が止まった時「幸せ」を感じたのはきっと僕だけではないはず。忘れてはいけない。
本題からずれました。
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朝死ぬ!?
さて、タントラの日々のエクササイズは何をすれば良いのだろう?
と問うと、なにかスペシャルでエキセントリックなことを想像する人は多いのだろうと想像する・・・あんなことやこんなこと・・・ここトリックなんだよね。
でもこのトリックという媚薬は瞑想への引き寄せ力があるのでそれはそれでいいと思っている。僕もそうだった。
瞑想を渇望し瞑想を実践していくと、結局は日常が瞑想になります。
でも初めは色々と味見が必要なようにいろんなことをしたほうがいいのだけれども、結局は日常にあると思っています。
僕のおすすめは何もタントリックなことを練習しろとかではなくて『朝死ね』ってことです。
死ねとはセンセーショナルかもしれないけど、朝やることを終え、朝死んでもいいと思えたら、充分以上でしょうってこと。
じゃなぜエキセントリックなものは日々の中でそれほど重要でないかというと、それは癖になるからなんですね。淡々とできるものが血肉をつくります。
呼吸とか食事とかがまさにそうです。
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朝1時間動けてくると、1日朝で終われる。
これこそがクリエーティブの源だと思っています。何か物を作るってことではなく、脳味噌を柔軟にするってことです。
絶賛おすすめはダイナミック瞑想です。
経験ある方はわかってもらえると思うけどダイナミック瞑想が終わるとそれはそれは充足で満ちます。それもたった朝起きて1時間しか経ってないのにもう十分って思える。
だからおすすめなのです。
ダイナミック瞑想だけじゃなく、朝一で動けると、ジョギングでもヨガでも、なんでも自分が好きで続けられるものがいい。この充足はやってきます。
ただ今どき風の5分とか10分ではそう感じるのは難しい。
やはり簡単には問屋は卸さないのです。だからインスタントは程々が良いのです。
少なくとも1時間、それも心拍数がある程度上がるものがいいです。
なので朝1時間はその時間に費やしたい。もちろん1時間きっかり済みません。準備やクールダウンもあるので、やはりそれをするには少し時間的余裕が必要になってくる。
通勤前に1時間早起きしてやるってのもあるけど、それだと結局騒がしくなっちゃって修行になって惨めさが滲んでくる。
だからもうこの際根本的にライフスタイルを変えちゃってもいいのではないかなと思う、こんな世の中ですし。
こんな短い人生だもの、好きなことやるのが子供の時だけなんて淋しいじゃないか。
朝もう死んでもいいやって思えたら少なくともその日1日が豊かになると思うのです。
そんなこと思う久しぶりなブログでした。
読んでいただきありがとうございました。
タントラワワークのイベントやってます→タントラライフジャパン
ではまた。