日本人の幸せはどういうの?とかいうと、一昔前は多分こういうのだろうみたいな線は引けたような気がする。
これは多かれ少なかれ諸外国も一緒だと思う。
日本の場合はお盆とお正月にそれを、幸せかどうかは別として、何となくジャパンな感じはある。
年賀状、おせち、お盆休みに墓参り、家族で集るなど。
でもそのどれもはどうでもいい人に取っては本当にどうでも良い事柄ばかりになっている昨今。
こういう伝統お家芸には多数に無勢で少数派は生きづらい部分もあるのだが、確実に伝統は薄くなっている事は確か。
インターネットの登場でそういった表面的な習わしは崩壊した。「した」って書くと一気に崩壊するように思うけど、徐々に崩れて行っている。毎年毎年徐々に。
もう平均なんてことは何もない。
それでも調和の国日本は平均を求める。
多分今の戦争を知っている世代がすべていなくなったらもうこう平均を求める声も一気に無くなっていくのだろう。
なんだかんだ言っても年功序列の世界だから。年上を敬うのだ。
枠から出ないように、人と同じように、そうやって無意識的にも意識的にも、せき立てる。
もうそれにうんざりだとも言わない。
それに反抗もしない。
ただ自分を生きるのみが幸せなんだ。
だから日本人の幸せなんて言えるものはもうない。