今朝の湘南。
ここのところ湘南は波がない日が続く、されど、波がなくとも、晴れてなくとも、湘南はいつでも美しいのであります。
けっして日々永劫、波がない日ばかりが続くわけでもないのだけれど、マインドだけが常に波を求む。
そんな今朝は海に入らず、ランニングしてました(ランニングはだいたい海沿いを走る)
ふと・・・
自分は100%生きてるのだろうか?
100%生きるとはどういうことだろう?
と浮かんだ。
生きてない。
とも言い切れない。
生きてる。
とも言い切れない。
例えば、この真冬の中、朝起きてパジャマから着替えてランニングするなんてことはベットにいる時は絶対嫌なわけよ、もう一つ言うとサーフィンなんてのは(ここ数年はサーフィンをライフワークとしている、湘南に住んでるがゆえか、一番空いている冬に入る率が高いんだけど)冬になると、分厚い動きずらいウェットに着替えて、はめにくいウェット手袋をつけ、ウェットブーツを履いて、準備だけでも大変で、海の水はもちろん冷たいって知ってて、マインドは全知能を駆使して抵抗するわけよね。
しかし、海に入るとマインドは消えるってことも知っていて、走れば爽快になるってことも知ってるし、ウォーキングすればアイデアが湧くってことも知ってるから、冬だろうと真夏だろうと、体を動かすことをやめないわけ。
何が言いたいかというと「知ってる」をやらないマインド状態は生きていないに等しいと思うんだよね。
その動いている(生きている)の状態を見ていることによって起こってくる、それは至福かもしれないし、痛みかもしれないけど、それをせずに、何もせずじっとしていることは「生きてない」ではないかって思ってるのね。
だからこそ「その時」がくる準備のために瞑想と身体を動かすことが大事だと思っているし、ワークの中で伝えている。
至福を感じたい、欲しいってわけでは決してない。
それを思い求めたら本末転倒だから。
生きてるって実感を得れたり、それらがやってくるために、やはり「空っぽの器」にしておかないと思うし、そうしておかないと入って来ないと思うから、日々ストレスや緊張をリリースしておくことは「自分自身を生きていくため」には必須であると思う。
それには身体を動かすことに答えが多くあると思っております。
だから「やってる」状態の「快」をいかに信じれるかだし、だってその時は「生きてる」を感じざる終えないのから。
だから「生きてる」は止まらないこと。
自然を見れば一目瞭然なんだけど、一個とて止まっているものはないだよ、石でさえも。
人間だけが「止まろう」として「安全」でいようとする。
でもこの「安全」は決して「安全」ではなく「不安定」なのだ。
それをいつも忘れないように100%生きていたいと願う。
まだ僕は「願う」という言葉を使ってしまうほど未熟だ。
だからその練習として、3つくらい身体動かす系を持っておくと、バランスがいい。
(今日は足が痛いからプールに行こうとか、昨日走ったからジム行こうとか)
同様にマインド系も3つくらいあると良いのだろうな、と思うけど、どうも僕はマインド系は苦手なのか手持ちが少ない。
だから近々、というか、今更というか、株とか投資系に手を出そうと思ってる。
メディテーションと投資
ジョギング瞑想
スイミングメディテーション
サーフィンとメディテーションの関係
コンテンツはなんでもいいんだけどさ・・・
すなわち生きる瞑想。
いうなればタントラなのだよね。
てなわけでタントラ生活続けます。
では、良い1日を。