JOY of LIFE!

タントラのカビールのブログ タントラライフジャパン代表

瞑想とサーフィン

先日海沿いを走っていると、中学生のウォーミングアップランに軽く抜かされた。

 

それはいいとして・・・そのダントツの先頭を走っていた男の子が走り終え一人休んでいた。

 

その休む佇まいがまるでトップに立つ者が孤独と爽快さを同時に感じているかのように、凛としていて、遠くを眺めているように休んでいた、もう孫ほどの子に、かっこよさを感じた。きっと君は将来良きリーダーになるよ。と声なきエール送った。

 

トップを張ることは孤独とも仲良くならねばならないと言われる、なので孤独を避けれない人はトップにもいけないのだろう。

 

だから彼はきっと「みんなでマクドナルド行って帰ろうぜー」と言われても、「いや僕は走って帰るよ」って言うだろう(希望的妄想・・・笑)

 

さて、ジェリー・ロペスというレジェンドサーファーがいる。

昭和の人は知ってると思うけどBOLTというサーフブランドを作った人で、ビッグウェンズデーという映画に出た人である。

 

最近アップされたパタゴニアの動画シリーズの中で、かなり面白いことを言っている。

 

サーファーのみならず、ヨギーも、メディテーターも、ぜひ観るべく動画である。

とても参考になる経験的な言葉達が並びます。

そして、彼の静かで熱い佇まいがとても素敵です。

そして、一度はサーフィンをやるべきだし、やってる人はやっててよかったと思える動画です。

 

ぜひお時間ある時に。

 


www.youtube.com

 

 

年を取らない方法

そんなもんあるかーっと老いに対して無抵抗を装いたいが、人間そうもいかない。

 

1年くらい前に腰を少し痛めた時があって、どこかの施設の入口にある靴べらを使ったんだけど、そしたら「なんて楽なんだっーー」って感動したわけ。

 

で、しばらくどこかへいくと靴べらを探して使うようになっていった。でも家に買ってまで置いておこうとは思わなかったから、どこかへ行くと出入り口にかけてある靴べらを使うようになって数ヶ月が過ぎた。

 

今度は何が起きるかというと靴べらを使わずして靴を履くことが困難になるのだ!さらには腰が固くなっているような気にさえ(いや実際なるだろう)なって来た。

でもまだその時点では靴べらと腰痛の関連が繋がってなかった。

ふとしたとき、気づきがやってきた。

 

あーこうやって老人たちは良かれ悪かれで殺されていくんだなと(ちょっとこの靴べらのケースは大袈裟だけど)思ったものだ。

 

それから靴べらを使わなくなったら靴履くのが大変な身体になっていた。

かがなければいけないし、時に片足で立って踵を入れなくてはいけないし。

しばらくリハビリが必要だった、靴べら使わないようになったら当然だけど腰の不快もなくなったし筋力も戻った。

 

ってことが僕に起きたわけです。

楽がいいことばかりじゃないってこと。何にでもこれは言い換えられます。

 

僕たちは日に日に「死」に向かっています。

 

ここ日本では特に状態を見ずして、下の世代は上をケアしようとしてしまいます。

 

僕はこれを美しいとは思わない。

 

足ひきづっていたってその人なりに歩き方を習得している時かもしれないところを、お節介に手を差し伸べたら、親切をむげにもできないからと、ヘルプを受け取ってしまうこと、それが逆にトレーニングの邪魔になってしまっているなんてこともあるかもしれないんだから。

 

そうやって上の世代は下に殺される・・・とまでは言わないけどさ。

 

ここ最近は特に下は上の世代を舐め過ぎてる。

やれマウントだっつって叩かれるばっかりで、まぁマウントする方も悪いけども。

静かで威厳ある上がいなくなった分うるさい下が出て来たのかな。

またはうるさい下が出て来た分うるさい上がいなくなったのか。

 

知らんけど。

 

最後の最後の息の根が尽きるまで自分の身体と向き合っていたい。

 

健康寿命が長い方がいいというが、寿命などどうでもいい。

 

もう動けないなって時が来るまで人間ってのは知的にも動的にも動いておいた方がいいよなぁ・・・そういう意味での健康寿命は長い方がいい。

 

なんて呟きでした。

 

今日も1日お元気で。

 

 

男同士には言葉なんていらない・・・?

男同士には言葉なんていらない・・・

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なんてよく聞くけど、実際は女性たちが言葉が必要なように男たちも必要で、でも多くの場合ビジネスの場が多かったりするから、すぐマウントする。これ別の言葉言うとすぐ戦争するとも言える。

男女問わず内側には異性がいる。
男には女がいて、女にも男がいる。

聞いた話、女が本当に怒ると男は敵わなず、男が本当に愛すると女は叶わないと。

表層社会では、逆で、男が怒ると力で女をねじ伏せ、女が愛すると男は一目散に逃げる。社会で頻繁に起こっていること。

その延長が暴力なり、ストーカーなり、になる。

そろそろ内側の男性女性というものと出会うということが社会に広まったらいいとなと思う。

それにはサレンダー(降参)が必要である。男なら自分の女性を受け入れる、女性ならその逆。

だから今、社会がやれ仕事がない、やれ家に閉じこもれ、って確かに今はしんどいかもしれないけど、降伏の前段感なんじゃないのかななんて思ってる。

いつもハッピ〜いつでもキラキラ〜な世界が来てほしいなんて1mmも思っていないんだけど、本当の意味での「リアル」で「正直」な世界が広まったらいいななんて、この乱世の時代に思ふのであります。

男は少年であれ。
男を少年のままにさせておいてくれ。

 

#タントラ #タントラ瞑想 #タントラライフジャパン #タントラライフジャパンカビール

タントラライフジャパンについて

《こういう事ってどこで誰に言えばいいのかわからないんだけど、こんなバックグラウンドの元に、代表を勤めるタントラライフジャパンファシリテーターはやってきているのかを、だいぶざっくりだけど書いておこうと思い、独りごと的に記してみました》

 

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僕はそもそもファシリテーターなんていう肩書きを背負うつもりはなかったし、そんな仕事があることも、そんな仕事が自分の人生に回ってくるなんて1mmも思っていなかった。
 
そんな輩が今は団体の代表となり、瞑想をリードし、かれこれ十数年が経過しようというのだから人生摩訶不思議である。
 
20年くらい前に狂うか自暴自棄になるか、人生わけわからなくなった時期にもともと興味があった瞑想に出会った。
 
あっちこっちのスピリチュアルな集いに通い、ここは違うあっちがいいなんて、どこにも居場所が見つからないジプシーをしながら、OSHOのコミュニティにたどり着き、そこでタントラに出会った。
 
ーそこからはもう毎日が、人生が、入れ替わってしまったくらい瞑想に没頭した。
 
瞑想しか興味がなくなり、瞑想だけ出来てたら何もいらないなんて、お花畑で生きていた。
当時24時間携帯持たされて追っかけられるような責任あるサラリーマンをやりながらだったけど、毎日ダイナミック瞑想をして、嘘ついてインド行ったり、してたっけ(そのうち当然それも終わりが来て本当に瞑想中心の生活に移行した)
 
タントラワークに出会い、チームに加えてもらい、ビギナーにも関わらずスタッフを早くから始めてるうちに、瞑想会をリードしてみたら?と言われるんだけど、しかし、何をどうしていいかなんて、全くわからなかったけど、なんとなく出来そうな気がして、ダンスのパートをリードしたのが始まりで、その延長線上に今があるわけだけど、だからか、今もダンスのパートは大事にしている。
 
ーそうやって先輩や友人たちから背中を押されながら、今までやり続けてきた。
 
初めて人前に立ってマイクを持った手が緊張でゴム風船のように膨らんだかのように感じてマイクを落とすんじゃないかってくらい緊張してたのは今でも鮮明に覚えている。
 
タントラライフのワーク自体が自然発生的なノンメソッド(無手法)で進めていくワークの質で、そもそもアート好きということもあり、ノンメソッド手法は大好物であったから続けてられるのかも。
 
しかし、グループを構築するにはノンメソッドだけでは構築できない。
やはり信頼を得ていくには、場数と経験と知識も必要で、それらはゆっくりだけど年数を重ねながら積み上げてきたつもりでいる。
 
やり続けて来られた理由はいくつかあるけど、最も大きいのは「感謝」である。それはいまだに、毎回毎回思う。
 
こんな風景(タントラワークの現場)を毎回見れるなんて、なんて幸せなんだろうってくらい、タントラのフィールドは美しく愛しいし、かっこよく言うと今までタントラを通して受け取ってきたものが自分の手だけでは持てなくなったからワークをシェアさせてもらっている、かな。
 
ーそんな右も左もわからない僕が、瞑想ワークをリードし始めるわけだけど・・・
 
それを一から教えてくれたのは言うまでもないラダ(タントラライフ創始者)なのだが、それこそマイクの持ち方から、リードの仕方、人へのケアの仕方、サイコロジカルなことからミスティックなことまで、今巷にあるリーダー養成講座を受けても教えてくれないであろう内容で、何年もかけ、口伝で教わってきた。いわばダウンロードしてくれた、というよりクリックしてDLさせてもらってきた。
 
この世界的リーダーのそばで直伝してくれてきたものは、きっと講座で高いお金を払っても教えてもらえるものではないと思うと、しみじみラッキーだなと思う・・・のだけれども、それに改めて気づいたのは、実は数年前で、と言うと、何か不義理みたいに聞こえるけど、そうじゃ無くて、ずっとタントラのフィールドに1年を通しているというのが当たり前の生活をしていたから、1年のうちに何度も遠いイタリアへ通い、日本では毎月自分でタントラグループを開催し、イタリアでは付き人のごとくラダとツアーを共にし、各地各国を回り、グループ運営、グループの構築の仕方などなどを学ばせてもらってきた(現在でも世界で数人しかタントラライフメソッドをリードすることは認定されていない)
 
ーそんなバックグラウンドの元、今僕は日本人のためのタントラグループをリ・デザインしている。
 
なぜ「リ・デザイン」かというと、日本の土壌、日本の集合意識を知り感じているからで、日本人が何を思い、何を感じるかを感じられるからである。
 
土壌が違う、西洋風に教わったままを、やればできるけど、それはきっと違う気がするから。
 
だから今タントラトレーニングという形を中心に、サクラダファミリアを作るが如く(大袈裟w)タントラライフジャパンカビールが創るタントラワークのデザインを積み立て創り続けています。
 
レーニングというフォーマットはあるにせよ、一回一回のデザインは明日どんな風にビルドアップされ、どんな形で提供されるか、わからない。そして何より僕自身老いていつ死ぬかわからない。
 
深いところでは日に日にワークの質も積み上がっていっていると思う。
 
なのでタントラという世に稀なワーク内容は決してGoogleには上がってこないけど、リアルな場で味わうワークの醍醐味を楽しみにおいでいただけたら嬉しく思います。
 
LOVEを・・・Kabirf:id:kabr1218jp:20220402162406j:image
 
 
 
 
 

勇気

『勇気』

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「未知(内側)なるものに突っ込んでいくことは恐い・・・初めのうちは・・・」
と、我がマスターに騙され続けて来た。

生きていくなかで、多くの場合2つの道(2元)を迫られ
1コマ進むごとに選択が迫られる。

こっちの道は怖い、けどなんとなく正しい気がする(直感)
こっちの道は安全で、どこに出ると分かっている(退屈)

そんなことを意識的に見始めてくると、
選択を迫られる時はおおかた2つのうち1つを選ばないといけないケースにぶち当たる。

その時にこの基準を採用する。
〈どちらかを選ぶ時は『恐怖』を感じる方を選ぶ〉

チャレンジをしないで臆病でいることは、
ずっとその恐怖と共にいることになるってことに気づく。
だったら動いちゃった方がいいし、
動いて失敗した方が動かないで恐怖といるよりもいい。

だから勇気は、
〈大それた勇気〉ではなく
〈ほんの少しの勇気〉だけでいいらしい。

タントラでいうところの「危険でいることは安全である」と逆説的に言う所以である。

 

タントラライフジャパンのイベントはこちらから。

瞑想

瞑想って静かに座るものだとされている。

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現代人にはいきなり静かに座るのは難しいだろうと、神秘家OSHOはアクティブ瞑想を考案した。

動く瞑想とも言う。

身体や感情を動かして静寂へと入る。

これは人類史上に残る発明かと思われる。

例えば、自分が誰かに怒ったとする。

誰かに投げつける。

誰かも怒る。

お互いに敵になり、敵であり続ける。

世の中では、当たり前の反応と思われがちだけど、うんざりするほどの連鎖反応を作り続けていることになる。

 

じゃどうしたら辞めれるのか?

 

または、そもそもそれを辞めたいのか?これはまた別問題だけど。。。

唯一止める方法は 「自分は誰かに怒っている」 から、 「自分は怒っている」 に変えること。

 

怒りを誰かに放出し、ぶつけるのではなく、 怒りは宇宙へ放出する。

 

怒りだけでなく、性欲、嫉妬、憎しみを、 そう出来たとき、広大なる宇宙はそれを清めてくれる。

これ瞑想なり。 

 

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タントラライフジャパン公式HP

未知の幸福、既知の苦悩

人ってやつはなんだかんだと苦悩ってやつを好むもんなんだなって思うわけです(求めてないのは知っています)

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我が病を高々に自慢し、とて健康への努力はせず、過去の恋愛の良き思い出でなく傷を持ち続け温め、そのくせ幸せをくれって他者から承認を待つ。

自分はそうじゃないって思ってるから、こそ、それらはうんざりするほど繰り返し終わらせてくれない。

でもどこかでうっすらと気付いてて「何かおかしいぞ」と。

”知らないこと”はそりゃ怖い。
同時に”知っている”からこそ悩むもの。

タントラでは「自分のマインドを否定性から肯定性へと変容しなさい」と説く。

「ハッピーじゃなければ、変容は起こらない」ってよく聞く、けど言葉では理解すれど、待てど暮らせど変化が起らず。。。あっちへこっちへ揺れ動く。

否定性よ、なんとねばっこいことか。

だからこそ”今この瞬間”過去から持ち込んだ癖をストップする練習をしながら生きていく。

”喜び”をつかみ取れるようになるまで。