世の中のどこからどこまで、何が、真実なんだろう?
ってよく思うのです。
SNSでは見栄えがいいように。
とか
インスタ映えに裏アカ。
とか
広告は誇大。
とか
人と話しても本当のことを言わない。
とか
友人や家族にどれほど真実を伝えれているだろうか?
真実とはなんだろう?
このブログも真実だろうか?
いつなんどきも自分は真実でいれるだろうか?
って思う。
子供の頃は真実しかなかった。
怖いとか、嫌だとか、嬉しいとか、楽しいとか、シンプルだった。
黒い大人になっちまったもんだ。
人に会えば違う側面を見て、嫌いにもなれば、好きにもなる。
どこを見ているんだろう?
どこを見られてるんだろう?
嫌われるのは構わないが、嫌わねばいけない自体が起こると悲しい。
なんて自分は真実じゃないんだ!ってタントラを始めた当初愕然とした。
そう気づいてから、真実を伝え聞く練習を続けている。
嘘言ってそうだったら聞き直す。
嘘言ったら後からでも謝る。
タントラを始めて、セッション中だろうと、プライベートだろうと、いつも真実でいることを練習した。
怖いと思いながら自分の感情を伝える、言っちゃ悪いなと気遣うふりをして言わないことをしない。
そのうち、人に真実を伝える時に上手に、傷つけないように、エレガントに、タイミングよく、伝えるテクニックを出来るようにはなる・・・笑・・・こんなテク本当はいらんのだけど、でも大事なテク・・・笑
多分練習はずっと続く一生もの。
人間やっていると、嘘もつくし、嘘も方便だとか言い訳も言う、その瞬間言えないことなんて超でかい山ほどある。
ありのいままいるってことの難しさは日常生活どこにいてもどの場面でも付いて回る。
それこそファミレスでも態度悪くても、もう2度と来ないし、とか、美容院でもかゆいところあるのに言わない、とか。
だからタントラの場では真実を語るようにしましょうとよく言う。
少なくともワークの最中は特ににいいチャンスだし、いい機会ですよ、と伝える。
嫌だったら正直に嫌ですと、綺麗は綺麗・・・汚いは汚い・・・でしかない、本来は。
バラはバラでしかなく、つくしはつくしでしかなく、綺麗だとか、そうじゃないとか、感じるものは人の感性に左右される。比較するものではない。
でも人は比較する。「あっちの方が綺麗」「あの人の方が出来る」ずーーとこんな比較を頭の中でやっている。
タントラは真実でいないと少し、しんどいワークかもしれない。
自分に嘘を突き続けないといけないから。
簡単じゃない、うん、簡単じゃない。
こう書いていながら自分はどうなんだ?とマインドからの問いはバンバンとやってくる。
多くの場合、人に言わずとも自分の中ではきっちりとした答えを持っている。
「YES or NO」
ありのまま。
ごまかさず。
そのまんま。
タントラはYESのワーク、受容のワークである。
ありとあらゆるものにYESを言っていく。
こんな言葉にすると簡単だが、行うのは超難しい。
1個でも真実を言えたり、出来たりした時に自分への尊厳が生まれる。
妥協してYESを言うより、勇気を出してNOを言えた時の方が数倍自分自身を感じ取れる。
だから自分のNOにYESなのである。
正直さということを育てるワークでもあるんですよ、タントラって。
ではまた。