JOY of LIFE!

タントラのカビールのブログ タントラライフジャパン代表

【タントラ本 新刊】112の瞑想秘法の書

インドいにしえの経典「ヴィギャン バイラヴ タントラ」というものがあります。

これはシヴァ神が恋人であるデヴィに112の瞑想法を贈ったとされ経文が残されました。

 

それを1970年代(もう50年も前だ)にOSHOが1年くらいかけて講話をしたんだけど、その講話録(基本OSHOの本は講和録ですけど)となります。

 

今までは1〜10巻までのシリーズで装丁も凝ったものものでしたが、その10冊が2分割され上下巻になりました(下巻はまだ未発売)

 

 

OSHOの本はもともと辞典のような分厚い本が多いけど、これはもう辞典そのもの。

 

このシリーズは辞典としてあってもいいかなと思うほどの名著だと思うのでいいのだけど・・・けど・・・本の構成が2段になって文字が小さくて読みにくい・・・

でもね、市民出版さんまとめてくれたのは嬉しいよ。

 

他にもおすすめ本過去に書いた記事貼っておきます。

kabr1218jp.hatenablog.jp

 

 

ちなみこのヴィギャンバイラヴタントラシリーズのタロットもあります。

 

 

合わせて持っておくといいかもしれません。

 

ではね〜

 

100%生きているのか?

今朝の湘南。

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ここのところ湘南は波がない日が続く、されど、波がなくとも、晴れてなくとも、湘南はいつでも美しいのであります。

 

けっして日々永劫、波がない日ばかりが続くわけでもないのだけれど、マインドだけが常に波を求む。

 

そんな今朝は海に入らず、ランニングしてました(ランニングはだいたい海沿いを走る)

 

ふと・・・

 

自分は100%生きてるのだろうか?

100%生きるとはどういうことだろう?

 

と浮かんだ。

 

生きてない。

 

とも言い切れない。

 

生きてる。

 

とも言い切れない。

 

例えば、この真冬の中、朝起きてパジャマから着替えてランニングするなんてことはベットにいる時は絶対嫌なわけよ、もう一つ言うとサーフィンなんてのは(ここ数年はサーフィンをライフワークとしている、湘南に住んでるがゆえか、一番空いている冬に入る率が高いんだけど)冬になると、分厚い動きずらいウェットに着替えて、はめにくいウェット手袋をつけ、ウェットブーツを履いて、準備だけでも大変で、海の水はもちろん冷たいって知ってて、マインドは全知能を駆使して抵抗するわけよね。

 

しかし、海に入るとマインドは消えるってことも知っていて、走れば爽快になるってことも知ってるし、ウォーキングすればアイデアが湧くってことも知ってるから、冬だろうと真夏だろうと、体を動かすことをやめないわけ。

 

何が言いたいかというと「知ってる」をやらないマインド状態は生きていないに等しいと思うんだよね。

その動いている(生きている)の状態を見ていることによって起こってくる、それは至福かもしれないし、痛みかもしれないけど、それをせずに、何もせずじっとしていることは「生きてない」ではないかって思ってるのね。

 

だからこそ「その時」がくる準備のために瞑想と身体を動かすことが大事だと思っているし、ワークの中で伝えている。

 

至福を感じたい、欲しいってわけでは決してない。

それを思い求めたら本末転倒だから。

 

生きてるって実感を得れたり、それらがやってくるために、やはり「空っぽの器」にしておかないと思うし、そうしておかないと入って来ないと思うから、日々ストレスや緊張をリリースしておくことは「自分自身を生きていくため」には必須であると思う。

 

それには身体を動かすことに答えが多くあると思っております。

 

だから「やってる」状態の「快」をいかに信じれるかだし、だってその時は「生きてる」を感じざる終えないのから。

 

だから「生きてる」は止まらないこと。

 

自然を見れば一目瞭然なんだけど、一個とて止まっているものはないだよ、石でさえも。

 

人間だけが「止まろう」として「安全」でいようとする。

 

でもこの「安全」は決して「安全」ではなく「不安定」なのだ。

 

それをいつも忘れないように100%生きていたいと願う。

 

まだ僕は「願う」という言葉を使ってしまうほど未熟だ。

 

だからその練習として、3つくらい身体動かす系を持っておくと、バランスがいい。

(今日は足が痛いからプールに行こうとか、昨日走ったからジム行こうとか)

 

同様にマインド系も3つくらいあると良いのだろうな、と思うけど、どうも僕はマインド系は苦手なのか手持ちが少ない。

だから近々、というか、今更というか、株とか投資系に手を出そうと思ってる。

 

メディテーションと投資

ジョギング瞑想

スイミングメディテーション

サーフィンとメディテーションの関係

 

コンテンツはなんでもいいんだけどさ・・・

 

すなわち生きる瞑想。

 

いうなればタントラなのだよね。

 

てなわけでタントラ生活続けます。

 

では、良い1日を。

 

 

頂上への道!?

『頂上への道』なんて頑張るのはきっと人間だけであろう。

 

猫にとっちゃなんのこっちゃだろうけどさ。

 

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でもこの言葉は案外効く。

こうしてブログをひさしぶりに書く原動力になりました。

 

2021年年末大きな仕事をこなし終え、年明け1月は11日まで休もうとなるべく何もせず何も考えず過ごそうと思っておりましたが、結構そういうわけにもいかず未来計画をつらつらと考えたりしてました。

 

で連休明けてそろそろ動くかって時に母が亡くなり、バタバタとまたしばらく強制スリープ状態となりまして、なんやかんや、感情やら家族のことやら仕事もこなしいろいろありながらも、葬儀も無事に終えまして、そろそろ動き始めようと思えた、そんな今日、我が氏神江ノ島神社へ向かいご挨拶。

 

年始は伊勢神宮にもお参りできたので初詣ではないんだけど。

 

江ノ島は猫島としても有名ですけど、この子が人懐っこくなんだか「がんばれや」って言われたような気がしました。

 

というわけで2022年始まります。

 

どうぞよろしくお願いします。

 

今年は読めてない本などを絡めてタントラ関連ブログは書いていきたいななんて思っとります。

 

ではねー

 

 

 

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メンズ レボリューション

「女が愛するのは当たり前」「男は愛よりもビジネス」という時を経て、今や逆転するかの勢いで女性たちは社会進出〈ビジネス〉が進んでいる。

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反面、男たちは愛を学ぼうとしているのだろうか?
それとも相変わらず歯車として回っているのか?
 
「学び始めている」がどうやら正しい言葉かもしれません。
もうその学びをすでに学んでいる人はそれをさらに深めているだろうし。
 
面々と続く、この国の「縦社会」「年功序列」「敬語を話せ」という強制(矯正とも言うかもしれない)でがんじがらめで、窮屈に生きざるおえなかった。特に男たちは・・・。
 
今でも”残党”は残るけど”タメ口”を聞いただけで殴られるって一体どんなだカラクリなんだろう・・・。
 
それは単に上(とされているだけの)の人間が自分のポジションを守りたいだけであろう。
敬語がない西洋の文化が混じる現代において、もうそれは古すぎる。しかしこの国にいる以上、便宜上敬語は便利である。
 
子供時代には上下関係なかったように、遊ぶこと、自由に泣き、笑えるってことを思い出せたなら年齢や性差なく”人間”に戻れる。
 
特に男性が子供に戻るとほんとにバカでやんちゃで、まっすぐで、それが愛に向かえば、ここに書いてある通り、女性の愛をも超えていくほど、愛を与えるというのは簡単に想像出来るし、そういう場面は何度もみている。
 
だから男性同士で愛を語り、正直さを語り、日本人であれば腹を割ることができたら面白いだろうなとメンズタントラのグループを企画した。
 
ぜひきて欲しい。
詳細はこちらから・・・「10/30~31タントラナチュラルマン」
 

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OSHOが語る「男と女」を一読をば。
******************************************:
すべての女は愛するものだし、女が愛しても、その愛はごく当り前のものだ。
それは女のマインドの一部だ。
普通、男はそんなに愛さない。
愛は普通、彼らがする行為のうちのひとつにすぎず、最も重要なものではないだろう。
ビジネスの方がもっと重要な時もある。
そういう時、彼らにとって愛はビジネスの間のレクレーションや、リラクゼーションだ。
もしどちらかを選ばなければならないとしたら、きっとビジネスの方を選ぶだろう。
愛よりも政治の方が大切な人々もいる。
金、社会的地位、道徳・・・男には愛よりも大切なものがたくさんある。
だが、女はひたすら愛する。
たくさんある中のひとつではない。男が愛するのは、一日のうちでもせいぜい数分だ。
女が愛するとき、その愛は二十四時間だ。それは自然だ。
しかし、ときに男が愛する時、どんな女も彼にはかなわない。
なぜならその時には、彼の内なる女性が爆発するからだ。
男が本当の意味で愛に走る時、彼はもはや男ではない。
そうなると、彼の内なる無意識が爆発し、彼自身を完全に乗っ取ってしまう。
瞑想者がすべきこととは何だろう?
瞑想者はその両方に気づくことだ。
そして、そのどちらについても、自己同化をやめなくてはならない。
真の探究者は自己同化を捨てなくてはならない。
自分が男でも女でもなく、観察者であることを学ぶことだ。
OSHO

2021年8月タントラトレーニング後記

8月7〜11日にタントラトレーニングが終了しました。

  

とてもとても美しかった・・・と言うと何か決まり文句のある広告のようだけど、でも「美しかった」なんだよなぁ。
 
じゃ、どんなふうに美しいのか?言葉にするのに時間を要する。
インスタントに出てくる言葉はあまり言いたくないし、だから体験しに来てくださいって言う。
 
訊かれた方も聞く方も言葉ではうまく伝わらないことてあると思う。言いたい人はうまく言おうとするけど、聞きたい人は聞きたいことだけ聞くし、なんでも言えばいいってものでもないし。
 
嘘ついて隠す嘘じゃない秘密って時に宝となるから。
だからタントラってオープンシークレットって言ったりする。
 
だからと言ってわかってもらわくていいとか意固地にもなっておらず、常に言語化は試みてる。
 
今の時代なんでもわかった風で開示してなんぼみたいな風潮があるし、コピーが多く出回るし、タントラってささやきの伝授っていわれるくらい、耳元で囁かないと聞こえないし、キチンと聞こえたとしても、それを実践できるようになるには時間もかかるし、だからお手軽に流行っているからと動画とかでさらっと言ってわかったらお安いものだけど・・・動画は僕自身苦手ってのもあるけど・・・。
 
でもこういうわけわからんワークショップが存在していたっていいじゃないかって思ってる・・・開き直りじゃなく。
 
だからいつも、タントラっていうワークはなんなんだろう?どんな仕組みがこのワークには組み込まれているのだろう?誰が仕組んでいるんだろう、とかって思ってしまう。
 
それくらい人間ってのはややこしいと同時に大変な面白さがある。
 
だからタントラは人間ワークなのだ。
 
テレビや情報が外から入って来なかった時代の人たちはきっと瞑想は自然なもので、生き方も強烈で(生死をかけざるおえないような)でも人としての営みはゆったりしていたんだろうと思う。
 
そもそも人はきっともっとゆったりしてて、個性があって、右とか左とか、障害とか、肌の色とか関係なくて、ユニークな生き物だろうに。
 
タントラってそんな”感じ”と似ている。
 
喜びとか、難しさとか、いろんなユニークを受け入れるから自分というユニークさにくつろげる。
 
現代人は思考が優先で占有されてしまったから”そこ”にもどるのは大変な作業になってしまっているけど。もともと我々が持った自然の姿がタントラで出会える気がする。
 
 
さらには、思考の言ってることなんて単なるゴミだってわかっていても、思考に頼って生きるし、思考はもう「わかってる」状態が好きだからそれが自分だと同一化する、早々に理解してしまった方が楽だから。
 
今の社会で起こっていることはいわば自分の頭の中で起こることと同じであるわけで。
 
人なんてそんなにすぐには変わらないから急がず行こう。
 
美しいという言葉は、この写真の富士山(レーニング期間中に現れた赤富士)と同様ではあるんだろうけ、タントラで起こる美しさは、質の違った美しさで、人間のユニークさと複雑さとか、いろんなものが絡み合うなかで、人間がもがく姿や、喜び笑う姿、泣く姿、それらを突破した姿、そんな姿たちが美しいって以外表現できない。

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活力とか、生命エネルギーに目覚めますなんて簡単にいうし、僕も言っちゃうけど、それらを体験する時の怖さ、震えや、難しさ、持ちきれないほどの喜び、なんてどう言葉で言えばいいのだろう?
どこにも属さない全くもって自由な存在が愛なのではなかろうかなんて思ったするし、ワークの中でちらちら垣間見れたり、掴めそうで掴めない憎いやつをどう言葉で捉えればいいのだろう?
 
それがタントラにあるかもよ?ってことは言えるけど。
 
このトレーニングも3回目になり、どんどん、深く進む速度が上がって進化している気がしている。それは場自体が成長して生き物のようなものなのかもしれない。
 
まだ続きます。
 
だけど、焦らなくていいと思う。その人なりのタイミングが参加表明というボタンを押してくれるから。
 
ダメならまた来世があるさくらいで。
 
そんな今回のタントラトレーニング後記となりました。
 
ご拝読ありがとうございました!
 
 

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人はノイローゼで生まれてくる

「人はノイローゼで生まれてくる」と言ったのはフロイトらしい。

てことはフロイトもノイローゼである。

 

正確にはノイローゼで生まれてくるわけじゃなくってノイローゼが蔓延している社会に我々は産み落とされるらしい。

 

そして子供時代は”感覚”と共に生き、言語もそこそこしか駆使できず、おそらく子供時代は多くの人がハッピーに生き進んでいく。

 

成長するにつれ親や社会にあれはダメ、これはダメと言われ続け”矯正”されていく。

 

いつの間に男女に分けられ、いつの間にか異性という”異星人”が作られ、手も触れれなくなり、顔も見ることも阻まれ、”ナチュラルさ”が抑圧されていく。

 

さぁどうしたもんか。

 

それでも人間は人としての欲求を持ち合わせるために、性欲や食欲といった一見本能と呼ばれるものに吸い寄せられていく。

 

しかし、その時にはすでに遅しで、もう”思考”の食欲で、”思考”の性欲だったりする。

 

それは”他人”から聞いた知恵だったり、先代から受け継いだ一見良きものとされる”知恵”だったりする。

 

いわゆる思考の世界に入り混んでしまい、迷い込んでいく。

 

都会なんぞに住んでいると余計にその回路がAIの如く発達していってしまい、もう自分の考えか、社会の考えか、人の考えか、比べられなくなり”思考”というものと同一していくという現代人の典型的なプロセスへと入っていく。

 

そして感じることを忘れた思考人間の出来上がりである。

 

だからそれを巻き戻すためにタントラでは身体から始めて行く。

 

ゆっくりとでもきちんと身体と向き合って行く。

 

そうすることによってまずは自分と、そして他人と向き合えるようになって行く。

 

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タントラライフジャパンイベントやってます。ぜひ来てください。

 

ではまた〜

HOKUSAI

映画「HOKUSAI」を観た。

 

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お上に屈せず表現活動をしていく北斎やその周りの人々を描いてた。

 

いつの時代も変わらない。

 

だから自●党を攻めてもしょうがないのだ。その前に自分が変わる。

 

北斎は90歳まで生きたそうだ。

 

それまでに名前を変え住む場所を変え画風を変えた。

 

芸術家だからできるんだとか、すごい人だからできるんだとか、思いがちだけど、それはきっと違う、とっても人間らしい人だったんだと思う。

 

もっと生きたい人

生きてる感じがしない人

 

見るべき映画です。