JOY of LIFE!

タントラのカビールのブログ タントラライフジャパン代表

絶望的に求めるもの

昨今、なんとか講座やセラピーやワークショップはもう女性なしには語れないし、女性なしでは成り立たない。
 
精神性の豊かさを求めているのはなぜだろう?
 
こんな状況が続いてもう何年経つだろう?
 
 
そして日に日に女性たちが更に女性たちを呼び参加人数も多くなり、バリエーションも増えて来ている。
昨今の流行りとしてセミナーのみならず、養成講座を始めるので、さらに講座の数が増えていくという構図が出来上がった。
 
 
そうなればなるほどワークショップ参加ということに男性たちは引け目を感じてしまうのか、男性の参加率は低い。
 
 
女性の持ち味である横への広がりがぐんぐんと広がっている。
 
 
しかし。
 
 
何かが足りない。
 
 
縦である。
 
 
すなわち男性が持つ、男性性、陽が足り無い。
これは僕が男だからかそう感じるのかどうかはわからない。
 
 
 
そんな折、先日とある知人と話していて、出て来た言葉。
 
 
絶望的に男性性を求めている
 
絶望的(笑)
 
 
追記:「絶望的に男性を求めている訳ではありません」だそうですw
 
あはは・・・
 
とほほ・・・
 
いや・・・
 
笑いごとではない・・・
 
緊急事態だ・・・
 
w
 
男女どちらが悪いも良いもない。
男女は原則お互い様という関係だから。
 
 
女性も男性が必要であるなら、
男性も女性が必要なのである。
 
 
 
日頃から僕は、片方だけでいつもつるんでいてはダメだと思っている。
 
 
同性とも、異性とも、関わる。
 
 彼や彼女を見つけることを推奨しているのではなくてね。
それでも、たしかに男女は面倒です。
 
分かり合えない部分も多々ある(ほぼとも言えるw)
 
 今時の若者が恋愛をしなくなりつつあるという都市伝説的な噂もまんざら嘘ではない気がする。
 
時々(いつもw)いがみ合うし、削り合い奪い合う、暖かいばかりじゃなく、めんどくさい方が多いかもしれない、だとしても関わらないと・・・
 
 
 
「忘れてしまう」
 
 
 
 
何を?
 
 
多分
 
 
 
 
 
 「人間だってことを」
 

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ここ最近の日本にいてハッピー感が少ない気がするのはこの人間性ではなかろうか。
 
 
機械(AI)と恋愛ができてしまう時代だからなのかはしらないが、人肌に触れ合うという機会がない。
 
皮肉にもAIは愛とも読める。
 
しかし絶対的に、もうこれは絶対的に、機械では出来ない。
 
 
それを少しでいいから、時々でいいから、自分という存在と他者という存在を分かち合う時間を持った方がいい。
 
じゃないと自分という殻に簡単に閉じ込めれる時代だから。
 
 
いいじゃないか、所詮、男女という動物達は永遠に分かり得ないだから。
 
 
だからこそ、出会いは貴重な出来事なんだ。
 
 
もったいない。
 
 
そうこうしている間に死んでまう。
 
 
これは出会いを求めよとかなんとかパーティに行けじゃない。
 
 
絶対的に違う。
 
 
リアルマンリアルウーマンの出会いである。
 
 
僕がタントラをやっているから言う訳ではないけど。
 
タントラはこと、このことに関してはすごくいい働きかけをすると思う。
 
タントラ来ると良い。
 
 
「人間」に戻れるから。
 
 
明日とか、また今度などと言ってる場合ではない。
 
 
人生は長い、けど、一瞬で終わるだろう。
 
 
だからこそ。
 
 
今ここへ。
 
 
 
要するに男性は今求められているってことです。
 
 
 タントラライフジャパンはこちらから・・・
 

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ミニマリストのソファーとベットと・・・

ミニマリストじゃないんだけどね。

 

家に動かせないような、どでかいソファーはいらない。

 

 

これめちゃくちゃいい!けどめちゃ高い!

 

スノーピークさん高いっす。

 

 

色々な用途に使える・・・ベットにもなって、棚にもなる。

 

家でも使える。

 

この商品を欲しくなるようにうまいこと撮ってある動画はこちら・・・

 


【孤独の車中泊】東京は豪雨。サラリーマンは、ベッドで眠りにつく。【深夜の冒険】

 

こりゃたまらんわ。。。

 

キャンプにでもいくかな。

 

 

 

 

わかりやすいだと!?

頑固か、偏屈なのか。

 

僕はこのわかりやすいものとか、普通とかっていう言葉が大嫌いだった。

 

今はもうそんな偏屈さは持ちあわせてはいないけど。

 

その偏屈のおかげで、高校受験の時に普通科と言う選択が嫌で商業科に行きw大学と言う普通がいやでファッション専門学校に行ったw

 

一番のアホですね。

 

さて・・・入り口はわかりやすい方がいいという。

 

そうかもしれない。

うん、多分、そうだろう。

 

でも、実際は何をするにせよ・・・

 

何をするにもだよ・・・

 

わかりやすいなんてことは最初だけだ。

 

物事を進めて行くと確実にわからないにぶち当たる。

そこから成長していくのに、わからなくなって辞めてしまう。

 

ちょこっと味わいたいだけなら全然それはそれでいい。

でも多分何も変わらない。

 

だからわかりにくいという扉はせめて叩く価値はあると思っている。

 

とにかくやってみる以外ないんだもの。

 

ある?ずーーっとわかりやすいものって?

そしてそれって果たして面白いのだろうか?

絶対つまんないと思う。

 

 あるところで聞いた笑えない話。

 

売れっ子占い師が占い稼業をやめたんだそうです。

辞めたら暴露も簡単で、色々本音を語ったそうです。

 

数ある占いあるある暴露話の中のひとつに「占いに寄せて自分の人生を尋ねてくる人」が多すぎると言うことだそうです。

 

「この仕事うまく行きますかね?」

 その占い師は「てめーーーで決めろ!」と内心ブチ切れながらタロットを切り、「やることやろうよ」って思いながらタロットを引いていたんだそうです・・・笑

 

わかる。

 

 

そう言うことです。

 

自分で決める。

 

色々暴かれてきている時代だからこそ。

 

小さいことから。

 

ご飯を何を食べるから。

 

おしっこするまで。

 

自分で決める。

 

わかりにくいことでも、わかってからやるのではなく「やってみたい」と思ったならば門をたたくのだ。

 

今の時代大抵わかりやすいのは釣りである。

 そう言うコンサルティング集客テクニックを使っているんだと思う。

 

でもね、

 

それはそれ。

 

それもそれです。

 

自分がやってみたいと思ったらまず門を叩かないと何も始まらない。

  

さぁかかってらっしゃいww

 

会えることを楽しみにしております。

 

どこで??

 

 

今、勝手に個人セッション強化月間にしてて。

 

ぜひ、どうぞ。

 

わかりやすいセッションです♪w

 

プライベート・セッション by Kabir(カビール) – Tantralife Japan

 

 

自分の身体が超気持ちいい

なんて朝だった。

 

自分の身体が気持ちいいと感じれるようになったのはタントラをやって来たギフトだと思っている。

 

もっと大げさにいうと、この短い生の中で、この身体に生きる身としてのギフトだとも思っている。

 

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先日こんな記事を書いた、いろんな人からいいねをいただいた。

 

kabr1218jp.hatenablog.jp

 

僕は身体を何かしら動かし続けている。

そんな風に生活し始め20年以上経過した。

それ以前は夜型でガリガリ、不健康な若造だった。

 

身体を壊すことをきっかけに、走って、泳いで、筋トレして、ヨガやらエアロビクス、山登ったり、自転車漕いだり、いろんな動きを毎日の生活に取り込んで来た。

 

最近はサーフィンを再開するようになってから、海に入るという、ただそれだけで、すこぶる元気である。

 

サーフィンは身体動かし人生wにおいて、インパクトある出来事になりつつある。

サーフィンは人生を変えるとよくいうからね🎶気をつけないと🎶

  

それらを長く続けて来たおかげで身体のベースは出来上がった。

 

とは言えまだ発展途上なのと、年がら年中調子がいいわけでなく、しょっ中オーバーワークで死んでいるw

 

しかしこれだけ大衆に広がっているヨガだけはちょっと違う感覚があってね。

これはもうちょい研究してみる。

 

でも「気持ちがいい」という、本当に惚れ惚れするくらい自分の身体が気持ちよくなったのは、アクティブ瞑想のおかげだと思っている。

 

このアクティブ瞑想ほど効果的なものはないと思っている。

 

 思考から離れられ、身体をダイレクトに感じていく。

 

ダンスや自己表現、感情解放、沈黙によって、身体が生き生きしてくるのを感じることができる。それも自然に。

 

瞑想と名打っているだけで、怪しいと思う時代は終わっている。

これからマインドフルネスの次はアクティブ瞑想であると思っている。

 

 

 

ところで・・・

 

自分の身体に触れて気持ちいいという言葉はあまり男性から聞かない。

局部は別として・・・笑

 

笑い事ではなく、ここはそろそろ抜本改革が必要であろう案件である。

 

なぜなら僕ら男性はあまりにも局部の快楽が大きく、依存していて、「全体」の快感へと目がなかなか行かない。

 

その理由は・・・・

 

快楽と怠惰への依存である。

 

快楽の欲しさ故でも、他の理由でも、なんであれ始まりは情熱的にあれやこれや、動いていたものが快楽が当たり前になってしまうと、快楽だけ欲するようになり、快楽を得れれば良しとなり、クリエーティビティ(創造性)のかけらもなくなる負のループである。

 

なのでタントラでは、始まりの火に気をつけ、終わり火に向かわないと言う。

 

ここを手放せるかどうかで、これは僕流の言葉だけど、身体の女性化が起こる。

 

そうするとマルチプル(意味→こちらな身体の感覚が全身を走るようになる。

 

まさに女性たちが感じているであろう、身体の波をキャッチできるようになる。

 

なので、この感覚をあるとき得たときから人間の身体の中身というのは男女があるんだなと思ったものだ。

 

そうなったとて(身体の女性化)心配無用で男性は男性のエネルギーがちゃんと出て、女性は女性のエネルギーで存在する。というかそれしかない。

 

もっというと、もっと男性的になり、もっと女性的になる。

 

さらにいうと、もっと野生的になる。

 

*参考に先日左右(男女)の記事を書きました→こちら

 

男性は比較的「感覚」というところが弱い。

 

繊細でいたら負けてしまうとか、繊細な弱い自分はダメだと思い込んでしまう、ことも絡んで来るのかもしれない。

 

人前でまず泣かない。

 

泣こう・・・時々w

  

 

そうこうして、身体を動かして汗をかいて発散して、人といっぱいハグして、呼吸して、涙して、そんなことをしてたらいつの間にか気持ちいい身体が育っていく。

 

作るというより作られる、かな。

 

なので筋トレなどとは違う、トレーニングをしなければ筋肉が落ちてしまうような、そんなやわ筋肉とは違う。

 

加え、愛も、憎しみも、悲しみも、喜びも、たくさんのものたちも通過して、気持ちい身体が出来上がるのではないだろうか。

 

人と気持ちよくなりたいのであればまず自分が気持ちよくなるべきである。

だから日々自分の身体のメンテナンスが一番の近道です。。

 

タントラは身体のメンテナンスに役に立つのです。

 

そうすることによって本当の、本物の「気持ち良さ」を得れるでしょう。

 

 ぜひイベントに体験しにいらしてください。

 

www.tantralife.jp

 

では良い1週間を、良い下半期を。

 

 

右と左の話からの日々の失敗にYESを♪

一般的に(どこの一般かは別にして)人間の身体は右側は男性性と左側は女性性と言われてします。

 

しかし、ところ変われば品変わるで、左が男性性、右が女性性なんてのもあったりで、流派によって違う、向かうところは同じとて、仏教とイスラムが違うよう、人間というエゴが存在する以上、違いは作られる。

 

個人的にはで習ったのでそれを僕は概念として使っています。

 

でも、は右とか左とかではなく自分の中心(自分の体験)にあると思っています。

なので頑固に流派による、右左の取り決めに、頑なに従わないようにとは心がけてはいます。

 

他にも、右手は与える手で、左は受け取る手なんて言い方もあったりもしますし、右で絵を見て左で文を見よなんてのもあります。

右脳は感覚、左は言葉を司り、左脳に障害が出ると言葉が出なくなり右麻痺になります。

 

この左右に関しては色々とありますね。

このジレンマが男性女性のジレンマにもつながるし、同時に神秘にもつながりますね。

 

さて・・・タントラのワークでも、左右は時々使います。

 

エクササイズによっては左目を見るように、ガイドしたりします。

 

ところで・・・この目に関しては厳密には左右という概念は当てはまらないんだそうです。

目は不思議な器官です。

人間のエネルギーのほとんが目から出入りすると言うほど目は物を言います。

 

目は対象物が入って来たらレンズ(水晶体)を通し、上下左右が逆で網膜に映り、それが脳に信号として伝わります。

4分割のようにされて網膜には左右半分映る仕組みになっているそうです。

なので視覚情報は左右脳どちらも処理するんだそうです。

ちとややこしいので図で見るとこん感じだそうです。

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 *専門ではないので誤りがあるかもしれません、あくまでも個人的意見と参考文献とご理解ください。

 

そんな専門的なことはさておきまして・・・

 

先日広島のワークの中で左目を見てくださいというガイドを行いました。

左目は受容の目と言われており、見やすさや、ノンジャッジ、親密さ、安心感、など、人によって感じるかもしれません。

 

そして参加者の男性からこんな感想をもらいました。

抜粋させていただきましたが・・・

お互い向き合ってハグなり、身体に触れ合いながら、お互いの目を見つめ続けたら、どういうことが起こるのだろう?  でした。

左目を見つめて相手と繋がるという感覚が、正直なところワークの時には分からなかったので、もしかしたらそこで分かるのかな?と安直な考えですが思いました。しかし相手がいないので、確かめる術がないですが・・・。

 それから後日、身体的に変わったことは、骨盤近くの普段は動かない背骨の根元の部分が動くようになっていました。

 

 

ぜひ試していただきたい事例です。

見つめ合っていたらどうなったのか?どうなるのか?

少なくとも3回くらい意識的に行うと何かしらの答えが出ると思います(3回の法則)

 

こうして人を介してタントラでは自分を探求していきます。

 

左目を見つめ合ったらどうなるんだろう?と言う探究心が人と人を結びつけるかもしれないし、その実験では全く何も得れないかもしれないし、期待以上のものが来るかもしれないし、最悪の体験しかないかもしれない。

 

それもこれも自身の体験いかんによります。

 

左目はきっかけかもしれず、そんな小さな発露を見逃さず探していくことで、それを発見したとき、大げさでなく人生が変わっていきます。

 

だから瞑想は面白いし、怖いのです。

 

変わっちゃうから。

 

「知りたい!」という熱が自分を変化させてくれますし、自分を動かしてくれます。

 

しかし、注意しなければいけないことは自分の欲望を満たすために人を利用しないこと。

 

そこは要観察で、よーーーく観察です。

 

愛は失敗するからいいとよく言います。

 

失敗しないと愛は学べない。

 

とは言え無駄な失敗は必要ありません。

 

日々の失敗にYESを。

 

 

 

湘南アクティブ瞑想会とサーフィンの関係

先週16日(土)は「湘南アクティブ瞑想会」第1回目を無事に終了しました。

 梅雨の大雨の中、来てくれた皆様とともにいい瞑想タイムとなりました。

 

ちょっと前にも書いたんだけど、今サーフィンしてます。

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少し前こんな記事を書きました。

 

kabr1218jp.hatenablog.jp

 

はまっているというと、なんだか、カラオケにはまってま〜す。

なんて、サーフィンのイメージから同列に見られがちだけど、サーフィンはちゃう!

 

地元湘南に20年ぶりに戻ってきて、サーフィンはやるつもりはなかった。

ところが今や朝5時に海にいたりする。

 

人は変わる。

人は変わってしまう。

身体も変わる。

思考も変わる。

 

 

そんな湘南アクティブ瞑想会があった土曜日の早朝も海に入った。

 

その日はいわゆるいい波だった。

 

大雨だったにもかかわらず、湘南海岸は芋洗い状態。

自分の数メートル横には何人もいるような、夏のプールのような、人出だった。

サーフィンは雨でもできる利点があるんよな。

 

しかしこのビギナーおっサーファーにおいては、いい波は=デカ過ぎるわけです。

サイズはムネってやつだった(下の写真な感じ)・・・そう簡単に乗らせてくれはずがない。

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 乗ったと思ったら、今度は沖(アウト)に出るのも、パドルは大変だわ、割れてくる波を抜けねばで、そりゃもう・・・なわけです。

 

そんなへっぽこおっサーファーは何本かトライするのち撃沈させられるのであります。もうボッコボコにやられて、エゴもぶっ飛ぶわけです。

 

それでも、混んでいようが、サーフンをやる理由は・・・

 

波に乗れた時にわかります🎵

 

 

そんな波乗りのあとにするダイナミック瞑想はとんでもなく良いのはいわずもがです。

サーフィンとダイナミック瞑想は相性効果ともに抜群であります。

 

このハマりっぷりは瞑想をやり始めた頃に似てる・・・瞑想にはまっていた時の方がストイックだったかな。

 

15年くらい前僕は、朝起きてダイナミック瞑想、夕方クンダリーニ瞑想、週末はグループに参加、本を読み漁り、体験を重ねてた時期。

 

やらずにはいられず、何にするにせよ瞑想が第1優先だった。

 仕事も、遊びも、全てが瞑想でないとだめだった。

  

瞑想はやればやるほど理解不能になるものだけど、サーフィンも同様でやればやるほどさらなる課題が持ち上がる。

 

終わりなき旅です。

だからサーフィン=生き方と言われるゆえんだろう。

 

その日来た波は2度と同じものは出現しない。

この地球が誕生して以来、全世界の海にも同じ波は一つとてない。

 だから課題も毎回違うし、毎回が新しい体験なのである。

 

サーフィンは「今ここ」スポーツである。

 

 

波は平等に人を心地よく乗せもすれば、飲み込みもする。

そこにはなんのジャッジもない。

死とか、生とか、楽しいとか、隣り合わせなのに、そんなものお構いなく、ただただ波であり続ける。

 

その波から学ぶことは多いに決まってる。

 

だから瞑想と言えるわけです。

 

いかがですか?

 

瞑想とサーフィン

サーフィンと瞑想

 

どちらでも構いません。

 

湘南へおいでください🎵

 

☆6月は29日(土)9:30〜12:00です。

 

☆7月は週末出張が続き、開催出来ませんが、ご要望があれば平日にやりましょう🎵

 

☆8月3日(土)9:30〜12:00

以降未定また再度アップいたします♪

 

以下facebookページの告知です。

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仏陀のセックス観

仏陀やキリストなど悟ったと言われる人たちはセックスなんてしないと思ってた。

 

キラーーーン

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手塚治「ブッタ」より拝借

 

しかし、世界を揺るがす男たちである。

 

人が寄ってこないはずがない。

異性にモテないはずがない。

そもそもしないはずがない。

人間だもの。

 

しかし、悟ったのちは「」のみならず「」の質が変わるんだそうな。

 

だから「愛する」ってことが変わるんだそうな。

 

でも外見は変わらないから仏陀は悟り後、批判を受けるわけです。

 

小学生が声変わりするように・・・

もう前の声はないし、昔の声は出せないし、どんな声かも思い出せないように。

 

完全に変わってしまった。

 

こと「悟り」というか「宗教」の世界では性を禁じる。

溺れる奴と利用する奴が多いと言う理由からでしょう。

 

 

悟りと無縁の僕でありますが、若かりし頃、いわゆる「性欲が強いんです」って言う日本人男子にあるオーソドックスな悩みある若者だった。

有り余るエネルギーをどう昇華できるのか?ずっと考えてた。

一見崇高ですが、典型的な、単なる欲求不満な若者だった。

 

どこに向けていいかわからない。

だから簡単に蓋を閉めれた。

 

スピリチュアル的に言うところの「抑圧』ですね。

 

それでも若い頃やっていた仕事がクリエイティブ系(今もそうだけど)で楽しかったし、華のある世界だし、エゴを満たせる、仕事だった。

だからか、それなりにエネルギーは回っていたので、日々の不満の爆発はそれほどでもなかった。

何年も彼女がいないなんて期間の方が多かったにも関わらず。

 

 

今の若者のことを草食系だのとやんや言うが、最近草食系は普通な状態なんじゃないか、むしろ正常な人間像に戻ったのではないかと思うようになった。

 

我々昭和の人間からすると少し薄味な気がして、草食系などと名付けたのだと思うけど、人として正常な現象ではないかと思う。

 

今は昭和と比べても娯楽にしろ、自分一人で楽しめることが、男女問わず爆発的に増えたので、もうめんどうな関係性は必要ないと言う発想になるのはわかる。

 

逆に無理に関係性を結ぶとへんな事件や変な病気になるという現代の闇でもあるかのような社会である。

 

それでも伝統継承的に結婚や子供を作るということは永遠と続くだろうけど。

 

だから問題は消えない。

  

悲しく聞こえるかもだけど、欲望としてのセックスはそんなものじゃなかろうか・・・なければないでどうにかなっちゃうもの。

 

気づいていたらだけど。

 

愛のセックスは・・・本来しないではいられなくなるものなんじゃないかな。

 

話が逸れた・・・

 

仏陀に戻すと・・・

 

これはOSHOの語った言葉の引用で、本当に仏陀がそうだったかはまた別の話だけど

多分こんな感じだったんだろうなと思う。

 

 

彼(仏陀)の父親が王国の美しい女性たちを大勢彼のまわりに

はべらせていた。

美しい少女たちが、彼の宮殿には勢ぞろいしていた。

彼はただただうんざりしてしまった。

そうなって当然だ。

そんな暮らしをしていれば、誰だってうんざりする。

彼はセックスにひどく辟易していたので、

このエネルギーが変換されうるとは思いもしなかった。

彼はそれを一度も試さなかった。

誰かが性エネルギーは

聖なるエネルギーに変わりうると言っても、彼は耳を貸さなかっただろう。

性体験の豊富な彼にとって、セックスには何ひとつ神聖なものがなかった。

それは肉欲にすぎなかった

 

 

う〜む。

 

・性エネルギーは聖エネルギーになりうる・・・ 

・肉欲に過ぎない・・・

 

ってことを宮殿にいて何不自由なく暮らしていた仏陀はわからなかったそうである。

そう言うことはむしろ逆で胡散臭く思っていたそうである。

 

なのでうんざり地獄。

何してもうんざり、どうやってもうんざり。

 

現代と一緒だね。

でも、うんざりするまでやらないと変化の兆しはやって来なかったりする。

 

そして仏陀は宮殿を捨て探求の道を歩み始めた(あくまでも伝記上であるけれど)

 

 

習慣にはまってしまうとなかなか抜け出さない。

 「終わる」という選択しか無くなって(と言う思考に捕まって)

でも変化は怖いから、何をするかと言うと、

「妥協」をし始める(と言う選択肢しか見えなくなって)

 

そしてさらに「諦める」

 

「諦める」ってことを成し遂げたのに!

 

今度は「惨め」がやって来て

 

「惨め」も通り過ぎると、

 

あとは「死」を待つしかない・・・がーーーん。

 

「惨めさ」は受け容れ難いので、

みんな「何か」を過去へ置きざりにして生き始める。

 

だかららおっさん(僕w)は「昔はよーーー」ってやり始める。

これを言い始めたら要注意であーるww

 

だから老化と怠惰がやって来てこりゃやばいってなる。

 

そうすると何かし始める・・・

 

毎日ゴミを出しの日を気にして、それが生きがいになったり、

 

ご飯の用意のことばかり考え、決まらないとイライラしたり、

 

掃除を過剰にし、捨てることばっかり考えてたり、

 

一見は常識人でむしろめっちゃいい人だ。

 

だからそれを演じ始める。

 

でも自分はいない。

 

だから老け込む。

 

ケンシローに突かれるが如く「おまえはもう死んでいる」宣告されてるのにいい人ぶる。

 

と、おおげさに書いたけど、もちろんこれは僕も当てはまる(痛い)

 

だからこそ、みんなが「今」を意識して、みんなが「今」を生き、みんなが「今」をないがしろにしなくなれば、みんなが小学生の声変わりのようなことが、変化が、訪れる。

 

そんな先駆者である、仏陀やキリストがやったことは何かというと・・・

 

・・・

 

瞑想だったわけです。

 

 

内側にしか、若さも、力も、光もない。

 

だから生きづらくなったら瞑想しかない。

 

ようだ。

 

少なくとも同じ人間がそうやって内側に輝きを見出したわけだから。

 

超越ってやつ少年期の延長が青年期ではないのと一緒なんだそうだ。

爆発的に起こるんだそうだ。

ある日内的爆発が起こる。

 

 

だから瞑想してる人は若い。

 

瞑想へのジャンプが変化の可能性を秘めている。

 

だからまずジャンプしないといけない。

 

この時代だからこそ。

 

飛びやすいのです。

 

 

ナマステブッタ。

ご拝読ありがとうございました。

 

タントラはそんな性のことや、生きること、いろんなことにオープンなワークです。

 

大そうな人生を変えたいとかでなくとも、身体を感じることから始めませんか?

 

 

そのトレーニング=練習が7月に京都であります。

その名も「SEX and BODY」

どうぞいらしてください。

 

7/13~15 タントラライフ トレーンングZERO ~SEX and BODY~ in 京都 – Tantralife Japan