JOY of LIFE!

タントラのカビールのブログ タントラライフジャパン代表

仏陀のセックス観

仏陀やキリストなど悟ったと言われる人たちはセックスなんてしないと思ってた。

 

キラーーーン

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手塚治「ブッタ」より拝借

 

しかし、世界を揺るがす男たちである。

 

人が寄ってこないはずがない。

異性にモテないはずがない。

そもそもしないはずがない。

人間だもの。

 

しかし、悟ったのちは「」のみならず「」の質が変わるんだそうな。

 

だから「愛する」ってことが変わるんだそうな。

 

でも外見は変わらないから仏陀は悟り後、批判を受けるわけです。

 

小学生が声変わりするように・・・

もう前の声はないし、昔の声は出せないし、どんな声かも思い出せないように。

 

完全に変わってしまった。

 

こと「悟り」というか「宗教」の世界では性を禁じる。

溺れる奴と利用する奴が多いと言う理由からでしょう。

 

 

悟りと無縁の僕でありますが、若かりし頃、いわゆる「性欲が強いんです」って言う日本人男子にあるオーソドックスな悩みある若者だった。

有り余るエネルギーをどう昇華できるのか?ずっと考えてた。

一見崇高ですが、典型的な、単なる欲求不満な若者だった。

 

どこに向けていいかわからない。

だから簡単に蓋を閉めれた。

 

スピリチュアル的に言うところの「抑圧』ですね。

 

それでも若い頃やっていた仕事がクリエイティブ系(今もそうだけど)で楽しかったし、華のある世界だし、エゴを満たせる、仕事だった。

だからか、それなりにエネルギーは回っていたので、日々の不満の爆発はそれほどでもなかった。

何年も彼女がいないなんて期間の方が多かったにも関わらず。

 

 

今の若者のことを草食系だのとやんや言うが、最近草食系は普通な状態なんじゃないか、むしろ正常な人間像に戻ったのではないかと思うようになった。

 

我々昭和の人間からすると少し薄味な気がして、草食系などと名付けたのだと思うけど、人として正常な現象ではないかと思う。

 

今は昭和と比べても娯楽にしろ、自分一人で楽しめることが、男女問わず爆発的に増えたので、もうめんどうな関係性は必要ないと言う発想になるのはわかる。

 

逆に無理に関係性を結ぶとへんな事件や変な病気になるという現代の闇でもあるかのような社会である。

 

それでも伝統継承的に結婚や子供を作るということは永遠と続くだろうけど。

 

だから問題は消えない。

  

悲しく聞こえるかもだけど、欲望としてのセックスはそんなものじゃなかろうか・・・なければないでどうにかなっちゃうもの。

 

気づいていたらだけど。

 

愛のセックスは・・・本来しないではいられなくなるものなんじゃないかな。

 

話が逸れた・・・

 

仏陀に戻すと・・・

 

これはOSHOの語った言葉の引用で、本当に仏陀がそうだったかはまた別の話だけど

多分こんな感じだったんだろうなと思う。

 

 

彼(仏陀)の父親が王国の美しい女性たちを大勢彼のまわりに

はべらせていた。

美しい少女たちが、彼の宮殿には勢ぞろいしていた。

彼はただただうんざりしてしまった。

そうなって当然だ。

そんな暮らしをしていれば、誰だってうんざりする。

彼はセックスにひどく辟易していたので、

このエネルギーが変換されうるとは思いもしなかった。

彼はそれを一度も試さなかった。

誰かが性エネルギーは

聖なるエネルギーに変わりうると言っても、彼は耳を貸さなかっただろう。

性体験の豊富な彼にとって、セックスには何ひとつ神聖なものがなかった。

それは肉欲にすぎなかった

 

 

う〜む。

 

・性エネルギーは聖エネルギーになりうる・・・ 

・肉欲に過ぎない・・・

 

ってことを宮殿にいて何不自由なく暮らしていた仏陀はわからなかったそうである。

そう言うことはむしろ逆で胡散臭く思っていたそうである。

 

なのでうんざり地獄。

何してもうんざり、どうやってもうんざり。

 

現代と一緒だね。

でも、うんざりするまでやらないと変化の兆しはやって来なかったりする。

 

そして仏陀は宮殿を捨て探求の道を歩み始めた(あくまでも伝記上であるけれど)

 

 

習慣にはまってしまうとなかなか抜け出さない。

 「終わる」という選択しか無くなって(と言う思考に捕まって)

でも変化は怖いから、何をするかと言うと、

「妥協」をし始める(と言う選択肢しか見えなくなって)

 

そしてさらに「諦める」

 

「諦める」ってことを成し遂げたのに!

 

今度は「惨め」がやって来て

 

「惨め」も通り過ぎると、

 

あとは「死」を待つしかない・・・がーーーん。

 

「惨めさ」は受け容れ難いので、

みんな「何か」を過去へ置きざりにして生き始める。

 

だかららおっさん(僕w)は「昔はよーーー」ってやり始める。

これを言い始めたら要注意であーるww

 

だから老化と怠惰がやって来てこりゃやばいってなる。

 

そうすると何かし始める・・・

 

毎日ゴミを出しの日を気にして、それが生きがいになったり、

 

ご飯の用意のことばかり考え、決まらないとイライラしたり、

 

掃除を過剰にし、捨てることばっかり考えてたり、

 

一見は常識人でむしろめっちゃいい人だ。

 

だからそれを演じ始める。

 

でも自分はいない。

 

だから老け込む。

 

ケンシローに突かれるが如く「おまえはもう死んでいる」宣告されてるのにいい人ぶる。

 

と、おおげさに書いたけど、もちろんこれは僕も当てはまる(痛い)

 

だからこそ、みんなが「今」を意識して、みんなが「今」を生き、みんなが「今」をないがしろにしなくなれば、みんなが小学生の声変わりのようなことが、変化が、訪れる。

 

そんな先駆者である、仏陀やキリストがやったことは何かというと・・・

 

・・・

 

瞑想だったわけです。

 

 

内側にしか、若さも、力も、光もない。

 

だから生きづらくなったら瞑想しかない。

 

ようだ。

 

少なくとも同じ人間がそうやって内側に輝きを見出したわけだから。

 

超越ってやつ少年期の延長が青年期ではないのと一緒なんだそうだ。

爆発的に起こるんだそうだ。

ある日内的爆発が起こる。

 

 

だから瞑想してる人は若い。

 

瞑想へのジャンプが変化の可能性を秘めている。

 

だからまずジャンプしないといけない。

 

この時代だからこそ。

 

飛びやすいのです。

 

 

ナマステブッタ。

ご拝読ありがとうございました。

 

タントラはそんな性のことや、生きること、いろんなことにオープンなワークです。

 

大そうな人生を変えたいとかでなくとも、身体を感じることから始めませんか?

 

 

そのトレーニング=練習が7月に京都であります。

その名も「SEX and BODY」

どうぞいらしてください。

 

7/13~15 タントラライフ トレーンングZERO ~SEX and BODY~ in 京都 – Tantralife Japan

表に出ない被害

今日のニュースで三浦瑠麗さんの記事が出ていた。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190611-00010003-bfj-soci&p=1

 

過去の性被害の告白だそうだ。

 

**性被害に関する個人的なコメントです、不快に思われる方もいるかもしれません、そうした方はこれ以上読み進めないでください**

 

まず湘南出身だったのだね。。。この人。。。おどろき。。。

で、湘南で事件が起こったことに憤慨。

 

それはさておき。

 

いやーしかし、こういった、過去が公になって初めてこの手の事件の多さに驚愕させられる。

 

仲の良い友人に医療従事者がいて、この手の事件や事故は山のようにあることを聞き驚き、昔付き合っていた彼女から、性被害の告白を受けたこともある。

おぞましい体験で聞いてるこちらがフリーズして何も言えなくなったのを覚えている。。

 

ほんと小説より奇なりだ。

 

 

どうなってるんだ?

いつ終わるんだろう?

 

男と女の戦争。

 

ここが止まない限り国家の戦争は絶対に終わらない。

 

ここが止めば戦争は終わるよ。

 

戦争のしようがないもの。

 

怒りを怒りで止められないし、

平和を説いても平和は無くならない。

 

悲しいが現実。

 

結局奪い合い。

 

私の。

俺の。

 

それが嫉妬や妬みを生み、それが怒りへと変化する。

 

我々個人間でも簡単に起こるシステムで、これが国家となればそりゃ戦争になる。

 

それだけじゃなくどさくさで人も殺すし、金品も奪う。

 

負の連鎖。

 

お金は儲かるかもしれないけど。

 

 

情報がなかったころ、こうした告発をしても届く人は少なかったろうけど、いまや全世界に拡散される。

 

そんな犯罪リスクがあるにも関わらずまだ終わらないこのサイクルはいったどこからくるのだろう?って毎回思う。

 

自分を守るのは自分しかいない。

自分を愛するのも自分しかいない。

 

人に求めすぎるのか。

人への期待と依存が多いのか。

 

 

それでも拳銃を向けられたら何も出来ない。

 

悲しい。

 

みんな実は悲しがりたくて、平和になりたいってのは嘘なのか?

 

 

本気でそうしたことがなくなって欲しいと思ったらまず自分を変える道へ行かねばらない。

 

人は真に癒してはくれない。

自らこの自分に挑まないと連鎖はなかなかほどけない。

 

 

まずは自分を愛することから始めるしかない気がする。

 

遠回りな近道。

 

こういうとさ、胡散臭がれるけど、でも言って行くしかない。

 

過去を誤り(I`m sorry)

 

お互いを許し(Please for give me)

 

ありがとうをただ伝え(Thank you)

 

愛してると言う(I love you)

 

 

だな。

 

しかない。

 

 

 LOVEを。

 

 

 

 

 

 

 

 

過去に生きること・・・からの波乗りのすすめ

 

「過去に生きる」

 

案外無意識でやっちゃう。

 

白髪生えてきたら黒髪がいいって思うしね。

身体動かなくなったら動いてた方がいいしね。

昔高給取りだったけど今は違うと惨めだしね。

 

当たり前と思い込んでいた、当たり前が今とずれている。今と昔とのギャップ。

 

だって白髪で、

だって動けなくて、

だってお金ない、

 

それを若さ欲しさゆえの髪染めだったり、

動かないのに動ける風よそおったり、

お金ないのに使い方間違えていたり、

 

これ無意識がよくやる。

 

この無意識が惨めさを滲み出し、醸し出してしまう。

 

こう書いている自分も、常に、常に、自分はついつい口にしてしまっていないか、自問しているにも関わらず・・・つい口に出してしまう。

 

あの頃はよかった・・・

 

あの頃は楽しかった・・・

 

あの頃は若かった・・・

 

あたりめーだ。

 

時にとってもしんどいと直面するのは。

 

でもそれって昔と比べてる自分がしんどいくて案外今の自分はビューティフルだったりするかもしれないよね。

 

昔の自分がしんどかったかもしれんしね。

 

だから気をつけなければいけない。

今をないがしろにしてはいけない。

 

今は案外いいもの、いや今がいいに決まってる。

 

惨めさをなくすことは不可能かもしれないけど、減らすことはできる。

 

喜ぶことをして、それを続けれた時、身体は変わってくる。

そうすると自ずと思考パターンも変わってくると思う。

 

だから毎日新しいことを一つすることをするといいとよく言われる。

 

だから波乗りを推奨する・・・笑

 

同じ波なんて、この海というものが生まれてから一つとてない。

一つもないのだ。奇跡だ。

その波を感じて、毎日海に入れば、毎日違う体験ができるってことだ。

 

こんな風に波に乗れるのはまた別問題だけど、こんな風に人生の波に乗れたら本当に気持ちいいと思う。ほんとに。


5月17日(金) 08:00 サーフィン 鵠沼海岸 江の島 湘南 波情報 ドローン空撮

 

人生のほぼ全ては毎日の違う体験なはずなのに、毎日毎日同じだと嘆く。

 

 

やっぱエンジョイ=楽しむしかない。

 

日本風に言えばがんばってエンジョイwするのだ。

 

それが、人間関係を変化させたり、仕事を変えたり、やめたり、することとなったとしても、そのリスクを取ることは価値があると思う。

 

 

妥協して、今を先延ばしして、生きることは惨めにつながる。

 

 

そんなことを呟きたく。

 

 

良い1日を!

 

 

 

男性におけるタントラ

ワークショップに参加してくれた男性からこんな感想をいただきました。

 

 

先日、大阪でタントラライフのトレーニングイントロを受けてました。

タントラライフは20世紀の覚者oshoの流れを汲んだアクティブメディテーションを取り入れたタントラ。
現代人はたくさんのストレスにさらされてるからただ座って瞑想するのは難しいから
まずはアクティブメディテーション(動く瞑想)によってそのストレスやゴミをおとしてから静寂へ向かおう、自分に戻ろうっていうのを勧めていました。
10年前にインドのプーナにあるoshoアシュラム(瞑想のためのリゾート)に行ってから
アクティブメディテーションのファンになりました。

僕のタントラライフ体験は去年の広島での合宿から久々の2回目。

タントラって言うとみんないろんな意味づけ、ジャッジメントを持ってると思うんだけど笑笑

そしていろんな人やグループがやってる、伝えてるタントラもほーんと様々だと思うんだけど
ここのタントラは
僕が感じたところだと
まずは自分と自分の身体と仲良くなること
相手を鏡にして自分の中の反応を観察すること
そしてどんな自分にもYESを出すこと
まー結局それが相手にもYESを出せるように
なるんだけれども

どんなワークをやったか?とか
みんながどんな体験や感想があったとかは
テーマが繊細なこともあって守秘義務があって話せないんだけども
(だから安心して自分を出せるというのもある)

そうだね、僕の体験で言うと

去年の合宿の時、僕ができなかったのは
「相手の目を見続けること」
まずこれがこっぱずかしくてできなかった笑

でもこれが合宿中にわりとできるようになった。
どうしてできるようになったかはあんま覚えてないけど笑
何かが消化されたんじゃないかな?

それが今回のトレーニング受けて改めて思い出した。
「あっ、そういえばこれ去年は全くといっていいほどできてなかったな」って
これできてるかどうかでいろんな場面で受け取れること広がるんだよね

相手の目を直視するって
コミュニケーションの基本だけど
案外とできない人って多いと思う。

そして今回のトレーニングでもいろいろ受け取ったものはあると思うんだけど

なんせよエネルギーとか身体のことって
バシっと言葉にならないことも多いことやから

まあ1つあげるとしたら
エネルギーに飲まれずに、かといって抵抗せずに中庸をいく
ってことかな
そのためには呼吸に意識するのが助けになる、って体験。

マインドに飲まれるかどうか?
ってのもこれに含まれるよね
かといってこれに抵抗、反応すれば
これは増大するし

おまけにこれって僕が仕事にしてる
マッサージやエネルギーワークにもすごい活かせるな、って思った。

例えばエネルギーワークでエネルギーと共に流れていると
眠くなったりすることもあるし
セクションなエナジー
もしくは強いエナジーが流れることもあるんよね

こういうエナジーって抵抗すれば
止まってしまって勿体無いことになったり、
かといって飲まれてもいろいろ不都合あるしね

ああそう言えばサーフィンで波待ちしてる時にも
通ずるところがある気がするな。。

それにしてもタントラやってる先輩方はヤバイ人たちいるな!
求めれば高い目標を見せてくれる!
ひえーっ!
例えて言うと自分そろそろレベル60くらいになったかな?MAXレベル99だとして。
って悦に入ってたら
実はMAXレベルは999だった!みたいな。
もしかしたら9999なんかもしらん。。
打ち砕かれました(*_*)
今ね、受け入れ中笑笑
ちょっと僕の中のなんかが大幅に修正中だわ

ピーンときた同志は7月の京都合宿で会いましょう!(東京、福岡、広島で1dayとかもあるみたいよ。チェキダ!)
http://www.tantralife.jp/20190713_15_training_zero_kyoto/

 

 

男性がこういう感想を書いてくれる事自体レアなので、とても感謝しています!!ありがとう!

 

 

男性はタントラに何を学ぶか?

  

すこし大袈裟ですが「男性論」をば。

 

 

いくつかある答えの中の重要な一つ。

 

「寛ぎ」です。

 

この「寛ぎ」がすっかり現代社会の特に男性社会において置いてけぼりにされてしまった。

 

リラックスとも言います。(休日どっか行って遊んでリラックス〜とはちょっと違います)

 

 

ここでいう寛ぎが起きたなら、話は逸れますが、セックスレスとかもなくなるかもしれません。

レスってのはしてもしなくてもダメで、ブラック企業にいるようなどんずまった状態にいるわけだと思うんですね。

だから「変化」するというエネルギーにシフト出来た時、何か当然「変化」が起こる(あくまでも理論上だけど実際は50%50%です)そして「流れる」んですね。流れたら否が応でも「変わる」んです。

 

でもね、大方、変えないんだよね。

 

なぜか?

 

レスの人たちを時々見ていると、なぜ?なぜ?ばっか訴えてる(なぜ病)

レスは一見悲惨かもだけど、日々変わらない方が実は全然「快適」だったりします。

だから「楽」が良ければそれでよしじゃんって思うわけ、全く問題なし。

 

 

大概において無意識で「悩み」の中にいた方が楽だからね、状況を「変化」させようと「行動」しない、アイデアは浮かぶからこそ「なぜ病」の中にいる。というしんどさの循環が生まれちゃう。

 

その理由は様々でしょうけれど、「恐怖」を感じていたかったり「あきらめ」ていたかったり「怒り」に中にいたかったり・・・(そうしたくないのに・・・)

 

このいたかったりするという矛盾。

 

不思議かもしれないけど、人ってよく逆のことをする。

 

「変える」というエネルギーを動かす、これだけでも価値があるし、トライする価値がある。ここには年齢も、関係性も、関係ない。

 

「いやー会社忙しいし、辞めれないし」辞めろなんて言っていないのに、この若干人のせいや、何かを気にしてる風が多いし、やらない言い訳にできるのもよくわかる。

 

もう少し言うと性エネルギーに向き合うと大げさに聞こえるかもしれないけど人生が変わっちゃうし、ポジティブに言うと変えられるんです。

 

そりゃそうだ、膨大なエネルギーがあるところだから、多くの人が無意識に怖いって思うところ、だから変わったら怖い、動いて変化しちゃうって感じるのは当然。

 

人の根源的な3つの恐怖・・・

 

変化の恐怖

光悦の恐怖

死の恐怖

 

そりゃ怖い。

 

感じてすぎて壊れてしまうんじゃないかって思うしね。

変人になっちゃうじゃないかって思うしね。

死ぬのことは未知だから怖いしね。

セックスは死だしね。

 

 

男性は思考とエゴが強いのでここは多分女性の何倍も怖いと思う。

 

でもね、大丈夫。

そうはならないんだな。

そう作りあげているのは自分じゃなく大方、思考だから。

 

だからさ、セックスの時泣いたっていい。

 

弱くたっていい、泣き虫だっていい。

 

変人だっていいと思うんです。

 

そうしたら”豊か”になると思う。

スパイスが人生に加わっていくんだもの。

 

 

じゃどうしたら寛げるんだろう?

 

ついつい「どうするか?」を考えたり。

 

この思考を落とすんです。

そのために瞑想がある。

 

(瞑想したかて、落ちるかどうはかまた別ね)

 

だからなぜ今、タントラに限らず、精神の世界において女性たちが先陣をきって積極的に学び、体験しているかというと、この「落とす」ってことに対しては女性たちは(女性の質)ほぼほぼ抵抗がない。(もちろん全ての人がそうってわけではない)

 

でも今見渡すと女性たちはその実戦の場を探しているように感じる。

多分もう”勉強”は満タンになっている。

 

男性はこうしたことを女性が言い出すとまたこれをサポートしちゃうよ?俺手伝っちゃうよ?的余計な、古い、悪い癖の思考が働く。

 

でもね、残念ながら(僕の主観かもしれませんが)女性はもうすでにそれは求めてない。

 

(これはパートナーシップの話ではない)

 ここで言っているのは「個」の話。

 

だから男性にとって怖いよね。

 

え?サポートいらない?俺の”役割”ないじゃん的な。

 

でもね、いらんのよ。社会じゃないから。 

 

じゃ何が僕ら男性に求められるか?

 

 

 

 

 

 

 

なんもない・・・なんもないことはないけども。。。笑

 

男が出来る事なんて微々たるものよ。

 

 

ただ

 

ただ在れるか?

 

だと思う。

 

この仏像を見てほしい!

男性は本来寛いで静かでただ座り、そして女性は狂喜乱舞するのです。

これぞ男性性、女性性を象徴する彫像です。

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もちろん精神世界とて、経済力だったり、力は必要です。

 

でも本質として男性であるってことは寛ぎだと観察しています。

 

 

 

この寛ぎが育ってくるとハゲ散らかそうが、小っちゃかろうとw関係なく、が出始めます。

 

 

このにはなぜか不思議と男女問わずのミツバチが寄って来ます。

 

 

存在の蜜とでも呼ぼうか。

 

 

それはテクニックでもない、社会的地位でもない、コントロールできない、いつなくなるかもわからない、次咲くかもわからない、そんな蜜の味はそりゃ魅力よね。

 

 賢人たちは瞑想においては1日いや1瞬で起こり得ると言っています。

 

そしてさらにそれを瞑想という日々の水やりで自分という花に水を与え続けたら、花は咲き続けるんだろうと思うのです。レスは無くなる論はここに通じます。

 

だからこそ人は死ぬから今こそ花を咲かせましょうと賢人たちはこぞって言うんだろう。

 

 

昔から、瞑想の世界に入るってことは自分が変わるってことなので、いろんなものがなくなってしまう可能性があるけど、大丈夫かい?ってよく言います。

 

でもその先になるのが、いかに静かにただ在れるか、だったら見たいと思いません?

  

 

男性たちタントラに来ませんか?

 

 

こっちの水はおいしいよ、だよ。

 

 

興味が沸いたら来てください。もう時間もありません。

 

今すぐ、今ここへ。

 

 僕子とカビールがタントラライフジャパンでほぼ毎月どこかしらでイベントやっています。以下ページへGO!

www.tantralife.jp

 

ではね、どこかでお会いしましょう!

 

BIG LOOOVE

 

 

 

美は量り売りできない

今日ニュースで南海キャンディーズの山ちゃんが、なんと蒼井優とご結婚とな・・・おめでとう!

 

2人とも好きなキャラでなんだか微笑ましい。

多分山ちゃんは彼女のことをすごーーく好きだったんだろうな。

結婚するしないはどーーでもいいけど、彼にとって彼女と付き合えたことは冥利に尽きるんだろうな。

 

蒼井優は大好きで出演作品ほぼ見ている。

作品がどうこうでなく、彼女を見たくて出演映画を見るってやつ。

好みの仕草や笑顔を見たくて観てる。

 

だから彼女の汚ない姿だろうと、綺麗だろうと、僕の目を映るものは美なわけです。

  

彼女に限らず汚たなかろうと綺麗だろうと美は光る時が光る時。

そのまんまの時に美は光ると思うわけであります。

コントロールなんて出来るはずがない。

 

自己信頼

 

それでも美ってなんだろう?ってこの過剰な美意識時代に思うわけ。

 

メイクとかファッションの話じゃない。

コネコネした美も好きだけど、それはまた別の話。

 

なんであれ、みんな美を求めてる。

でも美は自分の写し絵だから百万の美がある。

 

鏡の側に写る美ではなく、こちら側の美が美なのに、みんな鏡ばかり賞賛する。

 

自己保身(エゴ)のためとか(モテたいとか)、着飾る(自己盛り)時は大抵歪んでいると言って間違いない。

 

だから芸術家がもがき苦しむのは、ありのまま出さないと美じゃないってわかってるから。 

 

もののけ姫でアシタカが曇りなき眼で見定める」と言ってエボシが笑う。

最後さらにジコ坊が「バカには勝てん」と言ってバカが勝つ。

バカが美しいの基本だなって思うのよね。

 

 

でも美は量じゃないし、量り売りや切り売りも出来ない。

だから美しい時は何をしてても、何を着てても、ノーメークだろうが美しい。

 

 

美で在る時は圧倒的にただただ美なのである。

時に人を傷つけてしまうかもしれないし、嫉妬させたり、怒らせる。

 

なぜかは簡単で、自分は持ってないと思い込んでいるから、人に嫉妬したり怒ったりして自分を守ろうとする・・・自分には出来ないと思い込んでいるから。

 

そんな自分の小さな小さな価値観メガネで見てる時だけ起こる現象に振りされてしまうのが人間らしい行動と言えるかは知らんけど。

 

そこを観察すれば嫉妬や怒りに苦しまない鍵があると思うんです。

 

ぼくもそうじゃないと思うから多分瞑想を始めたんだと思うし、鍵がある気がして。

 

タントラというワークに出会ってから、自分をさらけ出して、丸裸になって、恥かいて、嬉しく飛び上がって、喜んで泣いて、なんて人間らしい姿をたくさん見てきた。

 

その人がありのままあわらにされちゃうワークタントラはちと怖い、でも人間が人間らしくあれた時、本当の美しさと強さが立ち上がってくるように思います。

 

美しい瞬間だけじゃない、醜い瞬間も、ずるい瞬間も、嫉妬も、怒りも、たくさん見てきたけれど、それでも人はそのままでいれた時は美しいです。

 

だから上っ面の醜いとか美しいとかわからなくなる。

そうじゃない「何か」が美しいのだろう。

 

そんな姿をタントラを通してたくさん見て来てしまった、からにはシェアするしかないし、もっと見たい、という思いが僕の活動の原点になっているのかもしれない。

 

「セクシアリティはアートだ!」って言葉が来た。

まさにそうで、このセクシャリティほどアートはないと思う。

 

クリエイティビティ、トータリティ、バイタリティ、プレイフル、芸術活動に必要なものがてんこ盛りである。

 

そんなことを体験できるタントラというワークに関われて嬉しく思っている。

 

6月8日(土)タントラの瞑想会やります。

7月に京都で行われるトレーニングの前座コースです。

 

ぜひおいでください。まずは第1歩。

 

www.tantralife.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

楽しいで終わってはいけない

先日大阪にてタントラのワークショップは”楽しく”終えて来ました。

 

7月に京都で行う7/13~15 タントラライフ トレーンングZERO ~SEX and BODY~ in 京都 – Tantralife Japanのイントロコースでした。

 

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タントラという何かわからないけれど、未知を知りたいという多くの人たちが募ってくれて、エネルギーほとばしるばかりな1日だった。

 

非常に”楽しかった”グループで、ほんとに僕も楽しめた。

 

でも・・・旅は続くとしたら、この”楽しみ”は一過性にすぎない。

 

日常生活の中で多分こんなシュチュエーションはないし、こんなことしないだろうってやり方で、エクササイズをしたりします。ある意味、遠い旅路で起こるようなことに似ているのかもしれない。

 

面白いと思う人もいるだろうし、引いてしまう人もいういるだろうし、もうそれは、本当にその人がその場で感じればそれでいい。旅だもの。

 

 

そうした非日常なエクササイズを通して、身体に気づいていく。

 

でも、たとえワークショップとて、これは絶対的に日常的体験で、ワークショップで出来ないことは日常生活でも出来ないのである。逆にワークショップでしか出来ないことも少し違う。

 

だから出来ないことがわかると日常生活が変わる。

 

出来ることが出来た時は、喜びが生まれ、喜びが増していく、これを日常生活に持ち運び、出来たと言うエゴは捨て、喜びだけを持ち運ぶ。

 

これがワークショップの役割のひとつだと思っている。

 

ぼくらはずっと未完のままの存在なのに、わかりやすさと完結を求める、思考志向である。

 

タントラのワークは決してわかりやすいとは言えない、身体志向である。

 

人のエネルギーは旬があって、生物だと思っている。

昨日と同じ毎日だなんて歌の歌詞にありそうだけど、同じことなんて一生に2度と起こらない。

 

そうわかっていても、同じことを求める。同じ心地よさを求める。

同じに安住すると動けなくなるってわかっているのに。

 

今は賞味期限をコントロール出来るシステムがいっぱい出来て来たけど、タントラは冷蔵庫、それも旧式のに入っているナマモノなのだ。

 

食べなきゃ腐る。

 

タントラのワークは1日相当量のエネルギーを使い、動かす。

これをたった1日の”楽しかった”体験で終わらすのは非常にもったいない。

 

百円ショップが流行り、使い捨てが当たり前の時代になったけれど。

 

この身体の叡智は使い捨てになんて出来ない。

 

身体で得た感覚というのはある程度の期間は体感と思考の記憶として覚えている。

それをきっかけに練習を始めないと結局身体の叡智が使い捨てに終わってしまう。

 

わかったふりなんていらない。

 

わからないって叫ぼう。

 

わからないが人生だから。

 

だからタントラは練習の場で、もっと言うと人生の練習の場。

 

人生において通らねばいけないこともある。時に練習も必要。

 

タントラは性エネルギー、セックスエネルギーから始める。

そこを通って生まれて来たから、そこには膨大なエネルギーがあるから、

まず”それ”を体験し、体感し、通り抜ける。

 

じゃないとその先へいけない。

怖いかもしれないけど、見る価値は絶対ある。

 

ぜひワークショップに来て欲しいのです。

”楽しい”から始まるから。

 

お待ちしてまーーす♪

 

週末東京です♪

6/8 トレーニングZERO〜SEX and BODY〜イントロダクション in 東京 – Tantralife Japan

 

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では。

 

 

 

正直さが育つ

世の中のどこからどこまで、何が、真実なんだろう?

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ってよく思うのです。

 

SNSでは見栄えがいいように。

とか

 インスタ映えに裏アカ。

とか

 広告は誇大。

とか

 人と話しても本当のことを言わない。

とか

 

友人や家族にどれほど真実を伝えれているだろうか?

真実とはなんだろう?

このブログも真実だろうか?

いつなんどきも自分は真実でいれるだろうか?

 

って思う。

 

子供の頃は真実しかなかった。

怖いとか、嫌だとか、嬉しいとか、楽しいとか、シンプルだった。

 黒い大人になっちまったもんだ。

 

人に会えば違う側面を見て、嫌いにもなれば、好きにもなる。

 

どこを見ているんだろう?

どこを見られてるんだろう?

 

嫌われるのは構わないが、嫌わねばいけない自体が起こると悲しい。

 

なんて自分は真実じゃないんだ!ってタントラを始めた当初愕然とした。

 

そう気づいてから、真実を伝え聞く練習を続けている。

 

嘘言ってそうだったら聞き直す。

嘘言ったら後からでも謝る。

 

タントラを始めて、セッション中だろうと、プライベートだろうと、いつも真実でいることを練習した。

怖いと思いながら自分の感情を伝える、言っちゃ悪いなと気遣うふりをして言わないことをしない。

 

そのうち、人に真実を伝える時に上手に、傷つけないように、エレガントに、タイミングよく、伝えるテクニックを出来るようにはなる・・・笑・・・こんなテク本当はいらんのだけど、でも大事なテク・・・笑

 

多分練習はずっと続く一生もの。

 

 人間やっていると、嘘もつくし、嘘も方便だとか言い訳も言う、その瞬間言えないことなんて超でかいほどある。

 

 

ありのいままいるってことの難しさは日常生活どこにいてもどの場面でも付いて回る。

それこそファミレスでも態度悪くても、もう2度と来ないし、とか、美容院でもかゆいところあるのに言わない、とか。

 

 

だからタントラの場では真実を語るようにしましょうとよく言う。

少なくともワークの最中は特ににいいチャンスだし、いい機会ですよ、と伝える。

 

嫌だったら正直に嫌ですと、綺麗は綺麗・・・汚いは汚い・・・でしかない、本来は。

 

バラはバラでしかなく、つくしはつくしでしかなく、綺麗だとか、そうじゃないとか、感じるものは人の感性に左右される。比較するものではない。

 

でも人は比較する。「あっちの方が綺麗」「あの人の方が出来る」ずーーとこんな比較を頭の中でやっている。

 

タントラは真実でいないと少し、しんどいワークかもしれない。

自分に嘘を突き続けないといけないから。

 

簡単じゃない、うん、簡単じゃない。

 

こう書いていながら自分はどうなんだ?とマインドからの問いはバンバンとやってくる。

 

多くの場合、人に言わずとも自分の中ではきっちりとした答えを持っている。

 

YES or NO

 

ありのまま。

ごまかさず。

そのまんま。

 

タントラはYESのワーク、受容のワークである。

 

ありとあらゆるものにYESを言っていく。

 

こんな言葉にすると簡単だが、行うのは超難しい。

 

1個でも真実を言えたり、出来たりした時に自分への尊厳が生まれる。

 

妥協してYESを言うより、勇気を出してNOを言えた時の方が数倍自分自身を感じ取れる。

 

だから自分のNOYESなのである。

 

正直さということを育てるワークでもあるんですよ、タントラって。

 

 ではまた。