少し前から感じていること。
そろそろ西洋人の先生方への過大なる信望はいらんのじゃないか?
と、ふと思ったりするのである。
特にスピリチュアリティについてだけど。
西洋が本当に先端なんだろうか?
昔は中国から学んだのではないのか?
なぜ西洋に傾倒したのだろう?
隣国からは学ぶことはないのだろうか?
戦争がその精神性の交流を無くしたのか?
戦前戦後ともうたっぷりと西洋からは学んだ(はずだ)
簡単な例えとして、食に関しては西洋で食べても、日本で食べてももうそれほど遜色はないし、我々も海外に行ってそんなに過大な期待ももうしなくなっただろう。
日本でも同様の味が食べれるし、むしろ日本人の舌にあった味で海外の下手なとこより以上な味を味わえる。
趣味的に本場の味を味わいたいのならもう簡単にいくらでもいつでも、旅にでも出れる。それも格安で。
今度は、というか、これからもっともっと学んできた西洋と日本をミックスしたものを日本がシェアする番だと思うのです。
西洋人のみならず世界からの学びは続けていく必要があるのは変わりはない。
しかし、我々がなぜかずっと教わる立場にいなければいけない理由はもうどこにもない。
西洋と日本ではやり方は右と左くらい違う。
いままで見てると、西洋のやり方をそのまんまやろうとしていた。
右利きなのに、左でボールを投げていたようなものだ、それには限度がある。
今まさにオリジナルに戻りリミックスしたものをもっと出す必要がある。
日本には日本にあったやり方があるし、日本はリミックスをすることにおいては、元祖というくらいお家芸だ。
精神性や瞑想性においては、我々日本人はひとたびサイレンスになるとその深みたるや半端ない。
欧米人には残念ながらそれは薄い。
しかし彼らには我々にないオープンさが確かにある。それは認める。
だからこそミックスしたいのだ。
支配とか、そんなことではなく。
もう世界はインターネットで繋がったんだから。
実際の人も本当の意味で繋がらないと。
って思うのであるよ。
LOVE