2019年11月1日から行われた、イタリアはトスカーナで行われたタントラライフトレーニングのスタッフ参加してまいりました。
Photo1:明け方の宿泊棟
Photo2:施設内の彫像
Photo3:トスカーナの空
何度訪れてもトスカーナはビューティフルでした。
今回3年ぶりにここに来たけど、日本だとすぐ街並みとか変わっちゃうけど、イタリアは都心部もほぼ変わらないね。
さてこの美しいビューの中で行うトレーニングは(今のところ)夏と秋に2回、パート1とパート2に分かれていて、各9日間行います。ちなみにどちらかのパートだけ参加ということはできません。
長いプロセスであります。
でもさ一生に一回と思えばなんてことはない・・・ボソ。
今回僕は後半の部分パート2のスタッフ参加してきました。
いつも思うけど、下手したら何年もかかって人生において起こること見ていく出来事を数日の間に体験し、超えていくのだよ、よくやるよねw
でもね、”それ”を体験する価値はあると思う。
そんな熱意ある日本人の参加者の熱い思いに胸打たれながら、もちろん諸外国の参加者たちも、もがいたり、喜んだりしているのを見ながらスタッフ作業をして来た。
文化が違う、言葉もろくすっぽ話せない、僕にとってスタッフとして学べてきたことはかなり貴重な財産となっているなと。同時に時にとてもヘビーに壁が立ちはだかるけど。
それでも体験を超える経験はないのでラッキーである。
だからこそ、いろんな壁があっても、何度か来ようと何年か前、自分に課した。
これもいつも思っていることだけど、グループに参加することは自分へのギフトとして、自分への滋養となるので、いつ何時も参加の機会を伺っていていいと思う。
少なくとも今僕のはタントラのファシリテーターとしてやっているので、参加しているだけの視線とはまったくもって違う。なのでスタッフでの学びは必須であったわけ。
これがなければタントラでなくとも、ファシリ養成講座があったとして、それに出ただけではなにも出来ないと思っている。
場を作りあげることを現場で学べてなければ現場は作れないのである。当たり前だ。
いきなりビルは建てられない。
要するにプロセスを構築していく過程をみていなければ、プロセスの過程を作れない。いや違う、プロセスを作ることは不可能なので、自然発生してくるプロセスに対応するのは不可能である、だな。準備は裏側にあるのであって表には決して出てこないから。
あとは場数。これも一朝一夕には絶対にできないし、これが一番の要かもしれない。
なので安易に今巷で流行の養成講座に行かないでほしいw・・・主催している人が一番わかっているはずなんだけどな・・・だからお金の使い方が違っている・・・笑いごとではないんだけどね、この話はいずれどこかで。
それでもやりたいなら、まずそれに関わろうとすることだ。
だから何個も講座を受けるより、何か1つに関わった方が学びは濃い。
話外れましたが・・・でも大事な話。
そんなわけで、特にどこか観光するわけでもなく、イタリアを行き帰してきた。
グループの内容はもちろんここには書けないが、人生に一度は身を以て体験するといいと、心からオススメする。
だからこそ、ここ日本でもこの瞑想を継続したいと思い、体験を経験にしたいと思い、十何年も瞑想会を継続できているモチベーションなのである。
日々の瞑想会は長くてワンデイや半日が多いのだけれど、それだと本当はプチ楽しいことしか受け取れない、もちろんそれでもいいのだけれど、逆に楽しいことだけじゃダメなのか?なのだけど、やはり楽しいだけでは正直ダメなのである。
ビター&スウィートと言うように、ビターが先に来て初めてスウィートが来るのである。
安楽だけでは安楽で終わってしまう。
ジャングルに彷徨ってしまう。
タントラはその傾向に落ちる傾向が強い、なぜかというと、人を鏡として使うワークでパワフルゆえにいくらでも人のせいにできるから。
でもね、人のせいでは絶対にないのである。
だから禅スティックのような時々コツンとしてくれることが必要なのである。
だから日々の練習が必要なのである。
タントラは楽しい道ではある。保証する。
タントラは喜びよりもっと上の歓喜の道である。
それは苦味も、痛みも、悲しみも、いろんなものが含んでいるから歓喜なのである。
だからぜひタントラを体験してほしい。
ぜひ来てください。
ではでは。
ちゃお。